さて、推し推しの『ゆるキャン△』第2話、志摩リンの回想に入っていくところで「Jカット」が使われてました。Jカットというのは、次のカットの音声が先行しつつ映像が切り替わる演出です。
そしてもうひとつ、Jカットだけに留まらず「回想の導入のためのエコー付け」にもう一個意味を足してくる二段構えの(編集)テクニックにシビれましたね。
(2018/1/25追記──
これからJカットの話が出て来るんですけど、よくよく思い返すと「面白いjカット」だったのかという疑問と……と言うか面白さを取り違えたんじゃないかって気持ちになってきて、先日書いたこと全面撤回したくなっている。なので「修正案の提案」を最後に追記したいとおもいます──追記終わり)
本編化する回想
回想について最近思うことがあって……。
回想にも種類があるんじゃないかと。種類というか深度、段階、みたいなものが。それがエコーのありなし、もとい必要性のようなところにも関わっている、のでは?
ステージ1
第一段階、まさに「頭をよぎる」だけのような極短期型の回想。
脳内再生される「過去」としての回想。過去にあったことの記憶のうえに情報としてアクセスするので、不確定性の表現としてエコーがついたり画面のふちが白味ボケ強調だったりする。(画面のふち演出の色々は、回想に限らず空想/想像の映像でも数多く見かけます)
脳内再生の性質上(といっていいかわからないけど)、再生時間は極めて短い。体感にして長くても3秒以内。
中短期的な長さになると長くても8秒くらいになる。
ここまではあくまで「記憶へのアクセス」であり、”寄り道”である。
ステージ2
これがさらに深度を深めた場合──第二ステージに進んだ場合、回想は”本編化”する。
本編化するとどうなるのかというと、情報にアクセスしていた段階からさらに深く、情報へ没入するのだから、できごとも実体化する。観客が追いかけるべき”いま”の基準軸が移る。主に過去方向に。
そうなると通常の本編となんら変わりない認識の世界として、装置的なエコーは不要になり、エコーは消える。ずっとエコーがONだと煩いというのもある。
久しく『サザエさん』を観ていないのでちょっと自信がないけれど……
カツオ「昨日こんなことがあってよー」
(吹き出し:ふわふわふわー)
~回想入り~
あの感じで物語の主軸が新たに設定されて=本編化する。そういう話だと思っていただきたい。難しく書こうとして読みにくいですかね、申し訳ない
以上はとくに『ゆるキャン△』には関係のない話である(やっちまったZE
JカットとLカット(音声ずらし)
本来、動画というのは映像データと音声データに二分されています。二分されたものを並行に「視and聴」することで私たちはひとつの「動画」として楽しんでいるわけです。(ひどい音ズレでもない限りいちいち意識しませんが……)
がしかし、その「音声」と「映像」は必ずしも行儀よく(?)同じカット内で横並びになっている必要はなく──。
映像を主軸として、音声をカットのつなぎ目の前にずらしたり(これが「Jカット」)後ろにずらしたり(こっちが「Lカット」)することで、平常とは違った効果を出すことができる。
以下、すごくわかりやすく簡潔に説明してらっしゃるブログ様です。
JとLの呼び名に関しては、音声をズラす編集をした際に、映像データとの並び方がJ字またはL字に見えることに由来する、が正しいようです。Adobeの用語集にそう書いてました。
←左にズラせばJ、
→右にズラせばL、
……みたいな。簿記でいうところの、左が「借り方」、右が「貸し方」みたいな覚え方の類と似たようなものですね。
『ゆるキャン△』第2話におけるエコーとJカット
遠く富士山を見つめ、物思いに耽るしまりん。ぼーっとしているところに「りんちゃん!」(エコーあり)と、なでしこの声がする。(このエコーは回想導入としてのエコーであり、脳内再生段階ゆえのエコーでもある)
声はするものの、映像はまだふもとっぱらキャンプのしまりんが映っていて、「この『りんちゃん!』の出どころはどこなのか」と観客が深く考えるまえに絶妙のタイミングでカットは次に行く。
こんな感じだ。↓
なでしこoff「りんちゃん!」(エコー)
──────カット切り替わり──────
なでしこoff「えへへ、同じ学校だったんだね」(エコーなし)
—
校舎が映りエコーの効果も手伝って、観客は「回想に入ったのだ(Aパートの続きに戻ったのだ)」と察する。
となるとさっきの「りんちゃん!」は、後ろのカット内でなでしこが発したものであり、音声が映像よりも前に突っ込んできていたので「いまのはJカットだったのか」と判断できる。
窓を挟んでなでしことりんのトークが続くけれど、すでにエコーは取り除かれている。回想が”本編化”したためである。
回想が終わりふたたびふもとっぱらキャンプ&しまりんに。
その後、再びエコーのついた「りんちゃーん!」が繰り返され、これは幻聴もしくはしまりんの脳内再生の なでしこの声だとしまりんと観客は思う。
……。
……。
実のところ、なでしこは いつの間にか りんの側にいて、脳内再生のエコーと思っていたのは間違いで山地による反響で音像に靄がかかったのだ、っていうミスリードだったわけです!(あんな拓けた平地で声に変化がでるのか? 私もそこは自信がない!)
回想の”らしい”エコーと、やまびこ的エコーを混ぜたんです。
この二段構えがね、いいですよね(ざっくり
そして、いきなり現れたなでしこの道中の補完を第3話の前半でじっくり描く田中仁の手腕はお見事ですわ。
『ゆるキャン△』 第2話「ようこそ野クルへ!」
脚本:田中 仁
絵コンテ:京極義昭/金子伸吾 演出:金子伸吾
(2018/1/25追記──
もうちょっとだけ続くんじゃーゆうて。
さて、追記だ。提案の時間だ。
最初の「りんちゃん♪」にエコーが必要だったのか、でずっとずっと考えてまして。
Jカット(Lカット)の面白みって、音声をズラすこと自体にあるんじゃなくて、ズレたことによって生じる違和や驚きだったりするので、『卒業』でいえばあのシーンの「やぁばい、父親に見つかった!」ってヒヤッとした気持ちが面白い所なんです。
全部がそういうタイプではなくて『プライベート・ライアン』の冒頭、墓の前でしゃがんてたら波打ち際の音が聞こえて戦時中の時代に飛ぶ、みたいなシームレスさを出したものもありますが。『悪の教典』のホモシーンの、なんでjカットでいったの? みたいなのもありますが。あれはもはやダイジェスト。
で、前カットにいるはずのない人間の声がして感じる違和が次のカットで解消されて「ああ、なるほど」っていう気持ちよさに繋がるんだとしたら(それを演出の狙いとしたら)
ゆるキャン第2話に当てはめた場合、前カットで声がしたときに、「ふもとっぱらキャンプで なでしこが りんを呼んだ」って観客に思わせないといけないんじゃないかと。そしてそのあとで回想に入って、「ああなんだ、回想か」というカタルシスが生まれるんじゃんと。
じゃあ、あのエコーの付いた「りんちゃん♪」には、「なでしこがふもとっぱらにいる」って感覚を観客に与えたのか否か。悲しいかな、私はそっちにまで頭がはたらきませんでした。
もしその狙いで行くなら、(りんの視線とか開いた目とかクリアしないといけない問題も増えますが、)ふもとっぱらになでしこがいると思わせるべく最初はエコー無しの「りんちゃん♪」……からのJカット、回想に。リアルタイムに戻って薄めのエコーで「りんちゃーん♪」×2にすれば、jカットの驚きに加えしつこい幻聴っぽさと広い平地での反響っぽさのふたつを獲得できるんじゃないか。どうですか?
ぼくのかんがえたさいきょうのえんしゅつプランです。
おしまい。
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