京都アニメーションの作画じゃない部分を語る

響けユーフォニアム第1話アニメ演出・分析

また「演出は」である。

あるいは「演出は語られず、作画ばかりが」である。

(大地丙太郎著『これが「演出」なのだっ 天才アニメ監督のノウハウ』の書き出しっぽくしてみました)

 

私が作画という言葉を知ったときの用法と比較すると、昨今の「作画」あるいは「作画要素」の定義や指し示す領域は、メタモルよろしくいくぶんにも変容し新たな広がりを見せている、気がする。単純な肌感覚からの発言なので、観測エリアとかで傾向も結果も変わるだろうからこんなのは戯言なんだけど、”川の作画ヤバい”とかを見かけると「聞き捨てならない」と感情が高ぶるのはなぜだろう。器が小さい。

まあ、そんな愚痴は極力削って、不義と義憤を払拭するカウンターにならないかと”作画”と距離を取りながらアニメーションと演出について2分だけ語ってみようと思って語ってみるなり。

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でも、作画じゃない部分……って、どこ?

「作画」を私なりに具体的に説明するとしたら、「連続した手描き線画により、動きが発生したような錯覚≒アニメーション」といったところで、撮影領域や色彩領域については厳密には「作画」とは呼ばないんじゃないの派です。そんな派閥があれば、ですが。

(いまのデジタル工程を考えると紙を経由しない制作方法はCありきにも思えてきて、「じゃあCGとはなんぞや」という気分にもなるが割愛)

その前提でいくと「作画の部分を抜きにして語る」とは、キャラクターの逞しさ可憐さ豊満さといった眉目秀麗なビジュアルの魅力、ダイナミックな跳躍や疾走による興奮、微細な表情の変化、リアルな人体構造と説得力、などをすっかりと省いて残ったものを語ればよいのだろうか。すなわち、相対的な関係性や位置記号論を展開すれば良いのか。

と一時は思ったが、自分でもよくわかってない言葉を並べるよりも簡素かつ重要なことに気づいた。

「結果」にばかり言及せずに「設計」にも言及しようぞ、という話だと。これをつくりました、じゃなくて、こういう”意図”のためにこう組み立てましたという話。

(結局いつもの演出話……)

ユーフォで頑張る”作画じゃない”語り

これ、以前の「どうしてアニメファンは演出を語らないのか」エントリのときに、『響け!ユーフォニアム』第1話を考えながらツイートしたものなんですけど、なんか思わせぶりに書いてしまっているので、この機会に「作画じゃない部分(と私は思っている)として少し語ってみましょう。レッツガタリズ。

久美子達が部室から六地蔵駅へ移動したことによる効果

一連のシーン、シークエンスは部室から始まります。

響けユーフォニアム第1話
『響け!ユーフォニアム』第1話より

吹奏楽部の見学に来た久美子たち。経験者である久美子とサファイア川島は、部員たちのチューニングを聴き、吹部のレベルを感じとります。そして、高坂麗奈の登場をきっかけに三人は部室をあとに。

(ここからシークエンスが変わるため、明示的にBGMが挿入されます。ゲームのメニュー画面のような、明るめかつ派手すぎない旋律。このあとの「ダメ金」説明パート、北宇治吹部についての話のパートまでBGMは続きます)

響けユーフォニアム第1話
『響け!ユーフォニアム』第1話より

部室を出ると、天井の見える廊下の歩きカットがひとつ入りますが、ここでの話題は高坂麗奈および久美子との関係性で、まだ部全体への話には至りません。部室出た途端に「この部活、ヤぁバいね」なんて言ってたらシメられちゃいますしね。

そして、六地蔵駅前の横断歩道に場面が移ると、青い空が入り画面空間の広がりが増します。

響けユーフォニアム第1話 響けユーフォニアム第1話
『響け!ユーフォニアム』第1話より

学校の外へ場所を移したことによる開放感は、そのまま部室(吹部)から放たれる「濁り」と距離をとった久美子達の心情にも重なります。

この時点ではまだ明らかにはなっていませんが、二年生がごっそりと抜けたことに起因する部活内の不和・士気の低さなど、北宇治の吹部が抱える問題、部内に漂う薄暗さや閉塞感。それが濁ったまま溜まっている部室。

そんな部室もとい吹部との対比として、しがらみも停滞もない久美子たちは明るい場所(明るすぎる場所)に立っています。まだ正式な部員ではない三人だから、という意味の「外」でもあるかもしれない。

露出オーバー気味な画面も対比の色付けに一役買っています。

 

この明暗の対照差を大きくするためには、踊り場や下足ホールなど単に「部室から離れた場所」という条件だけでは明るさを取り込めず不十分、というか効果が小さくなってしまう。それならばと、自然光である日が差すような明るい場所──学校の外に出る演出プランの選択をしたんじゃないかと思うんです。たぶんね。

これが「下足ホールじゃなくて六地蔵駅まで舞台を移した意味」です。

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押しボタン式の信号機が示す北宇治の現状

響けユーフォニアム第1話
『響け!ユーフォニアム』第1話より

六地蔵駅まで場所を移した三人。話題は北宇治吹奏楽部全体の印象へと切り込んでいきます。

サファイア川島が「思っていた以上に……その、」と口をつぐんでしまうくらい、北宇治の吹奏楽部はとてもじゃないが全国で奏でられるような域には達していない。

そして、言葉尻を拾う久美子が「上手くないよね……」と言った瞬間にかぶせた押しボタン式の機械!(名称不明)

ここですよ。

響けユーフォニアム第1話
『響け!ユーフォニアム』第1話より

この押しボタンこそが北宇治吹部の現状だって語ってるんですよ。

ともすれば単なる風景の一つを挟んだ箸休め、エスタブリッシングショット、カロリー調整のカット……のように見えますが静止画は手抜きとか高々に騙る人にはそうとしか見えんでしょうな)、ちゃんと大事な意味があって、「押しボタン(式の信号)」ってのは自発性が試されてるんですよ。

(意思を持って)ボタンを押さないといつまでも前には進めないわけです。

そんな画とともに現在の北宇治吹奏楽部を久美子が語る。

停滞、堕落、自主性のなさ、人任せの甘え体質──を突きつける辛辣さというか、非情に満ちた画面をワンショットで見せるのがこれまた良いなと思います。

これが「押しボタン式の信号機に寄る残酷さ」です。

北宇治の未来を暗示

響けユーフォニアム第1話
『響け!ユーフォニアム』第1話より

久美子は「信号、なかなか変わらないね」とつぶやきます。まさに停滞している北宇治高校吹奏楽部が信号の赤と重なるではありませんか。

押しボタンを押さないと向こう側に渡れない(現状が変わらない)と気づいたサファイアは、自発性を発揮し、ボタンを押します。迷いなく。

響けユーフォニアム第1話響けユーフォニアム第1話 響けユーフォニアム第1話
『響け!ユーフォニアム』第1話より

信号は赤から青(緑)に変わり、それは北宇治の未来すら暗示するものになる……といったところでひとつのシークエンスの切りどころを示すように、BGMもトニックに落ち着いた着地をみせる。

言語外言語こそが演出領域である

見学会からの帰路という変哲もない日常の一場面のなかで、吹部と久美子たちの対比、吹部が抱える問題の提示、の両方をやってしまうってのが演出のすごいところですね。

『響け!ユーフォニアム』第一回
「ようこそハイスクール」

脚本:花田十輝
絵コンテ・演出:山田尚子

見事。

以上、作画じゃない部分語りチャレンジでした。

おしまい。

関連リンク

『響け!ユーフォニアム』公式サイト

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