みなさん、「愛」足りてますか、つって。
久々に映画館に行った。久々にうっかり涙ぐんだ。うっかり「最高」を発しそうになったけど、また照れが勝ってしまった。私、涙あげちゃった勢なのでね(うまくない
そんな感想文。
本作の『さよならの朝に約束の花をかざろう』には、P.A.WORKS、rionos、riya、石見真菜香、川井憲次と、好きなものが詰まっている私得案件なのである。当然足も軽い。
そして最大の中核──岡田麿里に対しても、アンチまでいくような気持ちはない。TVシリーズで名前をお見かけしても視聴をやめたりはしない。ハンバーグ注文したらミニトマトが付いてきたけどまあ出されたし食べなきゃな、くらいの感じ。しかしこのトマト腐り知らずである。
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ちなみに、あの迷作の『迷家-マヨイガ-』ですが。
自分でもなぜかわからないですが、けっこういけました。説教臭さがうるさくなかったというか。最後のオトし方も意外性があって、たぶん、この評価って少数派のそれなんで、ハナからこいつとはセンスが合わんだろうなって思ってもらってもいいです。迷家がオッケーな人間の『さよ朝』の感想です。
そこんとこよろしくお願いします。
エンドロールで立ち上がるんじゃねえぞ……
公開初日お昼の2本目でしたが、土曜日ということもあってかそこそこ入っていたように思います。ただ満員ではなかった。
初日に来るくらいだから気合&配慮に長けた人が来ると思ってましたが、本編までの予告編にいちいちしょうもないツッコミ()入れるおっさんがいて萎えましたね。ああいうのは何なんでしょう、自分が面白い空間を作れていると思ってるんですかね? ええ?
ブログで呪いの言葉を吐こうとも、ああはなりたくないっす。
まあ映画とは別のところの、場外の話してもしょうがないんで、本編の話を中身が損なわれない範囲でさよ朝を「推して」いきたい。
そうです。
私、この映画観てよかったと思ってます。
1800円払って後悔してません。はい。もっかい観に行く所存です。1000円で冒頭30分(マキアが追っかけられるシーンから農村パートなど)とラストから20分が観られるならそのプランが良いです(おい
監督として一本目という言葉遊びは抜きにして、
「岡田麿里の最高傑作」には嘘偽りなしだと思います。
心のトップスピード観測しました。
以下、ネタバレ方面の免責とか配慮について。
冒頭二十分でわかることについても書いていいのか若干とまどいがある。物語としてはまだまだ出発点なのだがトレイラーでは大多数が読み取れない部分でもあり、それどころか大事なことを隠しているのは視聴後の人間からすれば明確で、一種のミスリードを敷いているわけだがそこを書くとネタバレになりかねない。ネタバレ認定されかねない。
「ネタバレすんなよ」の声が怖いわけじゃないけど(怖い)、提示した情報からある程度の予想が出来上がると、いざ鑑賞したときにその予想が当たったにしろ外れたにしろ、感動する機会の純度を奪うことになるんじゃないかって危惧がある。(以前もこんな話をした気がする)
もちろんそんな情報だけで作品のパワーを損なうわけじゃないですし、オチや見どころを聞いただけで観た気になったり読んだ気になったりするのは半人前がすることですよ。
結果が全てじゃなくて過程が大事だなんて言葉は映画のためにこそある話かもしれない。わからんが。
なので、(身勝手ですが)少しくらいは情報が入ってしまっても受け流してほしい。
岡田麿里の脱臭に成功
これ、『君の名は。』公開時のムービーウォッチメンで宇多丸氏が言ってたことの引用なんですけど、まあ汎用性が高いのでよく使ってます。
本人の望む望まないに関わらず、岡田麿里の代名詞になりつつある、しつこいくらいの「人間の泥みの部分/澱みの部分」にまつわる表現っていうのが”鼻につく”人はけっこういると思う。
私の場合、気に入らないのは、なんというか、「人間臭さってこういうことでしょ?」というスカした撒き餌をいただいてる印象をときおり受けるからで。デリケートな部分に肉薄しました、アーティスティックでしょ? みたいな。人間の心は炎色反応じゃないんだ、そこを間違えんじゃねえぞ……。
『心が叫びたがってるんだ』における「脇もちょっと臭うし」というセンテンスをいまこの場面に入れてくるのか、という戸惑い。ここに挟むのがオシャンティか何かだと思っていそうなところが徹底的に合わない。戯画的ってそういうことでもないと私は思う。
「君たちこういうの好きでしょ? …私も、だーいすきっ!」
なら一向に構わないんですけどね。それはもはや作家性を超えて人間性なので「観客の心の動きはここでうんぬん……」とかの演出の教科書読み漁った感じの映画の設計図は全部取っ払ってくれたみたいでかっこいいんです。
(何を言いたいんだ私は……。またもや見切り発車だ)
この人間臭さへの執著ってのは、
岡田監督のなかの、潔癖症というか理想癖の裏返しなんじゃないかと最近は考えるようになりまして。人間は綺麗な存在である(あってほしい)という「理想」が監督の根底にはあって、でもその性善説はどう転んでも幻想なのである……そんなぐるぐるした挙句の反動が人間の汚い部分を描く衝動になってるんじゃないか。汚い人間ではなくて、人間の汚い部分。究極、人は変われるという希望と余地を残しながら。
現実は汚れてるからせめてフィクションに理想の余地を投入するってのはすごい共感できる。(一方的な自己投影)
……。
とにかく「こういうのが人間臭さなのだ」っていう成分が──「これが生きてるキャラなのだ」って押し売り加減が、割と本作は薄かったかなと。鼻をつまみたくなる感じはあんまりしなかったです。そういう意味での脱臭の成功。
これは反証的に、あるいは背理的に人間の汚れを書くことで世界の美しさを対比さながらに訴えてきた岡田麿里のいままでからは一転させて、岡田麿里の「理想」のみに全振りした結果(堀川Pがいうところの「岡田麿里100%」)なのかなと。
いささか持ち上げが過ぎるな。
重い女は持ち上げるのが辛いぜ。なんて。ははは。
女のヒステリー
あとはいつもの”舞台やないねんから”ばりのアジテーション芸が控えめだったことも良かった。ヒスってる原因がよくわからない女や男が出るとね、テンションが下がるんですよ。もしかしてシュアリーなのかなとかくだらんことを考えちゃう。
でも今回はそうじゃなくて、ちゃんと怒る理由が私にも分かる。そらこんな困難に直面したら自暴自棄にもなりますわいなって。素直に感動する。
まあ、あのバーの女店主は、ね……。社会を風刺したいエゴが押さえきれずぽろっと漏れた瞬間としてはけっこう面白いから良いんだ。公私混同というか。いきなりあの瞬間だけ舞台がファンタジー世界から現代の日本になるって歪さが。
それは抜きにしても、クリムの行動関連はあんまりよくわからなかった。あのあたりは実はもっと尺が長かったんじゃないかと思うくらい切れ切れ編集っぽくて、戦争パートはあんまり面白くない。やっぱり群像劇とか書けないんだなーって再認識しました。
あの出血マッチカットは水を差すギャグとして受け取っておこう。命がひとつ消えて、同時に一つ増えたのだ的な解釈だとは思いますが、にしても……ふふふ。
今回は下品なところがない。それがいい。
石見真菜香の演技
いやあ良かったです。声優アワードで新人賞に入れたくなる気持ちがわかってもらえたんではないでしょうか。
未熟で、うまくいかなくてグズって、弱音を吐き出すめんどくさい女(でもヒステリックに高音の奇声ぶっ放すタイプじゃない)──聖母マキアを完璧に演じてたんじゃないですか。ほんとに百点。あ、聖母マキアは言いすぎました。
なんていうか、誰だってあそこで弱音吐いちゃうよなってポイントが。ほんとに見てて困難で。歯がゆくて、しかし気持ちよすぎて。「ああ、”まんまに”だなあ。まんまに脚本に心掴まれてるなあ」って思いながら観てました。最近ね、『ミイラの飼い方』『学園ベビーシッターズ』なんかを観るとほろっとしてるんです私。だいぶ弱っている。ははは。
一瞬が映画を輝かせる
まとまらなくなってきた。
映画を減点方式で評価してもまあ別に悪いことではないんですけど、「マイナス10点がついてるから、イコールいい映画とはいえない」みたいなのは乱暴すぎると常々思ってて。脚本もだめ、照明もだめ、音楽もだめ、演技もみんなひどい……でも、最後の、(”最後”に限らず)ここのやりとりだけは最高に輝いてる。ここだけで私は救われた。そんな映画もいっぱいあると。
『魔法少女まどか☆マギカ』がタイムリープものとしてどんだけコスられてきたテーマであって新しさとは無縁だと足蹴にされても、「一人ぼっちは寂しいもんな」だけは僕らは否定できないだろうと。
(カルチャー論によく見られる勝手に読者を巻き込んでくる系でかい主語の”僕ら”なので気にしなくていいです)
そういうひとつ、『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストのカタルシスに似た高速で回収されるひとつの愛を知るために、背景から音楽から原画からを積み上げていったわけですよ。
『さよならの朝に約束の花をかざろう』を観てほしい
観た人が興奮気味に発する「観るべき!」だとか「観ないと損!」だとか、こういうのって「お前のバックホーンも知らんのに押し付けがましいな」と距離をとったり温度差で壁を生みがちなので私はちょっと方向を変えてみました。
観てほしい。
そして思ってほしい。
「観にきて、よかった」(キービジュアルのパクリ)
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