イマジナリーラインを越えて何かを反転させる演出のある映画

映画『カラスの親指』イマジナリーライン
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通常、イマジナリーラインは守るがよしの基本セオリーですが、あえてルールを守らない──イマジナリーラインをわざと越える(×超える)ことによって画面に出る「違和感」を演出に昇華させる手法も多く見られます。

本記事では、「反転」を意図した演出として使っている作品例をいくつか見ていきます。

イマジナリーラインとはなんじゃ、という方には過去記事をどうぞ。

けっこう誤解されがちなところですが、イマジナリーラインは必ずしも対話中の人物の間にのみ引かれるものではありません。人とビル、人と電車、電車とビル……どこにだって想定できます。

では、始めます。

形勢逆転の合図(『NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』)

NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』より。

ガールズふたりの罵り合い対面ショットです。

緑色ラメの女の子が主人公のヴィーで、左の子が友人シドニー、嫌な奴です。興奮状態のシドニーがまくし立てて主人公を攻めています。

映画『ナーブ』
映画『ナーブ』イマジナリーライン

イマジナリーライン カメラ 越える

いまカメラの切り替えはこう変化していて、イマジナリーラインは越えていない状態。

続くヒートアップのさなか、カメラがイマジナリーラインを越えます。

映画『ナーブ』イマジナリーライン
映画『ナーブ』イマジナリーライン

「臆病者」と言われ、主人公ヴィーの顔つきにはキレスイッチが。堰を切ったように反論反撃が始まります。

映画『ナーブ』イマジナリーライン

(罵倒中略)

映画『ナーブ』イマジナリーライン
『NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』より

イマジナリーライン カメラ 越える

つまりこういう位置移動で、黙って聞いていたヴィーは③からスイッチが入り反撃を開始しました。

形勢が逆転する合図として、上下関係や優勢劣勢の入れ替わりとしてイマジナリーラインを越えることで上座下座を書き換えたのです。

なるほどなるほどー。

嘘が混じる瞬間(『カラスの親指』)

詐欺師のお話『カラスの親指』のパンフレットには、イマジナリーラインが物語を読み解くヒントになっているという記述があるそう。実物見たことはないのですが。

本作のなかでは敵を騙すのは味方からという言葉の通り、村上ショージ扮する「テツさん」が詐欺のパートナである阿部寛扮するタケさんにちょこちょこと嘘をつきます。

この「テツさん」がタケに対して嘘をつく瞬間(その台詞を放つとき)イマジナリーライン越えが発生します。私なりの言葉でいうと、「裏に入った(事実とは異なる情報を知る)状態」

たとえば、安物のガラクタを売りつけて小遣い稼ぎした帰り道のやり取り。

映画『カラスの親指』イマジナリーライン

阿部「やけに遅かったな。心配したぞ」

映画『カラスの親指』イマジナリーライン

村上「12万を15万に上げるまでが大変だったんです。50万ももらえるのにあの親父も欲が張ってますね~」

映画『カラスの親指』イマジナリーライン
『カラスの親指』より

阿部「だからそれがもらえないんだっての(以下略)」

二枚目、赤字の部分が嘘なのですが、そのときはカメラがイマジナリーラインを越えた向こう側から二人を撮っています。

イマジナリーライン カメラ 越える カラスの親指

 

もうひとつ。物件を探して待ち合わせするシーンから。

映画『カラスの親指』イマジナリーライン

阿部「こんなところでずっと寝てたんじゃないだろうな?」

映画『カラスの親指』イマジナリーライン

村上「そんなことないですよ。ちゃんと探しましたよ。いいのが見つかったんで休んでてもいいかなって

映画『カラスの親指』イマジナリーライン
『カラスの親指』より

阿部「じゃあ、その話聞かしてもらおうじゃねえか」

イマジナリーライン カメラ 越える カラスの親指

こちらも2番のカットでイマジナリーラインを越えています

このように、『カラスの親指』では嘘をつくカットがイマジナリーライン越えのカットとして演出されていました。上記のふたつの他にも数箇所この演出は出てきます。

本編を観て探してみよう。

世界観・認識の変化(『美しい星』)

美しい星』では世界観の変化、世界の視え方が変わってしまう瞬間にイマジナリーライン超えがありました。

これは橋本愛演じる暁子が「あなたは金星人である」と告白されるシーンで、いままで自分は地球人だと思っていた……というか何星人かなんて考えてもなかったのに突然そんなことを言われるとそれはたいへんな世界観の変化です。まさに驚天動地。

このシーンの最初の位置関係はこんなふう。

『美しい星』より

逆光となっており、少し画面が重いです。そのあと一度別のシーンのカットが入って、戻って来ると食べている料理が主菜から菓子に変わっており、それなりの時間の経過があるよう。

左を向いている人物が左側に寄っているやや不安定な画面は少し緊張感がありますが、人物に寄ってもイマジナリーラインは守られています。

ここから、若葉竜也演ずるが過去の体験を語り始めます。そして、話の内容が奇妙な、スピリチュアルでオカルティックな方向に進んでいくのに合わせて、カメラもじわじわとイマジナリーラインに接近していきます。

日食や月食さながらに暁子の背中でが見えなくなりそうになるタイミングで「僕は金星人。暁子さん、君も同じ」と告げられる。

そしてライン超え。静かに驚く橋本愛の表情。

日食などと冗談めかして書いてみたが、惑星軌道のイメージは無関係ではないと思う。作品名が『美しい星』ですし

イマジナリーラインを超えてのリバースショット。

自分が金星人と認識したことで世界の視え方も変わりました。

『美しい星』より

このあと中居くんさんが入ってきて話は中断しますが、ILを超え窓辺側にカメラが移動したことにより逆光から順光に変わっていて、引きで撮ると画面が明るい(光が当たっている面が増えている)のがわかります。

橋本愛の顔にかかる光の面積も増え、いままで周りに馴染めずにずっと違和感を抱えて過ごしてきたのは自分が地球人じゃなかったからなんだという(正当性があるような)理由が見つかり、精神的な安定を手にしたという効果も付与されているように思います。構図も右向きの人物が左に配置されていて安定していますし。

という流れを動画で観てみよう(画質は落としています)。

『美しい星』より引用・抜粋

長さの関係でカットしましたが、このあと彼女は金星人の話を前のめりで聞きたがります

語る内容とリンクしたじわじわ接近メソッドはなかなか面白いなと思う一方で、橋本愛の背中をずっと回り込むという選択もあったと思うんですが、そうすると告白→後頭部ナメからの驚く表情っていうのが撮れなくなります。「後頭部ナメからの驚く表情」を撮るためには、カメラは後頭部の後ろをスタート位置にしないといけない。しかし、回り込んだあと(ILを超えたあと)にリバースショットまで撮れる位置まで来ておいて次のカットが後頭部の後ろから始まったら流石におかしい画になります。だから後頭部からの表情優先でカットを変える選択になったんじゃないかなと。

また、薫の背中を回り込めばシームレスに告白→後頭部なめからの驚く表情が撮れるんじゃないかと想像してみます。そうすると語り手の顔は視えず「話を聞く橋本愛」の画が続くことになります。それはそれでおどろおどろしい雰囲気がありそうですが、橋本愛の顔が見えない状態によって「この奇怪な話を橋本愛はどんな顔で聞いているのか」という興味も湧いてくるのでこれを優先したのかもしれない。まあ、どれも違うかもしれない。なんか根拠が弱い。

ちなみに、「暁子や薫が金星人」というのが世界の真実なのか誇大妄想なのかは本編に譲ります。

視点の入れ替わり(『いま、会いにゆきます』)

いま、会いにゆきます』からもひとつ。

これは厳密にはイマジナリーライン”越え”ではないです。ふたつのカットが続いているわけではないので。しかし、イマジナリーラインを意識して撮影・編集していることはほぼ間違いなく、概念として通ずるものがあると思い、一緒に紹介しておきたい。

『いま、会いにゆきます』では、秋穂巧(あいお たくみ)の視点と秋穂澪(あいお みお)の視点で二人の馴れ初めというか恋人になるまでの経緯が回想とともに語られます。

秋穂巧:中村獅童 高校時代/浅利陽介 秋穂澪:竹内結子 高校時代:大塚ちひろ

そのなかでも、二人の心に深く残っている「卒業式」での一幕から。

本編中盤、巧側(浅利陽介)からの卒業式当日の振り返り、回想シークエンス。場所は教室です。

映画『いま、会いにゆきます』イマジナリーライン 映画『いま、会いにゆきます』イマジナリーライン
『いま、会いにゆきます』より

黒板側から撮った肩越しリバースショット。こういう過去がありました、と観客に提示しています。

そして、本編の後半に入り、タネ明かしのように、卒業式当日の”ほんとのできごと”をもう一面から語られます。もう一面というのは、(大塚ちひろ)の視点での卒業式当日の様子です。

映画『いま、会いにゆきます』イマジナリーライン
『いま、会いにゆきます』より

そこでのカットがこれです。

イマジナリーライン カメラ 越える いま、会いにゆきます

同じ出来事、同じやり取りでも、この回想は別の人物の回想です。見方、捉え方は当然違ってきます。

その違いを出す演出として、寄せ書きを書いてもらうシーンを、イマジナリーラインを越えたところから撮影したリバースショットを重ねたのです。

いいですね。

演出意図の読めるイマジナリーライン越えはじゃんじゃん肯定します

映画『晩春』小津安二郎 映画『晩春』小津安二郎 映画『晩春』小津安二郎
『晩春』より

鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』や、小津安二郎『晩春』のような、驚き先行というかビジュアル重視のライン超えとは少し異なった、演出としてのイマジナリーライン超えがある作品ピックアップでした。

上記の2つに意図がないかどうかは私が読み取れていないだけの可能性も十分ありますし、意図を乗せようとすればどうにでも乗せることも可能です。世間一般では「深読み」と言われたりもするのですが。

このイマジナリーライン超えは、二人の関係性のズレ・空虚なすれ違いの暗示だ……とかそんな感じで

映像や漫画のコマを見て、そこに演出の意図があるのかないのか、その境界線を見極めるのはたいへん難しいです。でもそこには決して台詞では説明できない楽しさとメッセージがあるのです。

そんな感じで〈演出としてのイマジナリーライン超えがある映画作品〉の話でした。

おしまい。

※本ページの情報は2025年2月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください

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