こんにちは。『ほしのこえ』が一番好きです。
『君の名は。』うっかり術中にハマり二回も観てしまった。だってあんな締め方されたら、ねえ。もっかい確認しに行かないといけない気になってくるじゃないですか。
過去作と地続きかといえばそうだし、”新海映画”はまったく別のものになってしまった、と言われれば、そうとも思う。どっちも頷けます。
劇場作品は全部観てきた私も結論はなかなか出せない。
条件つきでオススメするような作品でしたね。
あー、このタイプの客層なのね……
大阪は梅田、TOHOシネマズ梅田にて鑑賞。平日16:30からの回。
(ここに来るのはストライクウィッチーズ以来?)
「帰ったらそのままセックスしそうなカップルばっかりじゃないですか」
って、劇場に行った方のツイートほんとに気に入ってまして。ワクワクしながら観に行ったらまさにそんな感じでした。ソロで行った私の席の横、反対側横、後ろ、前列のスペシャルシートみたいなやつ……全部男女ペア。しかもヲタカップルとかじゃなくて、どちらかといえば体育会系っぽいの。梅田で観たから、というのも大いに関係してたでしょうが。
私としてはアニメ映画として観に行ったわけですよ、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』を観に行くような気持ちで。
しかし”こいつら”は「恋愛もの映画あるいは青春もの映画(※ただしアニメ)」みたいな感覚なんだ、ってそんな偏見にまみれてました。おかげで一回目も二回目も全然集中できなかった。
『だれかのまなざし』についての補足
前回のエントリで書き忘れていた作品がひとつ。
Web限定の短編なのですが『だれかのまなざし』というものがありまして。
そこで、新海誠という作家と作品に「これからもついていこう」と思い至った、いわば決定打的なものを見せつけられた会話がこちら。
パパ「あや、ご飯だよ」
あや「わーーい」
どうですか?
なつ「どう……とは?」
私も気づけば枯れはじめたおっさんになりつつあり、ご飯が”栄養補給”でしかないときもちらほらな年齢になりました。「今日の白米は美味しいな」と思うことはあれど、食事ができること・家族の団欒に対する感謝・喜びの感情が欠けてしまった。子供のときの私もそんな気持ちを持っていたはずなのに……。そういう忘れていたものを思い出させてくれた体験でした。
新海誠のなかにはそういった感覚がたぶんまだ残っている、ということが凄いなと。
ピュアとか青臭いとか未熟とか、言葉はなんでもいいんだけど。凄い。
私には出てこない会話表現だった。そこに痺れて憧れたり……。や、憧れはないか。
唐突に予告編をどうぞ。
立花瀧と宮水三葉による『転校生』かと思ったら、タイムリープものだった。
トレイラーの映像ではタイムリープの要素や糸森町でのできごとは意図的に読み取れないものとなっている。劇場でのお楽しみとして外したのか、ジャンルの提示により客層の足が遠のくことへの考慮から抜きとったのか、私にはわからない。可能性としてなくはない。十分ある。
ともあれ、RADWIMPSが歌う挿入歌『前前前世』というタイトルと「やっと目を覚ましたかい?」の歌い出しの歌詞でケン・グリムウッドの『リプレイ』を想起していた私は正しかったわけだ。慧眼慧眼。
ジュブナイルSF小説としてほんと名著なので、ぜひとも頑張って読んで欲しい。
結論から言えば『君の名は。』を劇場で観て損はしない
今回の作品は3Dでもないし、『ゼロ・グラビティ』ほど「家で観てもつまんないよ!!」的な映画では必ずしもないけれど、やっぱり大きな画面と広い音場で映画を観るって楽しいんですよ。広いパノラマのカットもたくさん出てくるし、引きの画も多い。そこは大画面で堪能しておくべきかと。
ただ、今回の客層はほんとに酷い。いらいらしちゃう。
2/2でハズレ引いたくらいで偉そうなことは言えないけど、大ヒットってことは多くの人が足を運んでるわけで、普段から映画観ないようなマナー軽視の人もたくさん来てる。いや、普段からあんな観方なのか。クソめーわくな連中だなおい。
なつ「はよ本編入れ」
良かった部分と悪かった部分が両方あるんですが、総合すると良かった部分のポイントが高くなったので、観ても損はないという結論に至る。
ただ、多くの人が感じるであろう”悪い部分(物語上、都合のいいできごと)”が引っかかる人はこの映画とことんダメだと思う。(すげー当たり前なこと言っちゃったよ。
『星を追う子ども』の敗因のひとつが尺の長さだと思ってるので、新海作品は95~110分くらいがベターだと思うんです。今回、エンドクレジットの時間込みで107分。このくらいのコンパクトさで良いと思う。
始めますか。ネタバレが嫌な人はこの辺りで──。
好意的評価ポイント
1.背景
特に『秒速5センチメートル』以降……だと思うが、新海誠作品はもう「とにかく背景が素晴らしくい」みたいなところがあるからそこは割愛したい。言うことなし(二つの意味で
それでもひとつ挙げるなら、瀧の体に入った三葉が初めて瀧の部屋で目を覚まして学校に向かうべく玄関のドアを開ける場面。ドアを開けると都会の風景がバーっと広がるんだけど、左にパンしていったカメラが最後に東京タワーをしっかり映す。
福岡でも横浜でもなく、東京に来た、というのが一発で分かる。やっぱり東京のランドマークっていったら東京タワーですよ。この丁寧さ、いいね。
ニューヨークに向かっているのがすぐわかる。
2.視線誘導
てっしーこと勅使河原が自室の窓に手をかけ三葉と四葉の舞の儀式を遠くから眺めるシーン。
部屋のなかを引き画で見せるこのショット。部屋の左側にアマチュア無線用の機械が置いてあって、電源のランプらしきものが薄く光っている。
これ、最初に観たときから気づいてて「あ、この絶妙なさりげなさ。後でもっかい使ってくるな。私ってほんと目敏いな~」なんて思ったけど、二回目鑑賞でよーく観察したら完全に視線誘導を喰らってるだけだった。
3.女の子らしさ
『前前前世』が静まってから糸森町パートに戻り、自室で目覚める三葉。
入れ替わりに気付いて以降、三葉はブラジャーをして寝るようになっている。このあたりの警戒心や恥じらい・貞操観念は年頃の女の子のそれが上手く表現されているところ。年頃の、というか”私達が好きになりたい女の子”像ですか。それを体現できている。
4.フード理論
フード理論についてはまた機会があれば話したいところですが、今回はざっくり。
三葉のおばあちゃんが、四葉に”昨日のお魚”を譲るという構図から、四葉がおばあちゃんに愛されている存在だということがわかる。これは、弁当を忘れた瀧(中身は三葉)に玉子コロッケサンド(だったか?)を惜しみなく与えてくれた司と真太の関係性も同様である。
早い話がサンジとゼフです。(ONE PIECE 第7巻を参照)
逆にレストランでいちゃもんつけてきたチンピラは料理に楊枝なんかを指しました。
善人はこんなことしない。
【要約】食事・食物への向き合い方や扱い方でキャラクターの人格は表現できる。
これがおおまかなフード理論のテーマです。
フードコーディネーターの福田里香さんが提唱しました。
5.アリアドネ的お助けキャラの回避
タイムリープものでは、リープ先の世界の住人でありながら、タイムリーパー(今作中では三葉や滝)の存在を認知する人間が時たま登場する。ドラマ『プロポーズ大作戦』での平岡祐太のようなポジション。
つまり三葉のおばあちゃんです。この便利な人物が色々と手助けをしてくれるパターンもあるけど、本作では気づきはしたものの発展はばっさりと切り、物語の筋道をより固いものにしていました。
6.キービジュアルの使い方
一度は目にしたことでしょうこのキービジュアル。
これにもうひとつ意味をもたせるシーンがあって、ここはグッと来ましたね。「そういやあ……」みたいな、ね。詳細は黙っておくけど。この仕掛けに気付いたときが私のなかのピークかもしれない。
『天国から来たチャンピオン』よ再び。
あのシーン。あえてボカしますが、あのシーンがきたとき、『天国から来たチャンピオン』を観ていた人なら誰もが頭によぎったと思います。
つまりは半分くらいおっさんである可能性が高いんだけども。
7.三葉がかわいい
首かしげ的評価ポイント
1.おしゃま娘に興味はない
口噛み酒儀式のあと、同級生にやいやい言われて落ち込む三葉に対して四葉が「生写真と口噛み酒を販売すれば爆売れ」的なことを、冗談なのかなんなのか姉に向かって言う。
(田舎の)小学生がそんな性的な分野の、かつニッチな市場を認知しているような発言は嫌だなあ。これはキャラクター作りのミスじゃないか? なんて。
そうは思いつつも、いまの時代って小学生だってそんなものなのかなあと思う自分もいる。
一応の都会に住んでいる私の体感で述べるが、スマートフォンを持っている小学生は珍しくない。少し飛躍的だが、それはエロに触れる機会があるってことだ。良くも悪くも、悪くも悪くも。
エロに触れる年齢の早さが人格構成に及ぼす影響がどうだとか、しっかり示さないといけない前提をすっとばすして少し暴論を書く。
昔からエロに触れる機会はなくはなかったけど、現代の──ネット社会全盛となったようなこの時代のアクセスの容易さは段違いだ。これは言い切っていいと思う。それはエロが余りにも表面化してしまった現状があるから。表面化されているということは一般化されているのと同義で、それに対して「恥を感じる感覚」も薄くなっているということ。
なつ「ギルガメッシュがどうこう、という意見が来てます」
受け付けません。ネットの話ですから。
私は「昔は良かった」とついつい口にしてしまうけれど、実際にそう感じているからこその発言だからと半分開き直っている。水掛け論ではあるけれど、劣化破錠しているものがいくつもある。まじめに気分が暗くなるからこの話題はやめようか。
すみません。
『瀬戸の花嫁』などを手掛けた岸誠二(監督)『世界を変えるアニメの作り方』のなかで語っていたことですが、
『暗殺教室』をアニメ化するときに、「いまの学生のリアルをちゃんと知りたいから、実際に学校に取材に行って触れ合ったんです。頭のなかの古いイメージと全然違った」みたいなことを言ってました。私はそういうのピンとこなかったけども、おそらくはデッサンの練習みたいなものを差していたんだと思われる。決して無駄なアプローチだとは思わない。ピンとこないけど。
「学生ってまだまだガキで未熟だからこういう思考回路で描けばそれっぽいでしょ?」的なキャラクターメイキングが腑に落ちないのは多々ある。
岸誠二同様に(現時代性を組み入れるって意味で)、「いまの子供はこれくらいのこと平気で聞いたり言ったりしてますよ。三葉だって自慰行為に興味ありますよ、高校生なんだから。ちょっと頭固いんじゃないですか、お客さん」
ってスタンスであの台詞になったんなら、もう何も言うまい。私は頭が固いのだ。
2.ワイプ演出
上のシーンの続きで三葉が”生写真付き口噛み酒”のパッケージを頭の上で想像するんだけど、ワイプってリアル寄りな作風の新海には合ってない。個人的には、してほしくなかった演出のひとつ。
3.糸森町に関する滝の記憶
糸森町に限らず記憶の抜け落ち方ですよね。この映画の評価がわれる最大のポイント。
夢世界(相手側の世界)から持って帰れる情報と、持ち越せず消えてしまう情報が映画のストーリー進行に取捨選択されてるっていうのかな。彗星落下は入れ替わり以前のできごとであるし、糸森町の校舎とかに地名があったりするだろう。父の演説なりちょうど町の自治に関心の集まっている時期にですよ。あれは、あそこはどうなってるの? という疑問が湧いて湧いて。
物語上のトリガーとしての「許せる嘘・譲れる設定」というものは、どの映画も多少なりとも持ち合わせているものです。「車もなしに時間遡行なんかできるか!」では話が進みません。
フィクションのお約束ともいえるそれらを踏まえても、この映画は節々で”たまたま(「実は-」とも言い換えられる)”で解決させてしまう展開がある。
奇跡という超常現象は何回も起こってはいけない。
奇跡に何度も頼ったり助けられてはいけない。
それはもはや魔法だ。
4.都会の生活
三年前の現代認識のまま都会で日常をまともに過ごせるとは思えない。
5.祭り屋台のバッテリー
変電所爆発させて学校に誘導するってのが可能なのかは置いといて、祭り会場の屋台ってスタンドアローンのごついバッテリーが動力なんじゃないのか? 詳しく知らないけど一緒に屋台の照明が落ちるのは腑に落ちない。
6.善人じゃないとなりたたないでしょうが
瀧と三葉の入れ替わりがなくなって、瀧は飛騨に行きますよね。奥寺先輩と司と三人で。
あの行きの電車で三人がちょっとはしゃいで瀧くんがついつい大きな声を出す。そしたら周りの同乗してたおっちゃんとかが「なんだなんだ?」って顔で三人に注目する。別に怒ってるとか静かにしろよ的な視線じゃなかったんだけど、
それに気づいた三人のうち誰も謝らないの。頭とか下げないの!!
もうブチ切れですよ。椅子に持たれながら。
なつ「落ち着け」
怒られちった……みたいな顔するんだよ。お前のせいだぞ司、的な。
これね、『秒速-』の貴樹くんだったら性格上声は出せないかもしれないけど、自分の非を自覚して頭を小さく下げるくらいはしてたはずなんですよ。現に、高樹くんは止まりっぱの電車のなかでボタンでドア締めるシステム知らないから、隣のおっちゃんがめんどくさそうにボタンを押す場面でちゃんと謝ってたじゃないですか。
このあたりのキャラクターの人格づくりがね……、新海さん一体どうしたのって。
あなたの作る”未熟ゆえに周りに当たったり、どうにも報われない運命を背負っている”キャラクターがみんな好きだった理由は、彼らや彼女らが善人だったからでしょう。貴樹くんも孝雄もミカコも、根は善人だから、同情なり報われて欲しいなりの気持ちがこちらに芽生えるわけじゃないですか。
これも、「時代を反映させました。ゆとりってこんな感じっしょ。周りが全然見えてないのか、気を使えないのかどっちかすらわからない手におえなさを描きました」って言われたら、それはもう完璧ですよ。作戦成功、見事にムカつきましたから。
7.奥寺先輩の結婚指輪ちらつかせ
これいるのか。別冊の小説で触れるのか知らないけど、映画の尺からいうと「蛇足」だ。脱臭しきれていない部分がここに宿ってしまった観がある。
このほかにも、回収してない”伏線”というよりは、詳しくは別冊で話しますってことらしいチラ見せ要素があった。
- 瀧の絆創膏
- 三葉が座敷で言う「大人の喧嘩なの」
- 三葉の親父さんをどうやって説得して、どうやって村人を学校まで避難させたのか
──このあたりでしょうか。
これは映画への指摘とは別の話なので割愛する。
8.BGMの主張
バックグランドミュージックで「BGM」だ。
台詞が聞こえなくなるレベルの主張はやめれ。”ここ泣くところですよドーン”とまでは言わないけど、あまりにも挿入歌のインパクトに頼るのも好きじゃない。
音響面でもうひとつ。片割れ時での瀧の「君の名は!!」のエコーがきつかったな。土地の形状ゆえに、ってことだと思うけどちょっとくどかった。
総合点と総括
中身が三葉状態の瀧の演技、つまり神木くんの女演技を容認できるかどうか。これもちょっとした分水嶺になりそうですね。
空前の大ヒットの要因についてはメディアのお膳立てや後押しで多くの人の興味を引いた、劇場に足を運ばせた、というのが大きいと思いますが、繰り返し観たって人が多いのもまた大きな要因になっているでしょう。私も二回観に行きましたし。
二回観た理由としては物語の構造ですね。見せ方切り方というか。
”冒頭から舞台と場面が飛ぶ”んですよ。
で、終盤になって主題と一緒に冒頭に見た景色に繋がってくる。
「うおー!最初に戻ってきたー!」的な興奮は別段ない。ないんだけど、完璧に冒頭の台詞の内容を覚えているわけもなく、「あれはどうなってたっけ?」 みたいなものもあって、二回観ることになりました。そのあたりが気になるくらいの求心力はありました。
このパターンでリピートした人結構いたんじゃないでしょうか。
「面白かったな」と思ったのが素直な感想です。
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