アニメと食事についての研究。
いま放送中のアニメで『ラーメン大好き小泉さん』という作品がある。タイトルの通り、ラーメンが大好きな小泉さんが大好きなラーメンを食べる小泉さんにまつわるお話である。
副次的な要素はあれど、いわゆる「メシアニメ」のカテゴリに含まれる作品であり、看板に偽りなく毎回そこらじゅうで節操なくラーメンを食べている。
かたや、「キャンプアニメ」の看板しょった『ゆるキャン△』にもけっこうな数の食事シーン・食事描写があり、いくつかの料理が登場する。カップ麺・坦々餃子鍋・豚まん・ほうとう・スキヤキなど、ラーメン縛りの小泉さんよりもレパートリはやや広い。
そんなゆるキャン△と小泉さんの食事シーンを見比べて思うことがある──
……これですわ。
美味しい瞬間を届けてくれ。『ゆるキャン△』と『ラーメン大好き小泉さん』の間にあるもの
アニメには「売り」があります。最近は「推し」とも言いますが、要はテーマである。
アイドルアニメにはかわいさの純度や芯の強さが求められたり、ダンスアニメにはダイナミクスが求められるような。
ダンスの素晴らしさ、将棋の素晴らしさ、冒険の素晴らしさ、子育ての素晴らしさ。
言い換えると「何を伝えたいか」でもあると思うんです。
そこへ来てメシアニメ(メシ描写)の売りポイントというか鑑賞ポイントは、出てくる料理が「美味そうかどうか」が重要なポイントになります。
言うなれば「食」の素晴らしさ。これをいかにして純度高くお伝えできるか。
なぜ人は情報ではなくラーメンを食べるのか
どうして小泉さんはラーメンばっかり食ってるのかってテーマを、「彼女はラーメンが好きだから」で片付けるのではなく、それくらいラーメンには愛される魅力と人々を魅了する求心力がある、つまり「ラーメンはこんなにも素晴らしい」ってことを、小泉さんというラーメンフリーク(あるいはラーメンDD)とうるさいバーターを通して描いているんだと思います。ラーメンにはやっぱりバターが合うね。やかましい。
美味しく見えてこその「メシアニメ」だと。
その方針で視聴したときに、ゆるキャンよりも小泉さんのほうが美味しく映ってしかるべき(力を発揮してほしい)と思う一方、悔しいかな、『ゆるキャン△』の食事のほうが美味しそうなんですよ、これが。サッカー部より帰宅部のほうが上手にセンタリング入れてきてる状態なんですよ。
この差は何か。
食事とは(デカすぎる主語)
食事シーンを目にして、「ああ、美味しそう」と思うきっかけは色々あります。
食事シーンを観るときに考えたりすることといえば……
- キャラクターのリアクション(声優の演技と画の芝居…上品か下品か)
- 料理に対する言及の程度
- 食事を摂るシチュエーション(時間の制約、場所、同席者、空腹度、環境は快適か…)
- 食材のグレード/料理のビジュアル(色味や形状や量。湯気/嘘エフェクト)
- 料理は熱いのか冷たいのか。適温なのか
- 新鮮さは描写されてるか
- 調理の過程(調理器具の質)
このあたりでしょうか。
あとはその都度、フード理論のフィルターを通してみたりしながら食事の描写と役割に刺激を受けています。
そういえば、げそいくおさんが「虫が光が大好き」って言ってたの、ファンダムの現状を上手く表現していて、すごい好きです。
『ゆるキャン△』の食事が美味しそうに見える理由を考える
食事シーンの多かった両作品の明暗を分けた、とまでいくと少し大袈裟ですが、よだれ誘発に効果的だった仕掛けは以下の4つ。
- シチュエーション
- 調理描写による焦らし
- リアクション(食べ方)
- 湯気
このへんの演出力/ディレクションじゃないかって思います。
ゆるキャンを観ながら簡単に取ったメモがこんな感じ↓
で、とりわけ私が好きなのは『ゆるキャン△』第1話のカレー麺を食すなでしこです。
『ゆるキャン△』第1話のカレーめん
”肌寒い”じゃ済まない冬のシーズン、しかも屋外のキャンプ場……濃い湯気が物語る厳しい環境下においては暖かい食べ物のありがたみも倍増するってもんです。この湯気がなんか外気のせいかうまく画面に映えてて綺麗なんですよ。〈湯気要素〉☆☆
第1話のなでしこは軽い”遭難”中でもあり、ひどい空腹状態で(後々わかる燃費の悪さ)とにかく何か入れないといけない必要性もあった。〈シチュエーション要素〉☆☆☆
↑感謝とともに食がある。そんなときに食べるカレー麺が美味しくないわけがない。(個人の見解)
食べものを”文化”や”嗜好品”として扱わない姿勢。このあたりを体現する なでしこのがっつき具合が最高にいい。これは画作りが上手い。そしてやはり演技がいい。
「美味しい!」とか言わないでひたすら咀嚼と頬張るを繰り返して、たまに「んーー♪」って悶絶するような。この「んー」がまたいいんだ。やっぱり”喋る多幸感”こと花守ゆみりはこういうの強いですよ。〈リアクション要素〉☆☆☆
調理描写は湯を注ぐだけでした……。
秀逸なカレー麺のシーンはBGMの功績もデカい
「いただきます」から差し込まれるBGMはこんな感じ。
1.バンジョーでリフをテケテケ[なでしこ食い始める]
2.キックやブラッシングでリズムが明確に[なでしこ、汁まで口にして美味い顔をする]
3.さらにピッコロが入ってきて アンサンブル感が増す[さらにがっついて至福の表情。爆発]
早い話が、画と音の三段構え。
なでしこの感情と音の盛り上がりが重なっていくんですけど、2の時点で向かえた美味しさのピークが、三段階目になってさらにがっつくことで持続長めに描かれています。カップ麺なんて最初が(最初だけが?)一番美味しいはずなのに、それが食い手によってこんなにも持続するなんて。
この瞬間に私は思いましたね、「こいつは良いやつだ」って。
食材だけじゃないんだな。料理って。
志摩リンのリアクション
あとはしまりんの「こいつ、美味そうに食うなあ」って台詞ですけど、観客の心はすでに「美味そうに食べる女」を充分認識していたと思います。だからここでの機能は、説明ガイド的な機能というよりは、人の食事を観察できる「志摩リン」という少女のキャラクター付けとしての演出と捉えるほうがいいのかも。
ノンバーバルな演出が似合う&巧みな作品だから、東山奈央お得意の嘆息だけでも十分表現できそうではありました。
『ラーメン大好き小泉さん』第1話のらーめん事情
基本店内で食事を摂ることになる「ラ泉さん」も湯気は立ちます。
しかしこれは「できたてのラーメンなので熱い」くらいの描写としてしか機能性がない。湯気にそれ以上の機能を求めるのも酷(コク)だけど。ラーメンだけに。
環境の差も大きい。
本栖湖の浩庵キャンプ場と比較すると、ラーメン屋というのは「空調の整った、椅子も柔らかい、快適な空間」といえます。お金を出せば手間を掛けずともラーメンが眼の前に出てくるようなそんな食事環境。書き方に悪意が……。
なでしこのがっつきに対して、小泉さんのがっつきってなんか下品なんですよね(個人の見解)。
ジロー回の画像横に置いて言うのもなんですが。
メシの顔してる
ここ三年くらい(『幸腹グラフィティ』あたり?)でよく見るようになった過度に高揚した顔もとい過度に紅潮した顔というか。
「メスの顔」から転じた「メシの顔してやがる」って言い回しそのものはなかなかいいところ突いてて好きなんですが、ビジュアル面はなんか性の匂いを感じさせるのが下品でヤなんですよ(やっぱり個人の見解)。
あとはやっぱり食事の最中もムスーとしてるのが、”ライブ地蔵”タイプなんだとは察していても、「ほんとにこいつ美味いと思ってんのか?」を加速させてるかなあとも。手段が目的化しちゃったというか、ラーメンを処理してる感が先行するなあと思いながら観てました。〈リアクション要素〉
あとバーターが「なにこれ」「うまーい」とよく言ってましたが、列並ぶときだけじゃなくて店内でも静かにしてほしいっすね!ラーメン屋ってのはな、もっと殺伐と(以下略
いまさらだけど、あの横髪は無理がないか?
だいたいさあ、あの長い横髪は画的なウソとして成立してるのか? あんなのスープに浸かるに決まってますよ。この時点ですでに若干の拒否反応が起こっているのです。どうやってクリアするのかといった期待も上がるけれど。
例えば丼の横に髪を逃がすカットを1回でも入れるとか。
……それでも厳しいか。
小泉さんの食事シーンでのアップや横アングルの割合が多かったのはこの制約のせいかもしれない。
焦らす調理描写の魅せ方比較
調理描写っていうのは、ジェットコースターでいう下り最速までのカタカタ昇っていってる瞬間なんですよ。
例えば『ぐるナイ(ゴチになります!)』なんかでは、料理が出てくるまでに厨房内でシェフが調理をする様子が映し出されます。
ローストビーフをやや厚めにカットしまして、フライパンのなかへ投入します。油が浮き、焼き目が付いてきたところでラム酒を垂らします。皿に盛り付け特性のソースをスーっと引きまして、完成です──。
みたいなのが中継であったとして、途中でフランベとかを見ると「これ絶対おいしいやつじゃーん」「はやくはやくー」となるじゃないですか。
これがね、カタカタ焦らしタイムです。パブロフ犬よろしく、口内にヨダレが分泌されていく時間。
豚まんプレスのときの鉄板に引いて溶けるバターだったり、鍋の煮込みの待ち時間だったりがそうですね。これがあるからさらに食事に夢中になれるんじゃねえかと私は思います。
対してラーメン。
調理の過程は基本的になく、完成品が(10万ドルみたいに)ポンと出てくる。そのあとに「このラーメンは馬油がいい味出してる」だの「ミドリムシが何億匹」だのとうんちく補正が始まる(ちゃんと覚えてない)。
出された瞬間が一番美味しいんだから早く食べようよ! と思いつつも、すでに下り始めたジェットコースターが二つ目の昇りにさしかかるころ、ようやく箸をつけて食べ始める。
大澤悠が料理を振る舞う回(第3話)では、口頭による調理説明があったものの、あそこにもう少し具材に寄りそった調理の画がついてきていたら……と思わずにいられない。私が観たかったのは食材が動くところだったのに。
おしまいに:キャンプめし、おいしゅうございました
食事や料理が美味そうに見えるかは、丁寧な書き込みが絶対条件ではない。
どう作るかであり、どこで食べるかであり、誰と囲むかが大切だ。と私は思う。そしてそれが描けているか、だと思う。
お腹空いてきましたー。
おしまい。
『ゆるキャン△』の海外ファン△
『ゆるキャン△』こぼれ話。
第10話で、キャンプ場の相談を受けたしまりんがなでしこに返信したとあるキャンプ場ホームページのURL”asagiri-kogen.camp”(架空)なるものがありまして、これを実際に、海外ファンの方がドメインを取得してファンサイト(ファンページ)として立ち上げた、と。
これがすでに二回更新されてて背景の動画がバージョンアップしてたり、ソース内のメッセージが追記されていたり。見返してもほっこりする内容です。
下のリンクでページに飛べます。(いつまで安全かは保証できませんが)
【asagiri-kogen.camp】
関連リンク
- アニメ『ラーメン大好き小泉さん』公式サイト(消失&別ユーザーがドメイン購入)
- アニメ『ゆるキャン△』公式サイト
コメント,ご意見など (中傷発言はNO)
ゆるキャン△は飯テロアニメ!
二期も始まるので楽しみです。
原作漫画読んでるからどういう内容になるかはおおよそ検討がついていますが。
ラーメン大好き小泉さんは私もハマれませんでした。
メシウマの表情がまるでヤクでもキメてんのか?という感じがw
もう一つ例をあげるなら、小泉さんは居住圏が関東圏で、実際のラーメン屋の品が出てくるわけですが、地方民からしたら、いや!食べれねーじゃん!ってなるわけですよ。
せっかく美味しそうなラーメンを出されてもそれを体感できる環境じゃないのでいまいち共感できないのです。
一方、ゆるキャン△の飯テロは実際に家で試しに作ろうと思えば作れるものばかり。
プレートでコンビニ肉まんを挟んで焼くとか、やってみたい!ってなるわけで。
そういうところの差が出てるんじゃないかと思いました。
たしかに、「食べに行きたい」「自分で作りたい」のラインでも軍配は上がった感じはありますね。
どちらもいわゆる”聖地巡礼”に類する行動だと思います(ギターを始めたり筋トレを始めたりも広義的には同じ)。要は、行動を起こさせる何かが自分のなかに芽生えるかどうかといったものですが、
その呼び起こしが小泉さんにはどうしてか満ちていなかったですね。自宅でラーメン作る回もありましたが。