『かつて神だった獣たちへ』右側に配置される脅威の示唆、銃の反転の作用について

『かつて神だった獣たちへ』第2話 アニメ感想文
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都合よく解釈し続けたスクリーンディレクションの話。

以下、「かつ神」のイントロダクション。

国家パトリアは北と南に分裂し、劣勢だった北部パトリアユニオンは禁忌の技術により「人ならざる英雄──【擬神兵】」を生み出した(わかる)。

【神】と讃えられた英雄たちはしかし、戦争が終わると、過ぎた脅威からただ【獣】と呼ばれ、恐れ蔑まれる存在と変わっていった(わかる)。

元擬神兵部隊の隊長ハンクは、かつての仲間である獣を狩るために旅を続ける(わかる)。

以上、公式サイトから簡単に掻い摘んだあらすじでした。

 

キャラクター配置のセオリーのひとつ──スクリーンディレクション(スクリーン・ダイレクション)を考えながら、擬神兵の配置、シャールの配置、ハンクの配置を見ましょう。

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ワルイ人を右に!!

第1話アバン、進行してくる擬神兵部隊。右からやってきます。

『かつて神だった獣たちへ』第1話 『かつて神だった獣たちへ』第1話
『かつて神だった獣たちへ』第1話より

 

彼らだけであと5分早く仕事を始めていたら、あそこの塹壕で兵士が死ぬこともなかったんじゃないか……とか考えちゃう。どうして、前線が突入していったその先に塹壕があったんだろう。援軍だったのだろうか。じゃあなおさら擬神兵があと3分……以下ループ。

右からやってくるキャラクターでしかも顔が不鮮明(フードかぶり)だと、正体不明感が際立ち、なんだかわからない凄みが出ます。英雄というよりは処刑執行人のような怪しい雰囲気が醸し出されるなか、ビースト化する擬神兵。視線は左へ。

『かつて神だった獣たちへ』第1話
『かつて神だった獣たちへ』第1話より

 

これだけ見るとまさしく敵のデザインですね。どうにも純正のヒーローって感じがしません。個人的な印象ですが。

そして、城内に攻め込み、ホラー映画『キャビン(埋もれたらもったいない怪作!)さながらの圧倒的な暴力虐殺シーン。オマージュだったのだろうか。

『かつて神だった獣たちへ』第1話
『かつて神だった獣たちへ』第1話より

 

その後も、ダイジェスト気味に戦場に赴く擬神兵が描かれますが、右側から攻めていくような描写になってます。奥に進むものもありつつ。北部の人間は【神】と讃えていましたが、南部の人間からすれば、敵対する脅威=悪でしかないので、右側に経っているのも納得です。

もともとは北部側から読む物語である

(北部の人間にとっては)味方である擬神兵を左側に配置して、右に攻めていく図のほうが見やすいと思うんですよ。ただ、このさきの展開の示唆・暗示も含んだ演出としてはやっぱり右のほうが効果的なんじゃねえかなと。

本来、英雄と讃えられるべき存在だった擬神兵(Aパートではまだ戦中なので”存在である”がより正しい)が、反転した逆位置にいることで彼らがダークサイドに没入する可能性や未来像を匂わせているわけです。彼らからすればお払い箱で国から裏切られた、ということになるのでしょうが。

これは想像ですが──基本的には全部想像ですg──観客は右にいる彼らに対して、初見からなんだか嫌な印象、潜在的な意識下で距離を置いてしまってるんじゃないか。そう仕向けられている、というのかな。

そんな演出効果は少し求め過ぎかもしれませんが、スクリーンディレクションの効果(セオリー)を素人ながら齧り知っていた私は、物語のあらすじを知らずとも「ああ、彼らは追放されてしまうのだな」くらいの予測は立ちました。それが的中するかどうかは別の話なので深い追求に意味はないにしろ。

裁きは正義か。ハンクの立ち位置

そして、第1話の終わりにはハンクがかつての擬神兵と対峙します。対峙して、退治します。

『かつて神だった獣たちへ』第1話
『かつて神だった獣たちへ』第1話より

 

北部の物語あるいは擬神兵部隊の物語から、ハンクの物語へとフォーカスされています。しかし、ハンクもまた右側に配置されていて、正位置であるはずの左にいてくれません。ナンデェ

つまりハンクの行いもまた、純粋な正義とは呼べないのではないか、皆で誓いあった約束のためとはいえ仲間に手をかけることは本当に正しいことなのか、神に赦されることなのか……そんな善を説くメッセージがにわかに窺える。

『かつて神だった獣たちへ』 第1話「かつて神だった獣たちへ」

脚本:村越 繁 絵コンテ:宍戸 淳
演出:宍戸 淳・高橋 謙仁 作画監督:高田 陽介・鎌田 均・吉田 正幸・和田 伸一

第2話、シャールの物語

『かつて神だった獣たちへ』第2話
『かつて神だった獣たちへ』第2話より

 

父ウィリアムとのツーショットのカットでは、左にウィリアムを置くことで、シャールにとっても、また観客に向けてもウィリアムが悪ではないことを示しています(補足として、左右で二人のキャラクターが立っていたって常に対立しているわけではないので。常に善悪の概念があるわけじゃあないので。セオリーに反する場合も多々あるので)

ところで第2話では、観客はシャールから観た世界のシャールの物語を読むことになります。
となるとシャールが善で、父親の仇──白いコートの男は悪とです。

『かつて神だった獣たちへ』第2話 『かつて神だった獣たちへ』第2話
『かつて神だった獣たちへ』第2話より

 

酒場での襲撃シーン、シャールの持つ銃身は右へ向いている。

Aパートで鹿を狙うときとは銃を構える先が反転していることも注目すべきところ。

『かつて神だった獣たちへ』第2話
『かつて神だった獣たちへ』第2話より

生きるためとはいえ弱者への罪悪感があり引き金を引けなかった前回とは打って変わって、固い意志で引き金を引いている。心の迷いと固い決意がシャールのなかで反転した結果である。

 

『かつて神だった獣たちへ』第2話
『かつて神だった獣たちへ』第2話より

正義の制裁のためハンクが左に来ているのだが、第1話と比較すると、何かがはっきりと変わった様子は汲み取れない。第1話のエドガーも明らかにダークサイド入りしてたわけですし。

『かつて神だった獣たちへ』第2話
『かつて神だった獣たちへ』第2話より

 

第2話のラスト。和解までは至らずのやや対立の構図。

ハンクはまだまだ心を開いておらず謎を秘めている正体不明の男として、向かって右に置くのが吉ですね。THE 大雑把。

『かつて神だった獣たちへ』 第2話「竜の娘」

脚本:村越 繁 絵コンテ:宍戸 淳 
演出:川奈 可奈 作画監督:村上 竜之介・柴田 志朗・石田 千夏・佐野誉幸

第3話、あえて敵になるハンク

『かつて神だった獣たちへ』第3話より
『かつて神だった獣たちへ』第3話より

セオの存在を肯定する優しさとして、ハンクさんが「オレがお前を殺しに来た敵だ」と名乗りをあげるシーン。

肯定されるべき者が左に居ることで観客にも少し情が湧いてしまうような、そんな切ないカットになっていたと思います。

第5話における銃弾の放たれる方向

第2話で、シャールが銃を打つ方向にふたつパターンがあるという話をしました。大きく分類するとポジとネガ、正当性があるかないか、といったところで向きが分けられている。

第5話では、ガーゴイルのクリストファーが神殺しの弾丸を放ち、

『かつて神だった獣たちへ』第5話より
『かつて神だった獣たちへ』第5話より

そのあとで加勢しに来た町の少年アンディがライフルをガーゴイルに向けて打つ。


『かつて神だった獣たちへ』第5話より

この銃(弾)も第2話同様、劣勢だったハンクからすれば「殺しと救い」となり、意味合いは大きく変わってくる。なので……とはいきませんが、性質の違うふたつの銃は反対方向に放射されることでその違いを示していました。


『かつて神だった獣たちへ』第5話より

そして、最後にハンクが放つ神殺しの弾丸は左から右へ。そこには正当性や正義があるから。

『かつて神だった獣たちへ』 第5話「ガーゴイルの断罪」

脚本:金田一 明 絵コンテ:芝久 保 演出:下司 泰弘 作画監督:吉田 正幸・和田 伸一・村上 竜之介・柴田 志朗・石田 千夏・松岡 秀明・長岡 康史・柳瀬 譲二

たぶんクリストファーはマイケル・サンデルの著書を読んで感銘を受けたんだろうなあといったところでさようなら。

そんな感じで〈『かつて神だった獣たちへ』右側に配置される脅威の示唆、銃の反転の作用について〉でした。

【セール】Kindleで一巻が定価割引で読めます。シャールかっこいい。

おしまい。

参照リンク

TVアニメ『かつて神だった獣たちへ』公式サイト

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