「Jカット」とは、並んでいる2枚のカットのうち、後ろのカットの音声が前のカットの映像に被さるように編集されたもの、あるいはその状態のカットを指します。編集用語であり、演出用語でありって感じです。トランジションの技法のひとつですね。
「カットとカットのつなぎ目を……」と強調して語られるのですが、実際にはシーンとシーンのつなぎ目とみるのがより正確かと個人的には思っとります。シーン1最後のカットaとシーン2最初のカットb、ですね。余計ややこしいか?
図にするとこういうふうになります。詳細の説明はあとのほうで。
先日、『ジェネラル・ルージュの凱旋』の鑑賞中にそういえば『天気の子』でも同じタイプの演出として「Jカット」が使われていたなあと思い、少しメモを残そうと思った次第です。
『ジェネラル・ルージュの凱旋』と『天気の子』で使われていた、台詞の向きを変えるJカットについて、少しだけ丁寧に話します。
映像が面白くなる「Jカット」の概要
ひとまずJカットの基本から。
編集段階の動画は「映像データ(ビデオ)」と「音声データ(オーディオ)」に分かれています。
通常の編集(または演出)だと、カットAの画面にはAの音が、カットBの画面にはBの音が同期したタイミングで流れるものです。
上の状態が”通常”です。急造の図なので、隙間は無視してください。
この状態からカットBの音声データを前に持ってきます↓↓
Bの音声を前にズラしたかたちから、「J」カットの名称が付いています。反対に、Aの音声がBのカットまで残っているような場合は、Lカットと呼ばれます。
ここまでいいですね?
Jカットの効果と面白さ
スタンダードなJカットには、カットの繋がりのスムーズさ、物語の進行のスムーズさを高める効果があります。
スムーズに繋がるJカットの好例として、スティーブン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』の冒頭がよく挙がります。ノルマンディー上陸作戦当時への回想()のところですね。
老人の脳裏に「あのときの波の音」が流れているように観客に思わせて、「あのとき」──つまり「1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦当時」──に場面を繋いでいく効果があります。この繋げ方により、”この老人はあの作戦に参加していた人間の一人なんだな”という認知が観客に起こります。言葉を使わずとも。
台詞と文脈のズレを狙うJカット
一方で、「音声と映像がズレる」効果を逆手にとった、面白い文脈を新たに作り出すテクニカルもJカットの魅力であり、もっぱら優れたJカットは後者が秀でているかに焦点が充てられることが多いのではないかと思います[要出典]。
こちらはインパクトのある「ひっかけ演出」としてマイク・ニコルズ『卒業』のJカットなどが特に有名ですね。
近年では『メランコリック』にて、「見つかってはいけない人に目撃されてしまった!?」とひっかけさせる良いJカットの使い方がありました。
『ジェネラル・ルージュの凱旋』と『天気の子』は後者タイプ
Jカットの概要とバリエーションが伝わったところで、『ジェネラル・ルージュの凱旋』と『天気の子』のJカットの使い方を見ていきます。
ストレートでスムーズな繋ぎではなく、インパクトを与える文脈を作り出したタイプのJカットという共通点があります。
『ジェネラル・ルージュの凱旋』のJカット
シーンの解説から。
倫理委員会の委員長に強引に据えられた田口(竹内結子)は、案件審議(?)で発言を求められます。
本来は愚痴外来こと不定愁訴外来で働いている田口ですから、病院全体の会議要項についてなどで先導を切れるはずもなく「いや、あのぉ……よくわかんないっつうか……」と曖昧な苦笑いを浮かべます。
すると室内からは力不足な委員長に対する落胆とざわめきが。
ざわめく会議室をカメラが引きで写し、そして
「「お前なんかいらねーんだよ!!」」
と怒号が響き渡ります。
視聴者がドキっと肝を冷やすタイミングでカットが変わり、いましがたの「お前なんか~」の発言主である愚痴外来の患者(訪問者)のおばさんが映し出されます。
おばさんこと山田スミ子は喋り続けます。
「『お前なんかいらねーんだよ!』─//─なんて母親に向かって……。もう大学生だっていうのに……」
カットが変わった先で、視聴者はさきほどの発言が会議室で田口に向けられたものではなく、愚痴をこぼす患者の家庭内での話の一部だった、とわかる。
誰に向かっての台詞か、がキーになる
さきほどの図に当てはめると、こうです。
家庭内のやりとりの引用「お前なんかいらねーんだよ(この場合の”お前”は相談者のおばさんを指している)」を、田口に腹を立てた委員会メンバーの発言かのように一瞬のミスリードを仕掛ける面白み。面白いね!
こういったふうに、別の文脈を想起させたりするのがJカットのひとつの醍醐味です。
『天気の子』のJカット
始まって26分、陽菜と帆高が「晴れ女活動」を始めた中盤の入り付近。序破急の「破」。スクリプトドクター的に言うと三幕構成の……もういいか。
宙に浮いた水の塊が少年たちの上にバシャーっと落ちてくるシーン。覚えてますか? あんな大量の水が真上から来たら首がまず折れるか、両サイドとかに押し流されて全身を強く打つのが物理ってもんで、棒立ちで「濡れちった」なんてレベルじゃねーぞと思ったりするがまあいいや。
天気操作(天気変動)の余波がそろそろ身の回りに起こってくる頃合いか? と観客に示唆させるシーンでしたが、この1つ前のシーンからJカットで繋がれていました。
1つ前のシーンは、高層マンションの一室で小さい子供と母親のやりとりがありました。
以下、ト書きっぽく台詞書き起こし。
子供、窓の外を見ながら「ママ~おさかな」
台所に立つ母親、背を向けたまま「へぇ、いいわね(きゅうりを切る)」
子供、母親の方を見る「…………」
少し間があって、
少年A「お前テキトーなこと言ってんなよ!?」
(ここでカットが切り替わり、走る少年たちが映されます)
少年B「マジだってば!」
以下略
といった流れでした。
図にするとこう。
室内を映しているカットに、次に続く”少年たちのカット”の音声が滑り込んでくる。Jカットの要件を満たしていますね。
心のツッコミを代弁された気分
母親をフレームに収めたなか大きく響く「テキトー言ってんなよ」という台詞はまるで、親子の会話を聞いていた誰かの「(テキトーにあしらう)母親へ向けて吐いたセリフ」のようにすら聞こえます。一瞬、幼児が喋ったのかと勘ぐったくらいです。あの場面、あの台詞、あのやりとりを観ていた観客たちに少なからず湧くであろう心のツッコミを、したり顔で先読みしてキャラクターに代弁させたニクいギミックでもあるだろうし、「希薄な愛情表現」に対しての、新海誠風味の”毒”の表明だったような気もします。
物語に根ざしていた「いつだって大人は子供の言うことに耳を傾けちゃくれない」といった、彼と彼女の世界観の下敷きと補強に通じていくシーンを描いていたのですが、シリアスだけで終わらせない、シニカルさも相まった印象強く面白いワンシーンでした。
と、こういったややメタい文意に気付かさられるのがJカットの面白さだと思います。
『天気の子』『ジェネラル・ルージュの凱旋』のJカットのお話でした
といった具合で『ジェネラル・ルージュの凱旋』と『天気の子』のJカットのお話でした。
できることなら未視聴の方々には、「Jカット」が出てくるという情報を与えたくはなかったのですが、こればかりはしょうがない。
とはいえ、音の付いてないキャプチャで説明しただけでは面白さは半分くらいしか伝わってないかもしれないし、本編でJカットのタイミングと面白みを体験してください。
完全に余談ですが、公開当時からちょこちょこと名前を聞いていた石井聰亙『水の中の八月』をこのあいだ観ました。なるほどな、と思いました。
あえてミスリードを誘うようなキャプチャを載せる(他意なし)。
「捕まえていてね」というヒロイン(小嶺麗奈)の台詞があったりしたのも『ライ麦畑でつかまえて(原題:The Catcher in the Rye)』に繋がっていくのかしら、と妙な納得。
諸事情によりこれからも配信には乗らない可能性の高い作品です。本編を観たい方は、Amazonでソフトを手に入れるか、DMMレンタル・TSUTAYAディスカスでDVDを借りてください。
まあだからなんだという「余談」。
そんな感じで〈『ジェネラル・ルージュの凱旋』と『天気の子』のJカットの面白さについて〉でした。
おしまい。
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