『NEW GAME!!』第4話まで観ました。
二期のキャッチコピーは「かなえたい夢がある」です。
前期がどちらかといえば、ヌルゲーな会社だなおい、なんて超絶ホワイト、などなど言われつつも、2期になって「働くとは、クリエイターとは」みたいな部分がしだいに描かれてきているように思います。別に実社会における会社内のモラハラやパワハラの現状をリアルに描いて欲しいわけでもなくて、クリーンな環境もあるとこにはあるんだと夢見ながら視聴するのも一興と言いますか、そこに対して「嘘をついている」みたいな意見を送るのはまったく違う話で。
これ、実はみんなおっさんでしたフィルターで観るとけっこう面白いんだけどあまりオススメする視聴方法でもない。物好きは思考訓練としてお楽しみください。または『わしらのMAD』でも観て我慢してください。もう十年前だと!?
とにかくいまのところ第2話がいちばん好きですね。
説明台詞という名の現代病
何かってーと時代のせい人のせいにしがちな私は、あつらえたような無意味な説明台詞というものが嫌いで。台詞嫌いと時代のせいにする悪癖がどう関係しているのか、というと、
ほら、また人のせいにしましたよこの人。
言わないことの妙や映さないことの美、というものがあると信じている私はこれがけっこう視聴の際のネックになっている。そもそもの話が「サイレントが発祥なんだから仕草や表情の演技で伝えられるんじゃん?」と思ってたりする。
別の見方としては、「お前(登場キャラクタ)はその物語世界の住人なのであって、こっち(観客)の存在は認知してはいけないんだよ」という最低限の作法を制作者が守ってくれない点。こっちのほうが失望の理由としては大きい。
「お前、いまこっちに向かってその発言したよな!?」って思いを何度重ねてきたことか……。『インフィニット・ストラトス』よ、何か心当たりはあるかい?
脚本家が目線を合わせてきたのか?
なんだかボヤケかかった記憶で書いていて申し訳ないんですが、ISあたりが放送された時期の、「原作:ライトノベル」作品によく見られた傾向だと思うんですよ。無理矢理な展開に閉口したり「またラノベ原作かよ……」なんて愚痴をこぼす理由として脚本のデキ、強引な台詞回しにほんとうに嫌気が差していたというか。
「そこまで言う必要あるのか?」って疑問を「ここまで言わないと物語についてこれない層がいるってことか」と半ば強引に結論づけたんです。お互い様ですか。
ほかにも脚本家がまともに育っていない説や、画で表現するよりキャラクターにあらかた喋らしたほうが作業カロリーを節約できる説なども考えたりしましたが、いまとなってはどちらでもいいや、というのが正直な気持ちだったりもします。もうどーにでもな~れっ(AA略
大切なことだけ強調として繰り返すと、「言わないことの妙、映さないことの美」です。この耽美的スマートさに私はやられてしまうんです。
一から十までキャラクタ-が喋ってると、隙間がなくなって観客は何も疑わないし何も考えないじゃないですか。それってもったいないと思ったり。
フッと瞬間的に隙間ができて、私たちは想像をはたらかせる時間を与えられるわけです。青葉の心の機微であったり、ゆんの焦燥であったり色々な言葉にしにくいことについて(倒置法
青葉のカットされたモノローグ
遠回りしましたが、第2話ですよ、第2話。
「視えないゆえに見えない部分に注意が向く」の模範的な画面づくりでした。
そして一番良かったのが青葉のモノローグをカットしたシーン。
どのシーンのことかすでに察している読者さまもいるでしょう。
まず布石として、コンペ開始直後に早くも手詰まった青葉が八神コウに相談に行くわけです。脚本的には”行かせる”わけです。
これにより「困ったら八神に相談にいけば糸口が見つかる」という構図と青葉の思考が観客に伝わる。
一次コンペ開始
八神の案は”全否定”されて青葉の案が草案として採用。
不穏な空気を僅かに残し一次コンペ終了。
バリウムおばさんの挨拶の途中で声をかける青葉はちょっといだたけないなぁ。
その後の自分の机に戻ってブラッシュアップ作業ですが、また手が止まってしまいます。
動物をなぞる手が本当に止まってから、次の非常にスローなズームで横顔を映す間の無言、モノローグもない静の時間。
ここがいい。
これが「何も口にしないでもすべて伝わる演技」です。
補完的かつ必要な構成としてそのあとの青葉の台詞もいい働きをしている。
青葉「大丈夫だよ。八神さん優しい人だし」
──この大丈夫という青葉が出した結論。
当然のことですが、それ以前に疑問/設問があって、その結論として口にしたものですよね。じゃあ、その疑問/設問っていうのは何かと想像すると
「いま八神にアドバイスを要請しても、ちゃんと応えてくれるのか? さっきのコンペルームでの違和感、あれは怒っていたのではないか。バリウムに認められた自分に対して邪険になったりはしないだろうか」
そういったことを青葉は自問自答していたのです。それゆえの「大丈夫-」だったのです。
そして脚本家はその自問自答を言葉に(テキストに)しなかったのです。
すこぶるスマート。すこぶるいい。なんか文章にすると冗長で回りくどいな。
『NEW GAME!!』第2話
脚本・演出:藤原佳幸
絵コンテ:しまづあきとし
OPとEDの話を少しずつ
この三匹の蝶々が、幼少の青葉を夢中にさせたゲームソフトのことを指しているのはOPの最後にもう一度出てくるのでわかるんですが、『フェアリーズストーリー』の三作ってことではないのだな、と。二作目や三作目ではロリぃ青葉との年齢が合わないので。
後半では大人になった青葉の手のひらから蝶々が一匹誕生し、青葉と仲間たちが主に中心になって作品を生み出すことを示唆している。となれば、赤髪とゆんの隣の女の子は今のぬいぐるみのゲーム製作中に参加してくるのだろうし、コウの不在もなんとなくではあるが、うかがえる。まあ示唆のレベルですが。
あのくまの剥ぎ取りゲームシステム、『ファイナルファンタジーVI』サウスフィガロの町のロックを思い出すようなそんな世代の私。
前期OPとくらべて
前期のOPで「イマジネーション越えよう」のパートでみんなが手を繋いでワープジャンプするの覚えていますか?
あそこ見るたびに思っていたのが、「ひふみんは ゆんへの苦手意識が強いのでは?」という疑念。手を繋いだあとすぐにひふみんの顔が曇るんですよ。実際はジャンプへの恐怖心によるものなんですが。
気づいていないゆんが不憫だ……。
そこの関係性が今回の手つなぎフリーフォールでは感じなかったのはほっとしました。
四分割の画でゆんだけ笑顔じゃないのが、まだまだゆんの闇落ちモードが尾を引きそうで怖い、くらいですね。
やっぱりゆんが一番かわいいですね。関西びいき込みで。
でも新キャラに大和田仁美が充てられているので、まだ声は聴いてませんが揺らいでしまうかもしれない。
歌のメロに関しては、前期のカップリングのメロを意識してるのかなーというのと、「ステップ・バイ・ステップ」の後ろステップの譜割りアレンジが良いなと思ったしだい。基本形はサビの食うタイプで、曲アタマだけがアレンジしてるんだと予想。前回もテキトーに予想してハズレたから大きく出れない。
EDのクレジットがもったいない
二小節(一小節か?)だけリズムがハーフになる、とか私のツボをついてくる。
それはともかく、ノンクレジット版の映像があるとはいえ放送時はクレジットが出るのだから、クレジットの存在を考えてコンテを切るorコンテを見てクレジットの配置やタイミングを決める。ということが重要だと素人ながら思うのです。
何の話か。
ワイプに入ったソージローがクレジットにダダ被りなんですよ。
この四分割──ときに八分割の画面構成でどこにクレジットを入れればいいのかは判断の難しいところですが、アイマスシリーズのチームならしっかり対応したはずです。(※アイマスのEDは一枚絵/静止画が多かったが、アイドルの顔にクレジットが被って見えなくなる、という事態は避ける配慮がなされていた)
参考までにきらりのコロンビアを。
ソージロー周りのクレジットに関しては修正がかけられるような気もしますがどうでしょう。おとなしく状況を見守っておきます。
おしまい。
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