細かいことを言うと……。彼らが言うシンコペーションは大抵アンティシペーションでアンティシペーションは「君、誰だい?」状態で。「確信犯」が一向に減らないこんな世界なので、すでに私は諦めた。「食ってる」=シンコペーションなんていう怠惰で素晴らしい世界にみんなもお出でよ。
じゃ本題。
「OPがスゴイ本編もスゴイ躍動感が半端ない」と騒がしい声ばかり聞いていたので半分天の邪鬼な気持ちにもなっていましたが、何はともあれ、『はねバド!』(びっくりマークは全角で)をようやく観ました。まだ第1話だけですけど。トリッシュはオレなんだという気持ちを私がなぎさに抱くことができるのかどうか、このあたりがハマっていくかどうかの分水嶺になりそうです。
以下、OPの音ハメの話とか、本作について。
OP冒頭のスマッシュとスネア
「ド」と大きく文字が出てから、「同じ空へ」と歌う箇所。スマッシュを放つなぎさと綾乃。
ドラムセクション「タドド、タドド、タド」の前2つの「タ」──スネアのアタック──が、スマッシュを打つタイミング(振り切るタイミング)にジャストに置かれている。右に左に視線が流れて、真ん中からタイトルロゴがドーン! とくるのは観ていて気持ちがいい。一点入りました。
Aメロパート、表拍や強拍に合わせたカットの切り替え
汗に反射するヨン様みたいな人物が気になる(『はねバド!』OPより)
短めの間隔で切り替えられるカットが続く。
はじける汗、シャトル、様々なアクションにクローズアップしつつ、超集中力の世界といいますか、相対性理論的な超スピード表現でスローになる。スロー表現はオーバーラップが効率良しとは思いつつも、枚数増しマシなのもアリ派です。
強拍のポイントにあわせてカットが切り替わっていきます。
強拍というのは、一小節ごとのリズムのアクセント部分のことを指しますが、バスドラ(キック)が主にこの強拍の役割を担うわけです。「バスドラ? キック?」なんて人もいると思うので簡単に説明するなら、「ドッタン、ドッタン」なんてリズムの「ド」の部分にあたる音、ここが強拍です。バスドラを踏んで鳴らしてるんでキックとも呼ばれたりしてます。以下キックで統一。
シンコペーションの音ハメ
※音が出ます。
/『はねバド!』OPより
強拍に合わせた切り替えポイントで進行していきます。「1,2、1,2」と数えると1がポイントになってます。自明。
Aメロ(「今 この 世界 」のところ)のリズムが「ドドタン」の反復、
ギターならば「ジャジャ(ウン)ジャジャ(ウン)」の反復。
(「ウン」は休符。「うんたん♪」の「うん」)
この反復の流れに一度シンコペーション(※)が入る。
※裏拍に強拍を持ってくるリズムの変化の付け方。
「ひとつでも二人の羽」の「ふ/た」の部分です。意識的に書くと「ふ↓た↑」となりそうな。
シンコペーションを行うカット(羽咲綾乃の目アップ)に前のめりで切り替わりつつも、閉じた目を挟むことでゴースト的な半拍の間をつくり、音側のアクセントである「ジャー(ギターの音」と「開いた目」に最終的な気持ちいいタイミングを合わせている。
「ジャジャ、ジャー」ではなく「ジャジャ、(ン)ジャー」という意識。コレ重要。
目を閉じる──言ってみれば”溜め”の動作と、目を開くという”発ち”の動作、静から動への瞬きのアクションが、裏拍が持つ後ろが強いという特徴と効果的にマッチングしている。
これが音ハメの気持ちよさなんだと思う。表強拍で変わるだけの音ハメはもはや音ハメではない!(いまのサブカルはサブカルじゃない、みたいな世迷言だと思ってください
ただですね、この目アップのカット以降、白背景でリズムがハーフになるところまでの短い切り替えは観ててあんまり気持ちよくなれないんですよ。頭が揃ってないからか、カットのなかでピタッと停止するようなヤマが小さいからか? ……なんて睨んでるんですが、よくわかりません。
Aメロハーフから少しだけの伴奏でまたAメロに戻ってくるまで、の、間奏を短くスッキリさせてるのが好感度高し。
ラリーを模したワイプ
題材がバドミントンなだけに、「まるでラリーのようなテンポの良さ」とか、誰が言おうがスベってしまう表現は控えますが、実際に、明確にラリーを意識した箇所なのでこればかりは仕方がない(言い訳
左へのワイプが連続したりするので、「ははあ、右の選手がポイント取ったんだな」とか考えてしまいます。クレジットも同じ方向に拭われていくのが丁寧な仕事だなあ。すげえ偉そう。
本作OPは、スタッフクレジットのディレクションが凝っていて、なんちゃらは細部に宿ると言いますか、繰り返し観察しがいがあります。
最後の抜けるような青い空とバストショット
なんだか不思議なカット。低めの日の丸構図というか。
もっとやりようがあったと思うんですよ。やりようがあったなんていうと、失敗してるみたいな言い方になってよくないですが、そういう他意は全くなしでこの構図はちょっと面白い。後ろにバドミントンっぽいものが何も映ってないからなのかな。
才能とは
「才能」という言葉が飛び交っていました。それはそれは(脚本目線にも)意識的に。このアニメは才能について語るアニメーションである、という制作サイド(あるいは脚本家:岸本卓)の宣言のように受け取りました。なんせ第1話のタイトルも『スッゴい才能!』と冠するくらいです。観たあとの感想としては第一話でありながらエピソード0のような位置づけとも取れそうな、土台作りな挿話でした。
「才能」が飛び交っていたのは言葉だけで、言葉の上だけで、本物の才能がどこにあるのかはわかりません。羽咲綾乃のなかにはあるのかもしれない。生まれつきの才能なのか育んだ才能なのか、それすらわかんない。羽咲綾乃を演じている大和田仁美の季節が来ている。時代が来ているとは言えないので「季節」としている。
彼女にはいい舞台に立ってほしい。いつかあの娘と戦うことになっても……。
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