まずは、まっすろな謝罪から。
『こみっくがーるず』の第1話を観たときに、私はこんなことを書いたりした。
「丁寧というよりかは、進みがノロい感じ。光るところもあるけど、印象としては下方向に未知数。ツーストライクまでもう少し観ようと思います」
しかし第2話のかおす先生の名台詞「こんなにあばあばして……」のセンスに脱帽。
編沢さん同様に本作から光るものを察知し、第1話の印象すべてを許すとともに、いまじゃ毎週の放送を楽しみにしている。毎週の放送をあばあばしていると言ってもいい。正直、すまんかった。
では、その”光るもの”とは詰まるところ、いったいなんだったのか。
かおす先生のキャラクター性なのか、CV:赤尾ひかるなのか、高橋李依の低音パートのクールさなのか、上田麗奈のシャウト芸なのか(まだ出てねーよ)。
どれも失うと魅力が半減してしまう要素ではあるけれども、あえてそれらは横に置き、本作を視聴継続する強い動機を挙げるとするならば、「ときに目を引くカメラアングルの面白さ」にこのアニメの真髄をみる(アングルは、位置・角度、ふたつの意味を含む)
特にグッとくるのは、「ローポジションのカメラ」そして「引きの画(たぶん広角)」である。
これらがFIXで撮影されるために観察映像のような雰囲気/体裁も加わり、大胆な動きのないシーンでも見応えのある画面パワーが保たれている。話は逸れるが、OPと第1話からは京アニの匂いがした。
とりわけ、本作の監督でもある徳本善信が絵コンテを手がけた話数において、その妙演は頻出する(完全にここが徳本氏のお仕事、って把握できてはいないんですけど。担当回のクレジットからなんとなくの推測)。
上の画像のように、抜けるような青い空を含めた広めの構図をはじめ、室内室外に関わらずローポジのカメラはなかなかの頻度で登場します。割合としては、室内(寮内)のほうが多いと思います。舞台が寮内メインなので、そこは仕方ないって側面もあったり。
第1話でかおす先生が寮入りするカットなんかは、「面白いところにカメラを置くなあ」と感心しました(偉そう
引きの画とローポジションの組み合わせ。
玄関から声がして、「誰か来たかな?」なんて居間から体だけ出して玄関を覗くとこんな感じの画ができる。そんな経験、みなさんも一度はあるんじゃないでしょうか。実際はもっとベタベタにローポジションな視界かもしれませんが。
まあ、こういうのが気持ちよいよな、という話です。
ローポジに漂う小津フレイバー
「ローポジ×室内(日本家屋)」という要素から、私は小津調のことを思い出していました。
思い出さずにはいられない、とまではならないところが今回の記事の筆がノらない理由でもありますがとにかく。『こみっくがーるず』の画面には、小津安二郎の香りが少しした。
「小津調」とは──
1927年『懺悔の刃』から1962年『秋刀魚の味』まで、全54作の実写映画を撮ってきた小津安二郎監督の作り出す絵画的な構図、会話のリズム、フィルムのつなげ方などが「小津調」の特徴として挙げられる。「小津調」とは、機械的な技術の模倣だけではたどり着けない、ひとつの発明のような映画の撮り方である。
会話シーンにおける10コマ/6コマのフィルムつなぎなどの濃いめの話は割愛して、ピックアップしたいのは構図の気持ちよさ、ローポジのカメラが生み出す落ち着いた風味であります。
例えば、小津映画でよく見かける、こういったローボジションでの廊下の撮り方が頭をよぎる。
こちらもFIXでローポジ。
日本家屋が直角的な建設物であることが関係しているのかは予想の範疇を出ないけれど、小津が撮る室内は直角な印象がある──
というのは、浅い考察です。斜めの入りで撮るカットもそれなりにあります。
今回、『こみっくがーるず』を観ていて小津調が頭をよぎったのは、やはり「ローポジ×日本家屋」だったというのが大きいです。
ちなみに私は徳本善信氏について失礼ながら不勉強で、本作でようやくお名前を認識しました。フィルモグラフィーを見てみると、けっこうな作品でお目にかかっておりました。うへえ、すません。
『こみっくがーるず』第3話のローポジカメラ
第3話のこのカットなんかも美味しいなあと思うわけです。全然直角的な撮り方とは言えないんですが。
ちょっと煽ってる?
このあたりも全部FIXで撮っていて、個人的に『バイオハザード』(無印や2)をプレイしていた頃を思い出したりもしていました。バイオのカメラは本当にいい。
第3話「プニプニポヨンですね」
絵コンテ:高島大輔 徳本善信
演出:高島大輔
ローアングルとローポジション
ここで注釈を入れるのもどうかと思いますが、
ローポジションとローアングルは別物です。と今更ながら言っておきたい。
「ポジション」はカメラの高低位置を指すもので、特に指定のない限り角度はフラットで撮るもの。角度には言及しない。
これに対し「アングル」はカメラレンズを被写体にどう向けるか、という「角度/向け方」の話が主である。
なので、「ローポジションからのローアングル」も「ローポジションからのノーマルアングル」のどちらも存在する。小津調はアオリを使わないノーマル(フラット)な撮り方のローポジである。
『こみっくがーるず』作中でいえば、
これはローポジのノーマル。
ここまでくるとローポジ、さらにローアングル、つまり煽り〈アオリ〉の画。
じゃあ続き。
第10話のローポジ
こっちはホラー演出として。
先の見えない長い廊下を、視線が地べたを這うように流れていく。
あれ、ちと煽ってる?
でもこの回って、中西和也 氏の一人原画回なんですよ。
第10話「みちるばっかり愛されてずるい」
絵コンテ・演出・作画監督・原画:中西和也
同様に一人原画回だった第5話は、舞台が海や遊園地だったせいもあってか、ローポジもあんまり登場せず、中西氏の担当だから画面設計の色が違うんだろうと決めつけていましたが……。これは一体どうしたものか。徳本氏は監督でもあるので、構図についてもそれなりのディレクションや提案があったと考えればいいのかな? なんかこじつけっぽいな。このへんは完全に想像の範疇。あばばば。
ここはホラー風味のあるスタンリー・キューブリック『シャイニング』の三輪車に乗る少年を思い出しました。一点透視図法で画面中央の暗闇に吸い込まれていくような、普段は見ないローポジの世界と洋館の不気味さが合わさって浮き出るカット。
で、『シャイニング』で思い出したんですけど、第4話で姫子先生がサイン会当日に鏡の前で葛藤する長い芝居。大西沙織の吐息芸の良さに拳アガリつつも、アニメーションとしてもワンカットのお芝居がすごい気持ちいいあそこ。
あれってジャック・ニコルソンがバーテンと談笑するシーンから来てんのかな?
なんて思ったりしました。
まあいつもの与太話なので……。
『こみっくがーるず』面白いので観てください
高橋李依がOPで歌う「どーしてか、いーつも」のかっこよさとか、OPの京アニ感とか、漫画ものだから可能なパロディの範囲とか、そういうところまで手に負えないので、
とりあえず本作はカメラがナイスだってことだけ覚えて帰ってください。
かおすという変な声だけどかわいいモブがいたことを覚えていてください。あばばば。
おしまい。
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