「作画がいい」と言うけどそれは「撮影」のお仕事じゃないの、みたいな場面が増えた

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アニメのカットや作品全体のクオリティを褒めるときの表現〈フレーズ〉に、「作画がいい」というものがありますね。一度はそういったフレーズをネット上なりで見かけたことがあるかと思います。もしかすると日常的に使ってる方がこれを読んでる可能性もありますね。よく読め!私はいまからお前たちを殴る!

──で、私が一部の方たちに思っているのは、何でもかんでも「作画がいい!」で一括りにするもんじゃありませんと。雑が過ぎるぞと。

「それって『撮影』じゃん、『作画』じゃないじゃん」の前にそもそもそこの線引きがかなり曖昧でむしろ同化しているし、もっと言うと、「作画=アニメーションを日本語に訳し直したもの」みたいな認識がかなりの数見受けられる。これはヤバイデスネ。

とあるアニメ(の視聴者の反応)をきっかけに怒りが湧いたりしましたが、いい機会とでも受け止め、「作画がいい」と言う前に知ってほしいことがらについてちょっとだけ書こう。

本記事の内容は、導入も導入レベルの非常に浅い知識ですが、むしろその浅さと簡潔さを利点にしたいと思います(※『西洋美術史入門』の導入文の拝借り)。もっと詳しく知りたい方は書籍でもネット記事でも漁ってください
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作画=「アニメーション(映像)」ではない

作画とアニメーションの関係性というか、内包された属性というか(ベン図は省略)。

アニメーションの一部が「作画」なんですよね。作画は線をアニメイトさせる、なんて言い方もあるからややこしくはあるけれど。

「アニメーションがいい」と「作画がいい」は、全然違う話ですから。

これは「サッカーが上手い」「ドリブルが上手い」を同列に語ってるようなものですよ。ドリブルというのは技術のなかの一つにすぎないのに、その他のパスとかフィジカルといった指標に対しては意識がない。そっちを見ない。

「シュート力はどうなの」「ん? シラネ」こんな調子。

ドリブルが上手い選手の紹介を頼んだはずなのに、ゴールキーパーを連れてきたりするんですよ、こういうタイプは。つまり本来のドリブルすら見れていないケースもあり得る。

だから「アニメーションが良い」くらいのニュアンスで「作画が良い」と言われると、困るという主張です。お前が困ろうがどうでもいい、って考えるでしょうが。

作画って線なので。線がいいかどうかなので。

視聴者はアニメの知識をつけるべきか問題

アニメは総合芸術であり、企画から始まり、色々なセクションを経て制作されるもので、もしも「画面への貢献」というものがあるとするならば、視聴者はそれを汲み取ったりもう少しだけでも部分部分にフォーカスを当てていかないといけないんじゃないんかと、そう思うわけです。

「光の当て方がおかしい」と言うのであれば、光の当て方を知っておかないといけないし、「カメラの位置が悪い」と言うのであれば「良いカメラの位置」について知っているのが道理で、同様に、「作画」という”専門用語”を使って言及するのなら、作画の意味を知っているのが普通、当然ではないだろうか。知らない言葉を知らないまま使うのは変でしょ。

こんな感じでファンの視聴の姿勢を指摘したりすると、ライトな視聴者にアニメの見方を強要するな、という意見がおなじみですが、通ぶっておいて何か言われたら途端に素人の顔になるのはいかがなものかと逆に問いたい。問い詰めたい。

それに、私は「作画」という言葉を使うのなら作画の意味を正しく知っておくことにどんな弊害があるのかわかりません。

ここでいう「作画とは何かを知っておく」とは、以下のことです。

「アニメの作画ってどういうお仕事で、何をやっているのか。画面のどこに作画があるのか」

こういう知識です。

ゲームやスポーツのルールや用語を覚えているかどうか、醤油の原材料は何か、そんなレベルですね。

 

ひとまず、お前らはおかしなことを言っているんだと主張する以上、「こうこう、こういうわけで『作画がいい』なんです。アンダースタン?」くらいを示すところから始めないといけないのかな、と思う次第。でもこれ、数年前(アポクリファのとき)に1回やったんですよ。効果はなかったが。あのときはFGOファンにイライラしていたな。

するなり。

アニメーション制作における作画(部門)を知ろう

さて、「作画」というのはアニメーション制作過程におけるひとつの工程、またはその工程で生成された成果物(線画の”素材”)が画面上に映ったものを指します。

いい線を引き、動きのもとになる絵を描くのがお仕事です。

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アニメーションの制作過程(『京都アニメーション版 作画の手引き』より)

作画はさらに「原画」「動画」というセクションに分かれます。EDのクレジットに「原画」「動画」「第二原画」などが登場するのを一度は見たことがあるかと思います。キャスト以外見えない人もたくさんいるらしい。

成果物(”素材”)に対しても「原画」「動画」と呼んでいます。

言ってしまえば長い工程の一部──セクションのひとつです。プロダクションの出発点と言っても良いかも。そこで生成されたものがアニメーションの土台となります。

下のufotableのツイートの動画を見てください(アカウントない方、ごめんなさい)。

完成品のカットのあとに、動きが止まって線画(色がごっそり抜けたもの)になりますね。これが「原画」であり、作画部門の最初に描かれる土台となる「絵」です。

この線画のキマリ具合や、線画の連なりのアニメイト(原理はパラパラマンガのそれ)が良いと思ったかどうかの評価を表す言葉が「作画がいい(あるいは、作画が良くない)」です。

作画の良し悪しへの言及だからそのままですよね。

一方、完成品のほうにある、色の塗り、カメラのブレ、レンズのボケ、勢いを出すための手描き素材、舞い散るパーティクル、燃えさかる背景(流線背景)そのもの「作画」ではありません。作画部門の実際のお仕事ではない、と言ったほうがより正確でしょうか。

絵コンテ・レイアウトに関して言及するなら少し話は変わりますが

画面を持ち上げる撮影のお仕事

さきほどの『鬼滅の刃』の「ド派手で眩しい、ART中の上乗せみたいな画面」(※悪意あり)は作画じゃなくて、作画の後工程の「仕上げ」「撮影」が作り出しているものです。

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特に、撮影セクションのパワーだと判断します。

ufotableは立ち上げ時期の早い段階から撮影部を自社内に設けていて、ノウハウも人材も豊富な撮影が強いアニメ制作会社です。強い、というのは技術的な信頼が厚いという意味もありますが、画面の前面に押し出してくるという意味もあります。ufotableの売り・強みですね。

撮影処理の後ろにあるのが作画

続いて、撮影部門がおこなうお仕事のひとつ、撮影処理について。撮影監督として多作品で活躍をされる、脇 顯太朗氏のツイートから参考になるものを(ufotableに所属されているのではありません)。

撮影処理前、撮影処理後のビフォーアフターで画面(見た目のことを「ルック」とも言う)が変わったことがわかりますか? この違いがわからないとなると、このあとの世迷い言にはついてこれないと思うのでチャオズよろしく置いていきます。

ビフォー作画が良いも悪いも言ってません。撮影(処理)が画面に与える影響を知ってほしいのです。もしかしたら、いままで観ていたものと「作画」のイメージとがかけ離れていてショックを受けるかもしれません。味気ないと思うかも。

画面に映っているのは「作画」だけじゃない

このように、1つのカット(※映像の単位……と雑な説明)のなかには、作画のお仕事、仕上げのお仕事、美術のお仕事、撮影のお仕事など、様々な要素が混じっています。アニメが総合芸術と言われる所以です。

今回は省略していますが、音周りだって重要なセクションです

ディスプレイのなかの完成した画面を観て、何にどう感動するかは視聴者の護られるべき自由であるのは大前提です。

それでも、どの画面にも構成要素(貢献要素と言ってもいいかも)の比重・バラツキというのはあります。必ずあります。それらに目を向けずに、ロボットみたいに異口同音で「作画が良い」と言っているのは危険な状態かもしれない、と私は思うのです。

撮影を知ればアニメが200倍楽しくなる

MdN編集部の残した言葉です。ありがたく心に受け取っておきましょう。

作画と撮影だけにスポットを当てて分類した場合でもカットの状態(評価)は様々です。

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9分割にしてしまったが、言いたいのはこういうことです。

  • A.作画が良く、しかも、撮影も良いカット
  • B.作画は良い、しかし、撮影が良くないカット
  • C.作画が良くない、しかし、撮影はいいカット
  • D.作画が良くない、しかも、撮影も良くないカット

いずれのカットも、お互いを補ったり高め合ったりしてかっこいい画面が生まれたり、苦しそうな画面で終わってしまったりするのです。

ただ「作画がいい」カットと「作画が悪い」カットだけが世の中にあるわけじゃないんですよ。もっと複雑で、見どころや魅力にグラデーションがあるんです。

それらを知ること、それらを汲み取ろうとすることが「作画を、ひいてはアニメを語ること」なんじゃないかと。

だからどのアニメだって「作画だけがいい」わけでは当然ないし、「作画がいい」だけで終わらせたらダメだって思います。それでも、褒めてる気持ちがあるんだから言葉はどうでも良いでしょっていうのは、それこそ自己的なエゴと言わざるを得ない。

「カット」というまとまりがピンと来ないなら「画面」で解釈してもいいです

それでもあなたは「作画がいい」と言い続けますか

まるで「作画がいい」が悪い表現みたいな……。

冒頭の挨拶のとおり、導入編なので作画と撮影についてはここまでです。

私の知識ではいまはこれがセーイッパイ。詳しくなりたいなら本でも読んでお勉強しといてよ。

知識をひけらかしてお気持ち表明するだけじゃなくてわかりやすい資料を用意する努力をしろ、みたいな「あなたは神か?」的な意見を見かけたので用意しましたよ。 kindle unlimitedに登録してなくても新規お試し期間中なら無料ですし、読む時間をあなたが作るかどうかなので、作ってください

最後にまとめることでもないけど、もう少し具体的に「鬼滅のどこが他と違うの? 何が良いの?」と自問してみて、「火の煌めきが美しい」「刀身の軌道や残像がかっこいい」といった感想になったら、それは撮影がいい仕事をした……ってことじゃないの、と思わなくもない、ということですね。コトコトうるさい。

そんなときは、撮影の方に「あなたの仕事は素晴らしい」と伝えるのがスジじゃないですか。「作画班大丈夫? 死んでない?」があなたの褒め方ですか。

そんなわけで、『鬼滅の刃』を筆頭に「そこは作画じゃなくて撮影でしょ」といった意見が散見される背景は、各人の認識の違いです。抽象すると「用語は正しく使わないとダメでしょ」という単純な指摘。余計なお世話かもしれないけれど。

指摘としてはすごく真っ当だと思いますが、やっぱり外野が上からごちゃごちゃうるせえよと受け止められがちですね。指摘するほどのメリットを感じないので、そーだそーだと思いながら後方で静観しています。

伝え方だけの問題でもない気もする

ここでこんなことを書いてる一方で、違いを説明してみても大した影響は期待できないだろうなとも考えます。

だってもはや「作画」が「アニメーションの映像」的な意味合いのスタンダードな言葉になってしまった以上、彼彼女らの円滑な(いいね!やRTを集めたいタイプの)コミュニケーションのためには「撮影が……」というよりも「作画が……」と書いたほうが効果が望めますから。言葉の正しさよりもその場の”らしさ”が勝ってしまうから。これはもうムリダナ

吊し上げても効果はないし、アニメ視聴者は作画オタクになってほしいという表明が1万RTしたって流れは変わらないでしょう。意識を変える変えない以前に、そういう層には届かないまま終わるので。そういう構造なので。3%くらいの改革が起これば大成功の部類じゃないでしょうか。

だからもしも彼彼女の「作画がいい!!」という賛辞が目に入っても、「映像がキレイ!!」くらいのことを言いたいんだなと脳内で変換して受け取って収めておけばいいんです……が、そんなにすんなり受け止められるわけもなく。どうにも虫が好かない。気に食わない。なぜだろう。

”虫は光が大好き”、って笑って済ませたら楽なのに

こういうのをエリート意識の歪みとか選民思想とか言うらしいが、お互い様じゃないのかなと。お互い様に逃げ込むのも良くないらしいが。

私たちは身内でもなんでもないけど、小競り合いと内ゲバみたいなことを繰り返してばかりで、ほんとはもっとやることがあるんじゃないって思うと居たたまれないね。

そんな感じで〈「作画がいい」というけど、それは「撮影」のお仕事じゃないの、みたいな場面が増えた〉でした。

おしまい。

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