この夏はじめてのラムネを飲みながら書いてます。
「誰がつまんないと言ってるかとか、誰のレコメンドだとか、そんな情報だけで観る観ないを決めてもしょうがあるまい」──と言いたい。それは映画を構成している一部じゃないから。
公開二日目にしてさっそく観に行ってきました。アニメ版『打ち上げ花火 下から見るか? 横から見るか?』
種子島のほうの打ち上げは成功したけど、こっちの『打ち上げ-』は……みたいな。
どこに向けてローンチ(打ち上げ)したのかよくわからない作品……というか。
不発弾、や、見切り発射。誤射。一発なら(ry 「打ち上げ花火 もっかい見るか? 二度と見るか!」そのへんにしとけ。
とうの私はといえば、シャフト好き 渡辺明夫好き 岩井俊二の「映画」好き勢かつ、DAOKO好き&米津玄師好き&MONACA好き、って「もしかしてこれは私のために作られた映画なのでは!?」なんて勘違い二歩手前くらいのスタッフ陣でワクワクして劇場にいったのですよ。
なのに……。
【2017/8/23追記】
この映画に私が強く強く期待して、そしてこの映画が描けなかったものが数日経ってようやくわかりました。「トキメキ」です。
トキメキが全然足りていないんだよ! ビッチにはトキメケないんだよ!!!
【追記終わり】
全文読んでください、とは言わないからふたつほど。
劇場でがっかり困惑した方々はビデオ屋さんにでも行って、奥菜恵や小橋賢児の出てる『打ち上げ花火 下から見るか? 横から見るか?』を観てから『打ち上げ花火-』という作品群について、トータルでいいから再評価をしてください。
もうひとつ。
二次元作品が実写化すると、「理想的にデザイン(リファイン)された二次元に敵うわけねーだろ。ただのコスプレになるんだからやめときゃいいのに」とよく評されます。が、今回、渡辺明夫のキャラクターデザイン力が、12歳の奥菜恵に引けを取った稀有な案件であるということ。
(失礼。14歳でした。あんな12歳がいてたまるか!! 慎んで訂正します)
これはすごく似てる別の何か
少し前のことですが、『どうしてアニメ映画の主要キャラクターに(声優ではなく)”俳優”を起用するのか?』のような記事を触りだけ読んで、ざっくり言うと「ネームバリューって嫌な概念だな」と。
今回に照らし合わせると「広瀬すずと菅田将暉のダブルネームのほうが、——–と———よりも客足が/露出が/メディア展開が期待できた」ってことでしょうか。あくまでも一因なんでしょうけども。
観たくなる動機、観たくなくなる理由
いっぽう、映画を観に行く動機っていうのは人様々で、
公開されているものは全部行くって人から、劇場なんてまあ観に行かない人ってもいる。あらすじなんて関係ないタイプ。
SHAFTが作るっていうから行く人もいるし、岩井俊二関連作品の映画化だから行く人もいるし、渡辺明夫がキャラデザインだから行くし、神前暁が劇伴担当するから行くって人もいる。
DAOKOが主題歌を歌ってるから、米津玄師が楽曲プロデュースしてるから──なんでもいいですが。
上のは私の場合、全部行きたくなる要素なんだけど、主演二人の配役でだいぶ足が重くなる。トレーラーを観ると特に菅田将暉が不安要素だ。田岡も見逃しそうにない不安要素。敗因は……。そういえば『SLAM DUNK』が『ONE PIECE』に改変されてましたよ。
対して、
「シャフトって何?」「岩井俊二って誰?」「渡辺明夫? 神前 暁? 誰? しらない」「ところですずちゃんがヒロインなんだよね。絶対見に行く☆」
──みたいな人も一定数いる。一定数どころか、岩井俊二好きとシャフト好きが束になっても敵わないくらいはいる。それはもーうじゃうじゃ。ちょっとバカにし過ぎか。すみません。Twitterで「え、待って」とか文頭につけるのはバカっぽいからやめろ。
ここで箸休めトレーラーをどうぞ。
要はそのパイの大きいところというかお客さんの絶対数に舵を向け、動員の数字を出すのがプロデューサーとしては第一正義の最優先事項であって、クオリティは二の次後回しと言っても過言かどうだか。
「面白いとは/ハイクオリティとはなんぞや」みたいな問答はほとんど不定で、少し掘り返したところで頭の余白が狭すぎるから放置する。とにかくクオリティというものは存在して、しかし動員には相関関係が確認できないような本作同様一種のファンタジーなもの、と捉えて先に行こう。
広瀬すずと菅田将暉よりもうまく表現できた声優っていたと思うんですよ。
おそらく20人以上。でも結果、起用されたのは菅田将暉。
パイプ起用みたいなのに視えるのは嫌だな
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」なんて言葉がありますが、気にするとなんでも実態以上で自分本意な見方になるものです。
やっぱり言いたくはないし考えたくないですよ。
あいつは「コネと鎌倉で配役ゲット」とか。なにより失礼だし。
でも『ナナマルサンバツ』みたいな事例を耳にすると、実力や技量よりも加味するべき「影響力」があったりしてそうで……要は(私が納得いかないのは)つまんねーの一言なんですが。「◯◯枠」が多すぎんじゃねえかよって。
金銭トレードなのかよ、主役の座さえ政治のアイテムのひとつなのかよと。
こういうのって、作品があって「じゃあ主役は誰でいこうか考えよう」じゃなくて、
「誰々で一本映画撮りたいな、なんか原作もの探してきて」のパターンも多いんですけど。
ちょうど現在放送中(2017/7-9)の『NEW GAME!!』第6話がそんな話でして(新シリーズのゲームの売上を上げるアプローチのためにネームバリューのあるデザイナーを起用。主人公は内定していたポジションを降ろされる、というお話)、思うところがあったんです。ネームバリューって嫌だな。ネックだな。
──あんまり思い込み多めで話すのもよくないな。まとまらないし。
とりあえず開演前の近日公開トレーラー流すところで、広瀬すずの別の出演作出すのは止めてもらえませんかねえ。別の仕事してたら片手間で済ませた感が増幅するんだよ。
内容の話
冒頭で「どこに打ち上げるつもりだったのかわからない」と書いたけど、位置づけとしては一般層とアニメ層のどっちもを取り込もうとしていたわけで。トレーラーに映らなかった部分を見るとなんとなくわかるんですが。
そのための”一般向けキャスティング”が広瀬すずと菅田将暉でしょう。これが—と—-だったら一部の層からは見向きもされなかったんじゃないかと。『リリカルなのは』みたいな位置づけになっていたと思う。「これは観なくても人間関係に支障の出ないやつだね☆ミ」的な。
じゃあ、訪問ユーザーを1/10くらいそぎ落とせたと思うので内容に。
アニメ版/実写版ともにネタバレになるのでご注意とご留意。
点数はつけにくいけれど、「実写>アニメ」は揺るがないです。
クレジットの出し方は合格(偉そう
オープニング。
「暗い背景に花火が打ち上がり画面が明るくなる→セクションごとのクレジットが浮かぶ」という黒色を反転利用したような小気味良い演出。モチモチの木のあの感じを想像してもらえばイメージしやすいですかね。
面白いものが始まりそうだ。そんな期待感がありました。
あとは「新房昭之」と明朝体の相性の良さ、これは毎度ながら心奪われる。
市川 崑(監督)同様に、クレジットのフォントを指定しているんだと予想。
足を怪我する理由付けが良かった
もう始まって15分くらい経ったのでは……? そこまで見どころがないじゃないんですが。
典道が50mクロールに負ける原因の「足へのダメージ」の流れが、アニメ版ではなずなも勝負に参加することで、水中で二人の目が合い典道の泳ぎに乱れが生じたという理由が生まれる。この改変はいい。実写はほんとに「軽くもつれた」みたいな感じでわかりにくかったぶん、一歩リードした感じですね。
『モテキ』も『バクマン。』も未視聴なんで大根監督の脚本術っていうのも未知数な状態で、やたらと演技指導が厳しいリテイクの鬼としか聞いていなかったから「すごいうまいじゃないですか」って驚いた。期待値がグーンと上がりました。このときは。
このあとは実写でも一二を争うかわいさ爆発のなずな(奥菜恵)が花火に誘うシーン。
アニメ版『打ち上げ花火 下から見るか? 横から見るか?』より
ここの再現っぷりはなかなか良かった。
二回目の分岐、典道が勝利したあとは若干表情が柔らかく弾んでるんですよ。そこの再現度とかも含め良々。
このホースから出てくる水がCG処理なんですが、シャフトなら(?)手描きでいけたと勝手に期待していたり。尾石さんとか田中宏紀さんとか。アニメーターさん詳しくないけど。
アニメ版『打ち上げ花火 下から見るか? 横から見るか?』より。
以下、画像はトレーラー動画より。
ここも一回目の下校時はすらーと降りていくけど、二回目ははしゃいで旋回/蛇行なんかする。なずなの心情表現パート。
教室デザインが面白い
「変な教室」でいえば『輪るピングドラム』の校舎もだいぶ変だった。カメラ位置と撮り方がねシンメトリーだったり消失点へのラインに沿って校舎がデザインされてたり。
それはそうと本作の学校は円柱みたいな形をしていて、中心部に螺旋階段が、おそらく吹き抜けで縦一本入ってる。館シリーズに出てきそうなデザインで、教室も正方形じゃなくて扇形に区切られている。特にこのかたちがどうこう作用するってものではないんですが、面白かった。
後半あまり出てこないんだ。まあ物語の出発点なのでね。
机から転げ落ちるカットもgood
シャフトの魅力として「シャフト空間(カメラ構図やキャラ配置、建造物まで広範囲)」なるものがあるんですが、映画を通して思い返すと、そこまで発揮されていなかった印象。
前半のプールシーンでいうと、「足を水面に突っ込んでいたはずの なずな が一瞬目を離すと(ワンカット挟むと)プールサイドで横になっていた」とか、ああいったもの。
まるで瞬間移動したかのようなカットの繋ぎですが、あれが私は結構好きで、シャフト制作の『物語シリーズ』では頻出する演出です。意味はあまりありません。フィルムを使った遊び心の類です。
あの分岐ポイントの風景
ここよかったな。この風景は人物の動かし方も相まって印象的なシーンだったので。
鞄に重心を取られつつも懸命に走るなずな。すげーうまい。
シャフト制作のアニメって、衣服の柄物はテクスチャが多いんですけど(特に引き画だと)、劇場版だからか なずなの浴衣の柄もしっかり描かれているのが。多かったですね
ここで実写版にはなかったキーアイテム(勝手にもしも玉と名付ける)が発動する。これがタイムリープと関連があるっていうのは二回目以降にわかるんですが、ひとまず過去に戻る。厳密にはパラレルの別プレートに移動してるんだと思いますが。
ここの台詞は「あのときの勝負に勝っていれば……」と自責の念っぽく。(後述)
歳相応の子供らしさ、駄々をこねるシーンで「行かない!」が訛っていたのはなんでなんだろう。
もしも玉の使い方
タイムリープもののセオリーなのかはよくわからないけど、
「分岐を間違えた。こっちは正規じゃない。やり直しだ」
っていうパターンがあります。
本作も何度か(広告的には”何度でも”)タイムリープをしますが、分岐点とセーブポイントがひとつ前とかに設定できている点がヌルゲー感が出てきて嫌なんですよ。
しかも、その”願い”を唱えながらもしも玉を投げるとタイムリープが起こるってプロセスがどうにも面白みがない。最後は無言で投げていたから直接の関連はないのかもしれないけど、二回目がそういうプロセスを経ているように視えるのはそれはそれで不味い気がする。
「もしも祐介に見つからなかったら!」と唱えて投げる。タイムリープ発動。そのイベントの少し前に着地。
なんというか、「オラクルベリー!」って唱えてルーラ発動みたいなものですよ。見ようによっては。それはぬるいなーと。ドリフじゃないんだから。
アラジンのランプみたいなアイテムなんですよね、もしも玉が。
『時かけ』みたいに回数制限もほのめかさないし。
52分を90分に伸ばす必要があるのでどこをどういじるのか楽しみだったのですが、
このへんから「これは別もんだな」と思い始めました。
一番納得がいかないのが、最後のタイムリープで乗り込んだ電車のフラグが切り替わること。自分たちの行動で影響が出て事象に変化が起こるのは理解できる。しかし、なぜあの電車は進路を変更したのかがさっぱりわからない。
ファンタジー要素をふたつ使ったらいかんと思うんだ。これは”大胆な嘘”を超越してる。
ナイトプールに忍び込め!
このSWICTH 8月号の表紙ね。実写版を観ている方なら、当然アガると思うんですよ。
「こりゃ観に行くしかないな!」と。私もそのクチで。
でもこのシーン出てこないんですよ。ひどい。それこそパラレル別プレートのできごとだったってことですか? これぞキービジュアルマジック!
とはいえ、新房昭之と渡辺明夫の対談、”うめてんてー”こと蒼樹うめ先生との対談など、シャフトのアニメ(対談メインは『まどマギ』と『化物語』)が好きなら、8月号の特集記事は一読の価値ありです。
話を戻しまして──
実写版のピーク、この映画の存在意義が「プールと浮かんでくる奥菜恵(なずな)+ forever friends」だったのに、そこはアニメでは描かれない。確かに勝ち目はないけども、実写版への橋渡しとしてプールには行ってほしかった。
だいたいね、
”駆け落ち”してきた二人の最初で最後の共犯行動が、「夜の無人プールに忍び込んで泳ぐ」ってところに小学生の未熟さと背伸び感が含まれているアガるシーンだったのではないですか!?
「こんな青春がオレにもあれば……」って、もう二度とプールに忍び込めない懐古おっさん視聴者たちのアコガレを代理で叶える救済だったのではないですか、監督。
田舎町の祭りシーズンに海に入ったって何を咎められようか。誰が褒め称えようか。
言ってみれば、アニメ版のふたりの一連の行動は小旅行と逃避行から逸脱せず、悪いことは何もしていないようにも思えてくる。
マイク・ニコルズの『卒業』やアーサー・ペン『俺たちに明日はない』などの破滅的/少しビターな結末が岩井俊二の原作には漂っていたんですけど、そこをあっさりしたものに味付けし直すためのアレンジの結果、海に向かったのかもしれない。
でもなあ……。
花火がきれい
花火はアニメ版のほうがきれいでしたね。実写版の灯台から観る花火がちゃちいのは置いといても。水中から見上げたカメラでドンドンと広がっていく花火の描写は色とりどりで美しかった。『キングスマン』もキービジュアル詐欺だったなあ……。
何度か繰り返される灯台から花火を観るシーンで、ちゃんと花火をフレームに収めて見せてくれないからイライラしちゃったんだけど(最後までのとっておきカタルシスかと思われ)、灯台で二回目に花火を見たとき──平たい花火を見た次の花火──あの花びらっぽい花火が”あり得ない花火”にしてはパンチが弱いというかあり得なさに欠けてる。私はてっきり正規ルートに乗ったもんだと勘違いしてしまったくらい。いや、あんな花火見たことはないですけど。
花火のような一瞬のきらめき
実写では一回のタイムリープでA→Bと順当なルートに移行したところを、尺伸ばしの問題からアニメ版ではA→A2→A3→A4→Bのようになってて、その増やしたA2、A3に面白みがないのが原因だろうと。
でもストーリーがなってないだけで悪いシーンばかりでもなかったんですよ。
”もしも玉”が弾けて色々な世界線がチラ見されて、よく観るとなずなと祐介verとかあって。「失われた未来」「こんな未来もあったかもね」の演出/展開にめっぽう弱い私は、あの数秒だけは涙腺がぐもーんとなりました。『花とアリス』蒼井優のバレエみたいに「これが観れたからオールオッケー」とはいきませんが。花火師がくす玉と間違えて”もしも玉”打ち上げる流れとかはほんと噴飯モノですし。
映画の中軸はやはりどうしたってストーリーだと思う。意識的に無視するのは難しい。でも”映像物”としてならどうだろう。ゴッホの人間性を度外視して『ひまわり』を賞賛できるように、この作品も
嘘くさいからやめ。
見どころがないわけじゃない。主題歌の『打上花火』もいい。
しかし、菅田将暉はドラマ(実写)で演技をしたほうが良いのだろうし、シャフトの映像美観は他方面で発揮されるものだと思う。(シャフトでも感動した作品はいくつかある)
同世代に「私はビッチ(属性)だ」って言われて喜びますかね? ときめきますかね? あの年代って。面食らうと思うし、拒絶が先に来そう。ビッチと謳って、そのうえで「どこまで済ませたか」にもよりますけど。
喜んでんのは”上”のおっさんだけなんじゃないの? って気持ちになるね。広瀬すずにあんなこと言わせちゃったゾ、みたいな。大事にしようよ、トキメキ。
繰り返しになるけども、実写版の『打ち上げ花火 下から見るか? 横から見るか?』は色あせない面白さがパッケージングされているのでぜひとも年齢/性差/関係なく観て欲しいです。観たことによってアニメ版への解釈が進むとかはないと思うんですけど。
関連リンク
アニメ『打ち上げ花火 下から見るか? 横から見るか?』公式サイト
岩井俊二関連ページ
コメント,ご意見など (中傷発言はNO)