暴力的なお姉さんは好きですか?
最近、神経質になりつつもある「暴力描写」のアリかナシか、あるいはやりすぎか妥当か。そのラインは一体どうやって引いているのか。誰が決めるのか。
それは観ている個人に委ねられるように思います。
『くまみこ』の理不尽で不要な暴力だったり、観客と分かち合える加虐趣味のラインの程度を見誤ったピエール杉浦の脅威だったりがきっかけなのですが、いまのところの結論はこう。
暴力(描写)に対する抵抗感は、視聴者それぞれが持つ「対象への認識」によって受け止め方に違いが出るのでは?
……というか、出るんだな。
「暴力」といっても、物理的なものから精神的なものまで解釈の幅が広いので、ここでは「物理的な攻撃」に指示範囲をとどめますが、精神的なものにも通ずる話だと思います。
つまり、殴る蹴るという行為は絶対的に”暴力”ではあるけれど、許容範囲が存在し、その線引は視聴者が持つ対象への認識に依存している、ということ。
では始めます。
アニメ『くまみこ』における暴力描写
とにもかくにも第3話くらいまで楽しんでいたような気はするんです。第3話は動画工房が制作協力してて、まち (の大腿部とか下腿部)がそりゃもう魅惑的に描かれていた回で、何回も観ました(神楽とかする回)。
しかし、Bパートですでに良夫によるヤバイ行為があり、このあたりから彼の「ヤバさ」における兆候が見え出していたことも明記しておきましょう。
で、第4話で響がようやく出るわけですが、のっけからまちの頭を持って高欄にガツーンってやったんですよね。
さらに地べたに座り込んだまちに軽めに膝ツン
追いかけての髪引っ張り
まあ……普通に酷いよね(CV:安元洋貴)
あとは恫喝と略取なんかも適応されそうな横暴ぶり。もはや勘違いされやすいのレベルは超えている。
結果、この涙。
最終回を観終わってから観返すと、完全にパニック障害のそれで良心がえぐられるよう。作画していて辛かったんではないだろうか。
なぜもっと早く気づいてあげられなかったのか()
とか陳腐な台詞が口をつきそう。このあたりから次第に当たりが強くなってきます。
ともあれOPで良夫が腹パンされるのを観ていたのに、矛先がまちに変わると一気に戸惑いが噴出した事実もあるわけで。
つまり「殴られてもいい人間」と「殴ったりしたらダメな人間」の分別を私はおこなっていたのである。恐い。
『北斗の拳』で考える正義の暴力描写
視聴者がハート様をどう思っているか、ハートの悪行をどれだけ知っているかによって、ケンシロウがハートに向ける様々な行為に「それはあり」「それはなし」の判断がなされるわけです。
この判断材料には当然のことながら、私自身がおかれた環境下で成長してきたことによる人格形成(私のなかだけの善悪のボーダーラインやダメージの比重であったり)も大いに関わってきます。それを言っちゃったらおしまいな感じは否めませんが……。
ご存知の方も多いと思いますが、ハート様、ボッコボコです。
しかし、血が出ようとも結果死のうとも私達の良心は痛まない。むしろスカッとすると思います。
それはなぜか。
ハート様の悪行をすでに認識しているから、ですね。こいつは裁かれるべき人間だと。
その悪行への”ツケ”が、私という一人間の認識で「死んでもいい・死ぬべき」というレベルに相当するため、私は彼が死ぬことに対しての憤りを感じない。これは人命軽視ではない。
これを、善悪のボーダーラインによる判断とでもしましょう。
映画『ホームアローン』の泥棒が負うべきダメージ
暴力のありなしの次は、「では、どれだけのダメージなら許容できるか」という問題です。法廷ものっぽくなってきましたね。
かつて『ホームアローン』という映画が1991年に公開されました。シリーズは4まで続いたんですが、輝いていたのは、まあ2までですかね。
どういう映画かと言いますると、
ちなみにコメディです。
家って言ってもアメリカの一軒家なんでめちゃくちゃでかいですよ。ギャグ満載の『パニック・ルーム』ぐらいに考えてください。
泥棒を懲らしめろ!
この泥棒(ジョー・ペシ、若い!)も、ケビン君が仕掛けた罠で結構なダメージを負うんですよ。
階段の上から落としたドラム缶くらったり、ぶら下げた鉄パイプやアイロンで顔面強打したり、ドアノブ握ったらめちゃくちゃ熱かったり……。ニット帽を焼かれたり。
泥棒はかなり酷い目にあうんですけど、観客の気持ち的には「うわ……痛そ……」っていうよりも、「うわっ、痛そーww」って感じで終始おだやか(笑ってる場合じゃないですよ!
決して可哀想の気持ちが勝つことはないまま物語は進行していきます。同情の余地なし。
これはなぜかと考えると、いくつかハート様と共通する部分がありますね。
悪は罰す
彼らは泥棒であり、資産を奪いに来た侵略者であり、多少の暴力を持って追い返されるのは当然である。という認識。
また出てきた「当然」という言葉。
つまり、
これがひとつ。
軽く見えるダメージは罰の軽さに繋がる
コメディ調で作られていることもあって、痛さの程度が軽い。軽く見えるとも言い換えられます。さっきのオシオキ場面の画像も、映像で見ればテイストは”軽い”。
いつしか『紅殻のパンドラ』について、「ちりばめられたコメディ要素による対ダメージ補正のせいで、シリアスなムードが作りにくい」というエントリーを書いたけれど、本作ホームアローンは、実際は大きいダメージを負うような攻撃もコメディ調に描くことで軽い方向に補正することに成功している。
普通は高圧電流なんてくらったら泡吹いて卒倒して痙攣なんかするんだろうけど、そこはブランカのビリビリくらったときみたいに骨が浮かんできてピカピカ、みたいな演出でサラリとしてました。
これが仮に、ドアを開けたら大鉈が落ちてきて右腕がぶっつり切り落とされたりでもしたら、私も笑わない、というか笑えないと思います。そこまでのお仕置きは求めていない、という気持ちでしょうかね。
私のなかでは二人の泥棒に対して「傷めつけられて追い返されるのは道義だけど、腕を失うとか目潰しとか死ぬのは違うよな」と、こんなことを思っています。
これは適量のボーダーライン。
これを超えてしまうと急に冷めます(覚め)。いまふうにいうところの「ドン引き」ですか。あんな感じです。
プロレスラーがプロレスラーのラリアット受けるのと、小学生がプロレスラーのラリアット受けるは違うよなって話。
度を超えると、セーフもアウトになる
言い換えると(耐久性の面から見て)やりすぎのラインです。
それを超えてしまったらもう笑えない。あとはどんどん不快になっていくだけ。
だからあの教師の認識のなかでは、やり過ぎのラインをまだ超えていなかったんでしょうね。ゆえに「やりすぎんなよ?」の発言になったんでしょう(参照元がわからない人は検索してくだせい
話がそれました。
ダメージの比重が軽いと判断する⇛重大な問題とは認識しない。
これがふたつ目、ダメージ適量のボーダーライン。
暴力描写を観たときの感情の変化スペクトラム
長ったらしく話をしたけど、改めて。
- 描写される「暴力」に対して私たちは「正当」か「不当」かを判断する
- さらに、ダメージの程度は適当であるか、と判断もする
その際の感情の動きをスペクトラムにするとこんな感じ。おそらく。
なつ「うむ、さっぱりわからん」
私も描いててわからんくなった。ユングみたいなものを目指していたはずなんだけど。
これに、それぞれの作品キャラクターの”暴力行為”の移動範囲を書き加えたものが、下の図。
色違いで囲んである分は、作中で振るわれる暴力の範囲と捉えていただきたい。※黄色の枠が伊波さんの暴力範囲です。
なつ「ちょっとわかってきた」
ケンシロウと暴力
ケンシロウの暴力は全部正当性を持っています。あとは程度の問題なので、ダメージ軸に沿って横に移動しますが、基本的にケンシロウの暴力に抵抗は少ないか、ほとんどないはずです。
なつ「酒場で絡んできた男にグーパンで鼻っ柱折ってなかったけ? あれはやり過ぎなんじ(ry」
そんなんありましたっけ。覚えてないな。
伊波さんと暴力
基本的にギャグ補正の入った腹パンとか顔パンだから軽めなところから、たまに重いのが入ってくる黄色のエリア。
しかし理不尽な暴力が小鳥遊くんをよく襲う場面も多々ありました。フロアで近寄ろうもんなら腹パン顔パン。裏では壁にめり込むようなアイアンクロー。
このあたりの、表でいうと完全にレッドゾーンに属しているような理由なき(まあ、あるんですけど)理不尽さもあるので、正当と不当を行き来しています。
ここで断っておくと、この図は見やすいように二本の軸(正当性軸・ダメージ軸)を真ん中に書いているだけで、いわゆる価値観のラインでもあるので人によって上下左右することに留意してくださいな。
「ツッコミだから」といっても頭を叩かれるのが許せない人間もいれば「盛り上がるから」で水をかぶることを良しとする人間もいる。そういう話。「フィクションだから」「お芝居だから」「本人も了承しているから」いろいろと当てはまると思います。そこはほんとに多種多様だからこの辺で省きます。
くまみこの暴力描写範囲は特殊だった
くまみこの暴力範囲を青で囲みました。
これが正しい範囲かはあんまり自信がないですが、回を追うごとにまちへの当たりが理不尽な暴力でしかなくなってきたわけです。
つまり、右上にいたものが左下に移動していったわけです(矢印が放送回の流れだと思ってください。)。見事に沈んでいきました。
※補足部分として不快指数(と対義として爽快)も加筆。
不快指数の高さ:不当かつ多大な暴力>不当であるが軽度な暴力
不快指数が高まるというのは、相関的に視聴者の許容範囲を超えていくわけです。みんながみんな加虐趣味があるわけではないですし。
暴力をしたことのない人間だけが石を投げなさい
今回の、脚本家・ピエール杉浦をとりまくアニメ放送後のいざこざというか、観た後で石を投げた人多数の案件について私が思うのはこのくらいです。
長くなったのでこのへんで私も匙〈さじ〉を投げるとしましょう。
おしまい。
コメント,ご意見など (中傷発言はNO)
グラフによる解説めっちゃ分かりやすかったです。
自分は黄色ラインも相当ムリなので、とても感覚的に伝わりました。
ただ1点、
原作ではここまでエグく見えない、アニオリの暴走であって
原作漫画版の作者はここまで加虐趣味的ではない。
という事だけは追記しておきたいので、コメント欄に追記失礼します。
まあ、端的にいえばいじめられっ子体質のキャラがいじめっ子体質のキャラに暴力を振るわれるのが不快ってこと。
これを痛快に思えるのは学生時代に虐める側だった人間でしょう。