イマジナリーラインを守るとき、越えるとき

アニメ演出・分析

ILを超えるのはダメだという主張について

イマジナリーラインの性質を踏まえたうえで、観客のスムーズな視聴を優先するのか、印象づけるためのアクを作るのか、制作者としての立ち位置が分かれるところではないでしょうか。

IL遵守派の主張の大きなところは「ILを超えると混乱を招くから」だと思うんです。いや、「混乱を招くような下手なIL越えをするな」かもしれない。こっちのほうが親切心があっていいですね。

で、返す意見として

  • 混乱の危険性を軽減させながらの越えも可能である
  • 混乱を意図しての越えはアリである

と私はふたつの意見があります。

引きの画で位置関係ごとひっくり返すIL越え

まずはひとつめ。

引きの画を使って位置関係の混乱を軽減させる。

リバースショットで例示したような入れ替わったように見える画面というのは、画面内の情報不足が原因です。対話相手がフレームに写っていないので、どこにいるかわからない・視線の先にいるようだが判然としない。しかし、両者がフレームのなかに収まっていれば、位置関係がごっちゃになることはありえません(多少、画面に違和感を覚えるかもしれませんが)

引きの画でILを跨いだカット繋ぎの例として、『Dr.STONE』を見てみましょう、

『Dr.STONE』、引きの画とイマジナリーライン

Dr.STONE』第16話。千空とルリが、石神村の起源について会話をするシーンでILを越えたカット繋ぎがあったので、そこからチェック。

『Dr.STONE』第16話より
『Dr.STONE』第16話より

向き合った状態のふたり。見た目は千空が右でルリが左にいます。これを「カットA」としましょう。カメラもイマジナリーラインのこっち側にいます(もちろん線は見えません)

『Dr.STONE』第16話より『Dr.STONE』第16話より

ご覧のように、次のカットで千空が左でルリが右にと、見た目上の立ち位置が変化します。これを「カットB」とします。

ここまで見守るように優しく読んでもらえた方々なら、何が起こったのかと疑問になることはないでしょう。カットAからカットBの間でカメラはイマジナリーラインを越えて、「向こう側」からふたりを撮っていたのです。

補足:カメラの移動経路

カメラ移動を俯瞰にするとこんな感じ。

イマジナリーライン

カットAは赤い線の上の①から、カットBでは赤い線(イマジナリーライン)を跨いで②の位置から千空とルリを撮っています。

立ち位置が変わったと書きましたが、より正確に表現するなら世界のベクトルが変わった、といったところでしょうか。こちらのほうが重要。

ILを跨ぐことによって西や東・右や左といった画面内に存在するベクトルは変わってしまう。

確かに、左右や前後の方向が変わってしまうので、画面に違和感が一切ないとは言いませんが、引きで全体のバランスを保っていれば、位置関係がこじれたりはしない。しないよな?

なんとも屁理屈みたいですが、これが支障の少ないILの越え方の作法です。

意図した混乱に酔いしれる

いっぽう、故意的に違和感を画面に取り込む演出の気持ちよさも注目すべきです。

イマジナリーラインを超えることによって、画面には違和感が生じます。物理的な理を捻じ曲げているわけですからね。その違和感、ノイズあるいはコンフュージョンの発生を好意的に捉えると「画面に違和感を取り込んだ」とも言えますし、批判的に言えば混乱の誘発、単なるミスです。

しかし、エイゼンシュテインが『戦艦ポチョムキン』を撮ってもうすぐ100年にもなりますし、積み上げたセオリーを崩して新たな発見を探すのも一興です。

型を知ってこその型破り、型を知らなきゃカタナシ。

そんな言葉もあるように、創作の基本はスクラップ・アンド・ビルド。

いわば音楽における不協和音の採用と似たようなもので、「”キモチワルイ”が気持ちいい」の領域こそが醍醐味。別名・沼。確かに正しくないのかもしれない。ふさわしくないのかもしれない。合理的とは程遠いのかもしれない。しかし、良し悪しも好き嫌いも観客の感性に委ねられるべきものだと私は思います。

総括:意図があるならILを越えても良し

実例をいくつか探していましたが、時間を要するので記事を分割します。仕組みは提示できたと思うので、あとはまあ粗略になってもよかろう、どうせ最後まで読まれないだろうというぬるい気持ち。

おしまい。

関連リンク

TVアニメ『ぼくたちは勉強ができない!』公式サイト

アニメ『Dr. STONE(ドクターストーン)』公式サイト

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