『転生したらスライムだった件 転スラ日記』 にかけて、「日記」と題してみましたがそれ以上の意味はないです。もちろん保護観察的な意味合いも入ってません。そんな発想すら畑違い。
以前、江畑諒真のカメラの振り方には特徴があるという話をしました。
引きで撮ればよいところを”わざわざ寄ってカメラを振っている”ように撮るクセが氏にはあって、その理由は「キャラクターの奔放さをカメラが追っているのではないか(その表現じゃないか)」という理論も破綻ぎみの重心がふらふらした着地で終わらせた、書きっぱなしジャーマンな記事でした。
お暇なら読んで下しあ。
その後、『星合の空』のエンディングと『ライフル・イズ・ビューティフル』のエンディングが、氏のお仕事として近いタイミングで世に出ることになり、世間は騒ぎになりました。時期でいえば2019年の10月~12月です。
当時、『星合の空』のエンディングを観たときに、クレジットに江畑諒真の名前を見つけるまで気が付きませんでした。「本当に? にしては、ぽくないな」と思ったものですが、それもまあ正しいと言えなくもないのかな(なんの話をしているんでしょう)。
星合のほうの江畑EDをようやくちゃんと観れたんですが、なんとも形容しがたいモヤモヤがあるというか、TLでの前情報なりクレジットなりがなかったとしたら、自分はこの映像を観て江畑諒真だと確信できたかなって疑念がある。私の江畑センサーも、こんなものか……
— 折田(兄).exe (@orita_no_ani) October 20, 2019
それよりも同時期の『ライフル・イズ・ビューティフル』のEDと合わせて私が感じていたことは、
ということでした。
たまに来ると言われている「FIXで描きたいモード」なのかしら
あくまで推測ですが、同クールに放送されていたことから、ふたつのエンディングの作業時期もある程度は重なっていたんではないかと。平行で作業を抱えて進めていたのかもしれない。
で、FIXで描きたいモード。そんなもの実際にあるかわかりません。嘯かないように。
固定アングルのことを「FIX」と呼びますが、『星合の空』のエンディングはずっと水平レベルのアングルで撮られていて、ハンディカメラを使ったような氏の印象的なちょいパン(カメラの横振り)がない。
端的に言うと、らしくない。
モードの変化というと大げさなんですが、江畑1人作画(動画あり)であり、演出が画面に色濃く出てもおかしくないはずの『星合の空』と『ライフル・イズ・ビューティフル』のEDにはそれがない。ブックが横になびいてカメラがスライド、はあったけれど。
FIXになった理由を詮索する
考えられる理由はいくつかあります。
- 納期が重なり、カロリーが重い「カメラワーク付きのアクション」は避けようとした(消極的なFIX)
- 初期段階で「ダンスをする」構成は決まっていて、個人or2名のダンスを見せるなら正面からの定点カメラが見やすい、だからFIXになった(積極的なFIX)
以上、いくつか(2つ)。
とすると、江畑諒真のなかでFIXでやりたいモードになってきた、というよりは外的要因から選択できる案としてFIXを選んだのかもしれませんね。
新しいアクションを研究中?
重心の移動と反動アクション自体はライフルのほうでは描かれているので、カメラがキャラクターに寄るだけで(「だけ」といってもタイムシートなど作業の複雑さは増す)、カメラを振る必要性を生み出すことはできるんですよ。でもしない。
それをするとまた「いつもの江畑のやつ」と受け取られてしまうから。
もう随分前から、「求められてるからやってるけど、もうこの動かし方、飽きてんだよね。いつまで騒いでんすか」という邪推を抱いたりもしています、私が。そんな簡単に自分の武器を捨てるもんかなと思ったり、次に行きたい気持ちもあるかもしれないと思ったり、答えは知りようもないですが。
おしまいに:やはり勇みステップだったか
いつまでもまとまらないからいざ書き始めたら、たったの1200文字で書くことがなくなった。悲しい。寝よう。
そろそろ『転生したらスライムだった件 第2期』が放送されるでしょう。氏の新しいOPかEDが拝めそうでなにより。また何かに気づけたらいいですね。
……と日記には書いておこう。
そんな感じで〈FIXのカメラに感じるモードの変化など。江畑観察日記〉でした。
おしまい。
コメント,ご意見など (中傷発言はNO)