2021年秋アニメをちょこっと観たので、辺境で第1話の感想を書くことにしました

吸血鬼すぐ死ぬ オープニング アニメ感想文
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すっかり秋めいてきました。

やくならマグカップも 二番窯』の作品内時間も10月で、このタイム感なかなか良いなと思っておりました。良作アニメなのでご視聴願います。ズッコケ首スライドなんて、いまどきなかなか拝めませんよ。

で、「やくも」の話は今回出てこないんですけど、今期のアニメ(2021年の秋アニメ)をぽつぽつ観はじめたこともあって、ささやかにメモでもしていきます。300文字くらいの短いのから、余計な埋め立てまで。

追記するか、ページを分けるかは未定。

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『吸血鬼すぐ死ぬ』第1話を観ました

吸血鬼すぐ死ぬ オープニング
『吸血鬼すぐ死ぬ』OPより

OPのダンス中にロナルドが左奥に引っ込んでいくカットにちょっと感動しました。あまりに予想外で。裏拍にアクセントをとるノリも描いていて、いいダンスアニメーションですね。

で、本編ですが、2人のやりとりがあんまり……。好みですかね。ひょうきんな福山潤が実はそこまで自分のなかではヒットすることがない。

こういう「ハイテンションなんちゃら」がずっと続くなら、そのうち観なくなるかなと思ってBパートを観ていたら、舞台がドラルクの城から吸血鬼退治事務所に移るんですね。

吸血鬼すぐ死ぬ 第1話
『吸血鬼すぐ死ぬ』第1話より

これがけっこう面白いなと思って。

第1話から路線変更

悪魔城の外で陽の光を浴びて消滅したはずの吸血鬼が事務所に転がり込んできて、助手か使い魔のようなポジションをとる。作品がバディものとして再スタートするわけです。

吸血鬼すぐ死ぬ 第1話
『吸血鬼すぐ死ぬ』第1話より

悪魔城での「1対1」のコメディが続くだけじゃ話に広がりがないから、「2人対ゲスト」の構図に物語の進路を書き直す。これで悪魔城以外の舞台でも、2人のお話を描くことができるようになりました。いい。

ほほうー、と感心していると、そこに事務所が入った雑居ビルの裏手にあるコンビニの店長が訪ねてきます(近所のコンビニかも)。「とにかく誰でもいいからついてきて!」とコンビニに立てこもった息子のトラブルを持ち込んできたのです。

吸血鬼すぐ死ぬ 第1話
『吸血鬼すぐ死ぬ』第1話より

さあ、バディのチュートリアル開始ですよ。

トラブルの解決に吸血鬼も一役かい、役割も果たし、バディを結成する種がまかれる。流れは綺麗ですね。いい作りでした。でも──コメディのテンションが致命的に合わないから、継続するかはわかりません……。

吸血鬼すぐ死ぬ 1
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『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』第1話を観ました

長文タイトルはいまだに慣れない。具体的な内容を含んでいるタイトルに面白みを感じないのだなと思ったりしてます。

少し気になるのは、前半の「真の仲間じゃない」という部分は主人公の言葉じゃないんですよね。名言されていないけど、たぶん前のパーティの誰かでしょう。順当に勇者かな。その誰かが、お前は真の仲間じゃないという理由でパーティから追い出した。その発言が「真の仲間じゃない」になっています。

この誰かの言葉がタイトルに混じってるのって、ちょっとレアなんじゃないかと思います。「それゆけ!アンパンマン」とか、外部の視点のものはたくさんありますけど。

さらにいえば、文の構成として、理由が2つ入ってるんですよ。

まず、パーティを追い出された理由が「真の仲間じゃない」という指摘を受けたから。そして、スローライフに切り替えた理由が「パーティを追い出されたから」です。

理由が2つも入っている。言い訳がましいというか、理屈のディテールに拘りたいのか、まあ字面がコテコテになるのも無理はないですね。治安が悪いという噂を聞いたからセキュリティを強化したらお金が随分とかかった、くらいしつこい文ですね。「そんなもんで無一文」くらい開き直ってくれると、どうして? と思えたりするんですが。

どうして本編に触れずにタイトルをいじっているかというと、本編に言及することが特に無いからです。

タイトルが具体的になると本編で描くことが減る問題

一般的に、物語のなかでキャラクターが行動するのには理由があるのがリアリティというもので、そういった行動原理やきっかけを描写するところに面白さがあって、また観客はそれを楽しみにしているのです。物語の序盤の行動には序盤の理由があって、中盤の行動にはまた中盤ならではの理由があります。

しかし、タイトルに「なぜ」への解答が含まれている場合、そういった描写を本編で描くことは必要なことでしょうか? 不要なことでしょうか?

タイトルで提示しておくことで省略できる、とも考えられます。せっかくの演出アイデア(あるいはシーン)をひとつ失ったとも考えられます。明白なことがらを詳細に描いても「それはもう知ってるよ」と視聴者には思われてしまうことでしょう。

ちょっと深めたいテーマですね、これは。

第1話の挑戦的なコンテ

真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました第1話
『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』第1話より

第1話で一番印象に残ったのは、画面内に足元が全然映らないなということ。コンテの時点からそういった挑戦的、逃避的な方向性で作られたんだと思います。

太ももから下が映っているカットが、他作品との平均よりもずっと下にある。それは間違いない。

足を描くことを避けているのはなぜかというと、これは足と地面を画面内で一緒に映すと(地に足をつけると)、人物がパースに正しく乗っているかがけっこう目立つからです。乗っていない場合に、ズレに気づきやすい、ということです。

これだけが理由ではないですが、代表的な理由は上のようなもの。

「真の仲間」の第1話は、太ももあたりからフレームを外す&真横のアングルがかなり多いため、「足を描くのを避けてるな」と気づかれるわけです。普段より気づきやすかったです。

物語について

物語としては、主人公とヒロインの(イチャイチャした)スローライフをメインにお送りする話なので、第1話で相手側、つまりヒロインのビジュアルデータ(顔や体)をはっきり描写していたのは正解だと思います。

第2話は出会いが描かれるんだろう、と次の展開が読めやすい(たとえ間違っていたとしても)つくりで締めたのはいいです。

真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました第1話
『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』第1話より

文化圏や時代背景から出てくる言葉遣いに気になるところがあって、「スローライフ」という単語を作中の人物が口にするのに違和感があります。「そんなことファンタジーもので日本語喋ってることからそもそもおかしいと思えよ」みたいな”上手い返し”的な(て・き・な)ことを言いたい人は勝手に言ってろと。あとそれ自分の言葉なのかと。

スローライフってすごい近代的な言葉じゃないですか? 概念としては「平穏な暮らし」「隠遁生活」のように昔からあった可能性はありますけど、それをスローライフと表現したのは近代で、日々の忙しさから脱したいという理念から誕生したもので、いまいち作中の背景とマッチしてないように見える。作中の時代がどのあたりなのか、日本の歴史(地球の歴史)と比較できるものなのか、わからないけど。

『テスラノート』第1話を観ました

テスラノート第1話
テスラノート』第1話より

こちらもバディものですね。タイトルに「考察」がつくと、『げんしけん』を思い出す。

冒頭から、コンビを組むような流れがあり、2人がいかに強固なコンビ・バディになっていくのか、という物語を、テスラが残した謎とともに中心軸にして描いていく流れになると思います。

第1話は「この2人はバディでやっていくよ」というところまでは見せるけど、当然完成には程遠く、出会い当初の最悪の関係からはひとまず階段を一つのぼった、でも全然認めてはいないけどね、といったスローな滑り出しで終わります。

その段階そのものは良いんですけど、その発展プロセスが弱いかなと思いました。あと上司の心の声がお寒い感がありますね。わざわざカメラを意識的に向けるほどではないのでは?

アクションとカメラとの距離

牡丹の素性が視聴者にもわかるシーンは屋内でした。フィジカルの強さを見せる意味合いで”刺客”とのファイトがありましたが、運動神経の良さとか身のこなしを見せるなら、ある程度は引きで撮ったほうがいいと思うんですよ。ある程度っていうのは、周りの状況を視聴者が把握できる範囲。そして、牡丹の体全体がフレームに入る画角。

あまり一般的な考えではないかも
観直したらそこまで寄ってませんでした。こういう勘違い、よくあるよくある

テスラノート第1話
テスラノート』第1話より

実写だと、CQC(近接格闘)のような場面でカメラが寄るのは、アクターが実際はそこまで機敏に動けない場合です。

エリートエージェントとか元A級ソルジャーというキャラクターに見合うほど動けないから、カメラが寄って、コマをいくつか落として「シャキシャキと動いている」ように見せかける撮影技術なんです。そうやって、脇腹に高速でパンチを打ち込んでいるように見せるのです。

どのあたりからこの撮り方が流行ったのかは明るくないですけど、『ボーン・アルティメイタム』とか『96時間』とか、あのへんの時期には確立されていたと思います。

で、アニメだからキャラクターの身体能力なんてものは”なんとでもなるはず”なんですよ。

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動けない制約もないんだから、動けるアクション俳優みたいに若干の引きで撮ってダイナミックに動かせばいいのにな、と思うんです。補足しておくと、寄って撮るのが効果的なのは、アクションの内容が細かいときとかですね。針に糸を通すような。

とりあえず、目に追えないアクションだ→すごい動いていると判断するのはよくないからやめたいですね(近年のアニメアクションシーンへの突然の警鐘)。

ED映像がかわいい

EDのモデリングがすごくしっくりくるというか、フレンチな雰囲気込みで好きです。モデリングもシルエットだとそれはそれで独自の映えが発生するというか。

やっぱり、人物のCGモデリングに違和感がなくなったかというと、そんなことはなくて。「第3の『エクスアーム』だ!」とか言っておもちゃにするような趣味はないですけど、本編も気になるところは多々あります。

EDと比較すると、違和感は顔面のパーツ及び表情から来るのかな、とも思ったり。やっぱり人間が一番視線を送るのは人間の顔面ですからね。比較対象が明確なせいかもしれません。

そんなわけで、視聴は継続。最後の作品になるかもしれんのだし。なんのだろう。

『逆転世界ノ電池少女』第1話を観ました

以前友人と、「せっかく後ろから忍び寄ったのに、襲う瞬間に『くらえー!!』とか言っちゃう道理がわかんない。案の定、つば競り合いの揉み合いになったりしてやがんの」という話をシていました。

黙って武器で殴るなり斬りつけるなりすればいいのに、物語に引っ張られてるからそういう行動を取ってしまう。なぜなのだ。

たとえば、注意を引きつける狙いがあって意識をこっちに向けさせるパターン。実は二番槍が隠してあって、という感じでスキを作るパターンです。

あるいは、相手への威嚇目的で咆哮をあげるパターンもあるでしょう。剣道にはそういうのがあると思いますが(よく知らない)、必中必殺の好チャンス好ポジションでやる意味があるのか無いのか。

なんにしても、「そのアクションに理由はあるのか?」という不思議に満ちているわけです。

叫びはロマン

本作の第1話では、エンタメ作品のなかのお約束、「攻撃時に技名を叫ぶこと」「名乗り上げや啖呵を切ること」の理由を改めて提示しようとしていたわけです。もうあんまり気にしてる人はいないかもしれないけど。でも、その姿勢は見習いたいし、すごく大事です。

もちろん、それはロマンだから、でも一つの回答だと思います。そこにもうひとつ、「必要な」理由も本作には付け加えています。

それは、それがトキメキだからです。ロマンとほとんど一緒じゃねえか。

叫んだり前口上を言ったりすることで、パイロットがときめくから。テンションが上がるから。すなわち、決戦を前に士気が上がるから。そう考えると至極まっとうな論理ですよね。スパルタ軍の咆哮にも通ずる。

それはすごく面白い取り組みでいいんですが、そのぶん空白が見え隠れする戦闘シーンでのテンポ感についてももう少しリアルにして欲しかったです。「リアルに」というのは、ここの場ではちゃんとした理由を持って、というか理屈を持って、という意味合いで。「とはいってもフィクションだから」に任せずに詰めてやっていってほしい。

──と書いていて思うのが、第2話以降でそういったお約束を”いじっていく”可能性は十分にありますね。変身中に襲われない不思議(最近はそうでもない)やタイム感の齟齬問題とか。EMトルネードの系譜にも面白いトピックはあるので、サブカルマニアックスな脚本陣には期待したい。どういうドラマになっていくのか、まだ見えませんが。

ファイルーズあいの信頼度がぐんぐん上がっていくのもいいですね。リンちゃん、最初はメンタルモデルというか、ガランドール(マシン)に搭載されたAIのイメージなのかと思っていたら、第1話のラストで驚きのエヴァ的な立ち姿になったりして。バルザック山田にもウルトラマン的な拳上げポーズがあったけど、気のせいかしら。とにかく第1話の締りは良かった。

冒頭の構成には不満が

文句を上げるなら、冒頭の炎上シーンから時間軸を戻す意味がなさすぎたってことですね。店から持ち出したバッグの中身がこの先に繋がってこないと本当になんだったんだろうと思います。

よく語られる、インパクトのあるシーンを(放送時間内の)冒頭に持ってきて視聴者の興味を引きつける手法がありますけど、いまのTVシリーズ横並びの状況でやることなのかなって考えて欲しい。奇をてらった結果、奇をてらった数作品がかぶるっていう状況(前期でもあったんです)はなかなか目も当てられないもんですよ。

しかも、たった数時間戻っただけなのに、さらにそこから今度は時間のスキップを入れてくるわけですよ。順方向に進んでいるからあまり意識に上りにくいでしょうけど。なんだかこのあたりもちぐはぐしてて、整理ができてないなあと。ロフトプラスワン云々より大事なことがあるでしょうと。

その後、1回目に見た炎上シーンに戻ってきたものの、繰り返した意味があるのかないのかわからないまましれっと進んでいく。よくわからない演出だ。もしかしたら過去改変とか、そういうのがあるのかもしれない。2度あるなら3度ある、こともある、というやつかもしれない。

『DEEP INSANITY』第1話を観ました

冒頭の台詞に「○○な状況でのスカーレット化なんてウンウンカンヌン」というのが、あって。ああ、下手だなあ、嫌いな脚本だなあと思う次第。いまだに音付きでこんな台詞が電波に乗るんだなと拒否感が高まりますね。

やっぱりリアリティが蔑ろにされすぎですよ、アニメは。いや、アニメに限らず。アニメをよく観てるからそういうのが目に入ってくるって話ですが。

台詞で状況の進行具合を説明するのが、うまい台本だっていう風潮が根付いて未だに息があるのが大問題の根幹をなすのだと思います。新しいアニメの、初回2分でこんなことやられたら、腹が立ってもおかしくないですよ。

「せっかくシャバに出てきたんだから」とかもそうですね、絵でシャバに出てきたという表現をしてほしい。ひとつふたつ事情は察しますけど。

 

2021年の秋アニメ第1話への「考察」でした

第1話を観て、軽率に感想を述べる企画を考えてみましたが、作品数が多すぎますね。配信プラットフォームを3つハシゴしているので、ほとんどを観ようと思えば観れてしまえる状況。幸か不幸かはさておいて。

本命にまだ手を付けられていないし、続きが気になっている作品も視聴がかなわない。幸せだなあ。

そんな感じで〈2021年秋アニメをちょこっと観たので、辺境で第1話の感想を書くことにしました〉でした。

おしまい。

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関連リンク

TVアニメ『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』公式サイト

TVアニメ『吸血鬼すぐ死ぬ』公式サイト

TVアニメ『テスラノート』公式サイト

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