『惑星のさみだれ』第13話を観ていた流れから、いままで書かずじまいだった「カメラの位置とマイクの位置は同一化しているというのが普通だと思っているのだが、そうでもないのか?」問題について思っていることを書きます。ネタが無いときは不満をきっかけにするのがいいらしい。
カメラは擬似的な視聴者の目で、マイクは擬似的な視聴者の耳です。
超高度からの俯瞰や、壁にめり込んだりと人間には不可能と思われる挙動もみられますが、基本的にはカメラは視聴者の目を通したものとして受け取っています。耳も同じことが言えます。音の拾い方のニュアンスは左右の耳を基準にしています。花火の光に遅れて音がやってくるのを再現しているのも同じ思想から来ています。
要するに、そこに視聴者は観察者として存在しているのだ、という暗黙の了解があるわけです。そうやって作品を追っていきます。
しかしときたま、「カメラは場所を移動したのに、マイクは追いついてない(その場に留まっている)のではないか」というカット割り・カット繋ぎを見かけます。映像を観ていてそういったカメラとマイクの乖離が出てくると気をもみます。
その耳、誰の耳?
実際に参照するのが早いでしょうし、『惑星のさみだれ』第13話です。配信の環境がある方は実際に観たほうがさらに早い。
学校から帰宅途中の女の子・花子が、商店街のおばちゃんおじさんと会話するシーン。台詞は一字一句正確じゃないですが、だいたいこんな感じです。
おばちゃん「おかえり、もう学校行ってるの?」
花子「ははぁ……(固い作り笑顔)」
「無理して笑顔作らなくてもいいのよ。ゆっくり元気になってね」
「……(お辞儀をして横を通り抜ける)」
花子が去ったあとに、二人でこんな会話をします。
おじさん「ちきしょうなんで太郎が……」(※太郎は花子の幼馴染)
おばちゃん「泣くんじゃないわよ、一番泣きたいのは花子ちゃんなんだから」
という流れのシーン。屈指のいいシーンですね。
カメラが移動したらマイクも移動するもの
重要なのはふたつのカットの繋がりなので、いまから下のふたつのカットを、カットAとカットBと定めます。
↑こっちがカットA。水平アングルでおじさんおばちゃんを撮ってます。FIXです。
こちらカットB。前進する花子と一定の間隔をとりつつ後退するカメラ。顔は映さず、後方にいるおばちゃんおじさんも捉えている。FOLLOWです。
カメラのポジションは、カットA → カットBで変わっています。
ここまでは分かりますね。
問題にしたいのは、カットBのときのマイクはどこにあるのか? ということです。カメラと同じ位置にあると考えていいんですか? いいんですよね? という感じ。
マイクが拾った音は、マイクに近い人間も聞こえてると考えるのが「普通」?
花子よりも手前に存在するカメラと同じ位置にマイクがあることから、「一番泣きたいのは花子ちゃんなんだから」というおばちゃんの台詞は、視聴者が受け取るボリュームで花子の耳にも入っている、と解釈するのが一般的というかスタンダードな受け取り方ですよね。マイクがカメラと同じ位置にあるなら。
ということはこのシーンは、「花子は聞こえていたけど反応しなかった」様子が描かれたシーンとなります。シーーーン、なんつって。
でも、なんだか腑に落ちない感覚があります。ほんとに無視しているだけなのだろうか。
カットBは意図的に顔をフレームから外していて、表情を映さないという作為は感じます。しかし、いまいち伝えたいものが伝わってこない。判断に迷う。演出を汲み取れず申し訳ない。
カットBの後も、花子がはたして聞こえていたか聞こえていなかったのかは絵的にも台詞でも明言されていません。
だからもしかしたら、聞こえてないパターンもあるんじゃないかと。
カメラでキャラクターを挟まないようにする
有力なのは聞こえているが反応しないのほうなのですが、もしも実際の状況が「花子には聞こえていない」だった場合は、これは演出ミスにあたるんじゃないかと思うわけです。
おじさんとおばちゃんの二人にしか聞こえないレベルの会話で、花子には聞こえていない、というのが実際に起こっていたことの場合、カメラを花子の前に持ってきちゃ駄目だと思います。
「マイクがここにあるってことは、花子にも聞こえてるって……こと?」を防ぐために、カットAの次にくるカットは、遠ざかる花子を見送るようなショットにする。カメラは二人の近くにあって、花子とは距離を空ける。そして、ボリュームを適正に調整する。
カメラ–おじおば——–花子
あるいは
おじおば—————–花子
/
カメラ
みたいに配置してほしいのです。引用符の無駄遣い。
これなら「これくらいのボリュームなら花子のところまで声は届きそうにないな」という判断が容易になります。
どうしてもカメラを花子の前に持ってきたいなら、
- 会話のやり取りのボリュームを最初から抑え、最後にはフェードアウトさせる
- 聞こえていないとはっきりとわかるリアクションの絵を後ろに1枚入れる
というフォローの対応が必要だと思います。
しかし「聞こえていないとはっきりわかるアクション」というのもまた難しいですね。リアクションがないから聞こえてない、もありなのかもしれませんが。
聞こえているが聞き流しているだけ、というのが実情でしょう
聞こえていて反応しない、ボリューム的には聞こえているが考える頭になってない、という可能性もあります。花子は感情の起伏が小さいというキャラクターだから、わかったようなことを言われても感情的にならず聞き流す行為は不自然ではない。
この場合でも、表情が一枚あればなあと思います。
感情が出にくく捉えどころのないキャクターをうまく描写するのは難しい、というキャラクター設定上の制約もありますね。うまく描写できるならそれは”捉えられた”わけで、捉えどころがないのほうがブレてしまいかねない。この辺りは画力・描写力が重要で、別の例でいうと「殺されてもいい、と思えるほどの美しさだ」と口では言っても視聴者にはとてもじゃないがそうは見えない、というズレが『惑星のさみだれ』には多々あります。
落ちながら戦っているようには見えない、というあれを思い出します。
そういうことを久々に思い出すきっかけになったので、ここでメモしておきます。『惑星のさみだれ』については、悲しいアニメ化だなあと思っています。
そんな感じで〈マイクがカメラのそばを離れることはあるのか〉という話でした。
おしまい。
コメント,ご意見など (中傷発言はNO)