この記事をDropした翌日、入江泰浩監督にRTしていただきまして……(アセアセ
記事で触れているスズメを挿す演出は、シリーズ構成・脚本である倉田英之氏のお仕事(アイデア、だろうか)であることも教えていただいた次第。
この記事を書くにあたり、原作との差異をまず調べるべきでした、と反省。
- この演出って原作にもある演出なのかな? 確認してみよう
- なるほど、原作にはないな。じゃあ、アニメスタッフのアレンジだな
- 監督自身、絵コンテも数回かいているし、この方の発案なのだろう(ここでミス)
- 記事にする
これが理想的かつ正しい流れだったはず。
作業をはしょったせいでもったいない結果になりました。こんな後出しジャンケンみたいな言い訳も書かずに済んだのに……。
で、確認してきました(@漫画喫茶
やっぱりスズメ出てませんでした。
あと第6話の暖色と寒色の演出話ですが、そもそもコミックなので色なんか付いてませんでしたよ。読んでて気づきました。ははは。
正直なところ、じっくりと画面を観てもこれが演出の仕事なのか脚本の仕事なのか、判断できない場合が多々あります。今回もそうでした。演出さんのお仕事とかは特に何に作用しているのかわからない。「仕事」とあらわした反面それは「責任」も一緒についてくるわけで、いわゆる”戦犯探し”の材料につながってくるんだと思います。でも、そこが私はいまいち見極めがきかない。
ともかく、おすすめできるいいアニメだから、みんな、観れ!『R.O.D』も一緒に観れ!
スズメ+メタファー=スズメタファー!!
アニメ『灼熱の卓球娘』では、主な舞台が”雀が原中学校”ということにかけて、スズメを用いたメタファがシリーズを通して度々使われていました。
今回はそんな話。”スズメタファー”はさっきテキトーに私が名付けました。
「メタファー」という隠喩表現
メタファーというのは、対象物を擬似的なものに置き換えた表現のことを指す隠喩表現。
最近では受け手の想像力が増すあまり(ようは深読み)、作者の意図以上のところで創作や表現が歪曲されて受け取られているような傾向が見受けられますね。
大きく話題になったところでは、『響け!ユーフォニアム』シリーズについてとある女性がツイートした──
「男根の代わりにでっかい吹奏楽器と絡む」や「ギターは手で触れて終わりだけど、吹奏楽器だとお口で咥えるでしょ。京アニ、露骨に狙ってます」
──といった、もうどこから手を付ければいいのかわからないような拡大解釈には驚きとともに苦笑いでしたよ。もうほんと、京アニ出身小泉くんの台詞を借りるなら「困ったものです」とでも言いたいところ。
その後、「吹奏楽器は男根のメタファー」なんて言葉が独り歩きしていきました(本人がそういったわけではないのですが)。非常に残念。
久美子のユーフォを指しての発言なのかあの子のチューバなのか怪しいところですが、そもそもユーフォニアムやチューバは”咥えて”ないんだよ。そのあたりもう少し勉強してから呟かれては? なんて思わなくもないですが、個人の受け方や楽しみ方にはとやかく外野が言うことじゃない。
『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』より
観る人によっては「これは射精のメタファー」とか言うんだからもうほんと何も言えない。苦い話題はこのあたりにして、メタファの説明についての詳細は飛ばしましょう。
では予備知識もついたところで、一緒にどきどきしましょう。
『灼熱の卓球娘』第1話のスズメ
朝練のため早朝に学校に着いたあがりとこよりが出会うシーン。
1人で通うあがりに対応したスズメが1羽。
そして門にまたがっているこよりと遭遇します。ここでスズメが1羽増えます。
このカット、おそらくこの時点でのランクも加味した配置ではないかなと思います。画面上があがりスズメなんですが、この時点ではまだ上に(あるいは前に)いる。なんとなく警戒しているような視線をこよりスズメに向けている。
こよりスズメが前傾姿勢でほんとに若干ですが頭が低い。これはお辞儀をする こよりとのシンクロ。対して、身体をまっすぐに立ったままのあがりとあがりスズメ。
その後、部室へと移り2人は”軽く打つ”ことに。
しかし白熱しはじめた こよりにあがりは若干の苛立ちを募らせる。対峙する2人、そして無意識ながら少し距離をとるあがりスズメがインサートされる。
いい!面白い!
『灼熱の卓球娘』第2話のスズメ
冒頭。ランキングをのぼりつめるこよりに焦りを感じつつも朝練に向かうあがり。
これを崖っぷちと捉えるのはいささか深読みだろうか。トップだと思っていたら実は崖っぷちだった、なんてソビエトジョークみたいな話である。
第2話はここだけだったと思います。
『灼熱の卓球娘』第3話のスズメ
さて、実は2話が終わった時点でこんな記事を書いておりました。
そこでこの作品の方向性や性質についてちょい語ったんですが、第3話で気づいたのはこの物語は”上矢あがりのワンサゲン(once again)物語”でもあった、ということ。
もうひとつ第3話で気になったのは、こういったスポーツものではよくある視聴者への解説ポジションの会話ターンと実際に進行している競技側のタイム感の差はどうにもならないのかなーという点。ドリームス投球問題とでもいいましょうか。これはアニメーションに表現が移ると顕著に浮き出る。はじめの一歩ラウンド問題でもいいんですが。
閑話休題。
ついに始まったランキング1位決定戦。
こよりとあがりの間には(一方的に)大きな溝が出来上がっていた。
しかし試合をはさみダークサイドから復帰したあがりは互いに下の名で呼び合うようになり、二人の間の溝は氷解したのでした。よかったよかった。
3話はエンディングが特別編成。あがりのワンサゲン物語がダイジェストで。
もうね、ほろっと来ましたよ。ようこそ本気の世界。ようこそプロの世界。私ももう一度頑張るよ。
第一部、完。
『灼熱の卓球娘』第4話のスズメ
体育館の板目、細かいなあ。めんどくさそうだなあ。
第4話はスズメが確認できませんでした。おおう……。
『灼熱の卓球娘』第5話のスズメ
画はそのままにOPとEDの楽曲が入れ替わる。このアニメは挑戦が多い。
共に89秒サイズだから入れ替え自体は不可能ではないんだけど、これの登場以降さらにアニメOP、ED映像に新たなハードルが持ち上がったような気がする。ジョジョ(ダイヤモンドは砕けない)のOPもバイツァ・ダストとシンクした演出がなされていて大変面白かった。
アニメスタッフの方々のとめどない進化への探究心にはただただ賛辞をおくるばかり。
第5話のCパートにて。ミーティングにて練習試合のお知らせ。
大勢の部員とスズメ達。左の縦並びの二羽が三年生コンビ、残りが一・二年生という配置。
このタッチがねえ。要所で効いててかっこいい。出崎 統的ハーモニーでしょうか。
これは第5話。ハーモニーはたびたび出てきましたね。
これも。止め絵&ボイスオーバー。
でね、止め絵を入れるタイミング。こよりの歩くことによりひとつテンポができますね。たんたんたん、と。足が地面につくタイミングを表拍とすると、止め絵を挿すのはそこ(表拍)とはずらしたタイミングにする。そうすることによりスパっとした切れ味が得られるわけです。おそらく。しらんけど。
『灼熱の卓球娘』第6話、寒暖の色彩演出
ちょい寄り道して暖色寒色による心情演出もひとつ。ほくと&ハナビにフィーチャーした第6話。
回想がセピアなのは省略。しかしこのありがちな”回想セピア”をただのセピアで終わらせないのが絵コンテ:かおりのテクニック。
なんだかんだ同い年の子とかいて学校は暖かいところなんですよ。だから暖色系。
しかし家に帰ると……
世界に一人。クラスメイトと遊びに行けず店番をする子供ほくと。寂しさMAXの寒色が世界のすべて。尾崎放哉ふうにいうと「お客が商品を倒しても一人」。ちょ、待てよ。片付け手伝ってよ。
そんなほくとの境遇ですが、ハナビと出会い少しずつ変わる。ハナビは周りを暖かくする女の子なので。
帰り際にまた”一人”を感じて冷たくなるほくと。とおもいきやの「呼び捨て……!」
このことによってほくとの世界は明るいものに広がっていくのですよ。
なんでしょうねえ、『ベルリン・天使の詩』を思い出しましたね。
そしてそして、現在に戻りまたもやデジャブのようにお客さんが商品を落とすわけですが、もうそこに”一人”を抱えるほくとはいなくて、友達がいっぱいのほくとになっている。やはりそのきっかけ(中心)はハナビなのである、という良いシーン。
世界はこんなにも色鮮やかなのだ。
第六球「ともだち」
脚本:倉田英之 絵コンテ/演出:かおり
Bパートはじめの7拍子のBGMがいい。今作はBGMが素晴らしい仕事してました。
『灼熱の卓球娘』第7話~第10話
もず山中との練習試合編に突入。ややテーブルテニヌと化してきた卓球娘ですが、スズメタファーが久しく出てきませんねえ。どうしてでしょう。
ずばり、物語の舞台が「雀が原中学」から「もず山中学に移動したから」ですね。スズメタファーは、雀が原中学のなかでのみ発動する法則なのです。
なので第10話まではお休み。
『灼熱の卓球娘』第11話のスズメ
さて、舞台は再び雀が原中学に。合宿所への出発を前にそわそわとはしゃいでおります。
あの腹話術っ娘はなんだったのか?
『灼熱の卓球娘』最終話と結び
あっというまに最終回です。チャッチャラッチャ♪
ともあれ合宿中なので、法則通りスズメの登場機会がありません。
と思っていたら、EDにて再び雀が原中学に。
スズメが6羽!
言わずもがなレギュラーの6人です。大空に飛び立つ6羽。太陽に向かって行くスズメはイカロスよろしく不吉な暗示でもある。二期はないのかもしれない。
しかし私はこうも思う。
太陽こそ灼熱の象徴ではなかろうか?
月とピンポン玉が似ているように、太陽もまたピンポン玉に似ているのだ。だからラストカットも太陽だったのだ。
そんなことを思いながら筆を置かせていただく。
ありがとうキネマシトラス。ありがとう入江泰浩。
ありがとう倉田英之。
おしまい。
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