アニメ・映画の倍速再生とAudibleの倍速再生の違いを考える

アニメや映画の倍速再生鑑賞の話題を見るたびに、「せっかくの料理をかき込んで飲み込んで、それで旨いんか?」「ベートーベンを倍速で聴いて、なにか心に感じるんか?」というスタンス及びお気持ちを表明していたのに、この間「Audible」の無料体験キャンペーンで書籍を読み聞かせしてもらっていたらあまりの喋りのノロさに耐えられず、1.4倍くらいの速度に切り替えて聴いていました……というのをまず告白します。

めでたく私は倍速再生賛成派に宗旨替えしました、とは口が裂けても言えないですが、(勝手に)禁忌としていた倍速再生に手を出した自分を正当化するために少しいいわけを考えてみます。

何がタイパだ、リスケしろおらああ
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ビジネス書から得られるもの

Audibleではビジネス書を聴いていました。

「1分で話せ」みたいな営業指南の本が収録時間3時間40分超えとかになってて、自己矛盾に耐えられず時の狭間に迷い込んだりしないのかなと思って聴きはじめました。序文が5分ある。

ビジネス書を読んで私が摂取するものは「情報」です。ラーメンハゲは読んでないから、これから話す発想が被っていたらやや申し訳ない。

アニメや映画は「芸術」です。作中に存在する行間──テンポ感や無言の間は重要な芸術の構成要素であり、それらが心の感動に貢献します。

倍速鑑賞を許容できるできないは、「芸術を摂取する」観点と「情報を摂取する」観点の違いにあるのだと思うのです。

情報の伝達に「最適なスピード」は存在しない

一方、私が読んでいた書籍(ビジネス書や実用・啓発書)の目的は情報の伝達にあり、理解度を向上させるために整理された間は絶対的な必要要素ではない。言い換えると、書いてあることを理解吸収することが私に優先される命題であり、インポート・エクスポートのスピードや手段は私の処理能力に合わせて可変しても構わない。

最適なスピードは存在しないし、最適なスピードしか存在ないのです(???)

たぶん、授業のスピードを個人の能力に合わせるのと同じことだと思うんです。

授業で教師(または講師)から生徒に伝達するのは、化学反応式の仕組みであり因数分解の解法であり産業革命の意義です。4つのフレームワークがどうだとかPREP法の活用だとか、スピノザはこういうことを考えていたようだという情報を早く処理する行為に「芸術」が介入することはない。よって、倍速吸収も許容ができる。

そこには伝達の技術がある以上、芸術性を評価することは可能だとは思うがそれは別の話

テンポや間がもたらすもの

もう一度、映画の話。

カポーティ』のなかの、手紙を受けとって、処刑場を訪ねようか訪ねまいかと悩み逡巡するカポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)の思考を見守る時間というのは短縮できるものではない。漂流ポストを前に手紙を持つ自分と向き合う様はオンタイム以外はリアルじゃない(『漂流ポスト』より)。

こういった「間」や「テンポ」や過程の内容を蔑ろにしてしまう倍速視聴は芸術を摂取するには不向きだ、と私は思っていたし、いまも思っています。

悩んでたけど結局行ったねとか、最終的にはポストに入れたねとかそういう最初と最後だけ知ってもしょうがない。それは情報を得ただけ。Liveのセットリストを知ったのと、実際に現場で空気の振動を感じたのと同じくらいの開きがある。

小説(Audibleだとかたちは朗読)は倍速でなく等倍で聴いていたのは、物語には情報の伝達以外に芸術性が介入する余地があり、間がもたらす表現(=倍速で失う表現)が確実にあったからです。

私が倍速を受け入れられる場合と受け入れられない部分、または実行するか否かは、こういった基準があるんだと思いました。俺がルールブックだ。

よって、Audibleのビジネス書の倍速再生は無罪を主張します!

 

いやあ、けっこう都合のいい、それでいて詰めの甘い自分本位の解釈を披露しております。

そんな感じで〈アニメや映画の倍速再生とAudibleの倍速再生の違い〉という話でした。

オシマイ。

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