ラッセル・クロウ主演『アオラレ』観ました。監督はデリック・ボルテ。原題は『Unhinged』。動揺した、不安定な、とかの意味ですね。
タイトルはそれっぽく変えてありますが、近年社会問題になっている「煽り運転」をテーマにしているわけでもなく、むしろ完全にこっちからちょっかいをかけたら手痛い仕返しを受ける話でした。ナメてクラクションを鳴らしまくってた相手が実はヤバイ人間だった系(どこかで聞いたことのあるサブジャンル)の系譜。元ネタは命名・ギンティ小林さんのあれです。
しかし、後部座席に車で突っ込んできたり、マグカップで顔面を殴打されるのは「アオラレ」の範疇をとっくに通り越していると思います。
本作は人が命を落とすのであんまり「面白い」とか言えないんですけど、興味深いとかの意味合いで面白いと言いますがご容赦を。
この作品で大事にされているのは、「怒っている人というのは、いきなり怒ったり小さなことですぐに怒ったりしているのではなくて、その瞬間までの我慢や蓄積がずっとあって、たまたま小石サイズの事柄が大決壊を招いている可能性がある」というのを想像しよう、そんなメッセージです。来店1000人目のお客様、というのは指摘されないと気づけないのと同じです。
あとは、まともに交通ルールを遵守できない人間は天罰を受けろ、という怒り。
私は常々”歩きスマホ”する人間とスマホをいじりながら運転している人間が対消滅して不幸に見舞われることを願っているような人間なので、制作サイドの鬱憤バラシとしか思えないシーンには、つい口元が緩んでしまいました。そして、自分は日頃からなんて良くないことを願っていたのかと改宗させられました。
人の不幸は誰にもわからない
カレン・ピストリアスの無礼な振る舞いに、ラッセル・クロウは「毎日ツイてなくて辛いよな。お互い謝って水に流そう」と提案するものの、一向に応じない態度にとうとう感情をあらわにします。
「お前は本当の不運を知らないんだ!」と激昂し、”バトル”開幕です。
その程度で周りに当たり散らしやがって何様のつもりだって感じで怒り出す彼ですが、結局物語が終わるまでラッセル・クロウの身に起こった「本当の不運」は具体的に何のことなのか明示されません。ここがいいんです。
推測できる材料として、鎮痛剤を飲んでいたり、薬指にはめていた指輪をつまらなさそうに車内に投げ捨てるというアクションが冒頭のシーンにあったり、離婚弁護士をやたらと敵視するシーンがあるので、元奥さんとの間に何かしらのトラブルがあったのは想像できるんですが、それくらいしか確定的な情報は出てこない。
このあたり、自分が関わっている事柄だったり不遇や災難というのは相手のそれよりも重大かつ重要であるという自分本意な勘違いを起こしやすい人間の誤謬が如実に出ている部分だと思います。面白いです。
追われる側を孤立させるための舞台装置
物語は、執拗に追っかけてくるラッセル・クロウから逃げる女性(カレン・ピストリアス)が中心になっています。乱暴に解釈すると、ジェイソンとファイナルガールの関係性です。
でも、舞台は山奥や孤島ではなく、フリーウェイもあるそれなりの都市部です。
山奥であれば彼女を孤立させるのは簡単ですが、街にはたくさん人がいるので、助けを呼ぶ選択肢があります。視聴者が「どうして誰かに助けを求めないの?」と考え出すとノイズが発生して気持ちよく見れません。
彼女を孤立させるために、ラッセル・クロウが彼女の携帯電話を奪うことで、手段から救援を刈り取る演出も尽くしているのですが、もうひとつ演出が効いているなあと思う箇所があります。
終わっているアメリカの交通事情
なかには通りすがりの警察官や気の良いお兄ちゃんが手を差し伸べてくれます。
間に入って、ナンバーを覚えたからもう馬鹿な真似はよせ、というお兄ちゃん。
これで一安心、無事解決。
しかし、彼女への手助けが入りそうになるたびに無警戒なところから車が突っ込んできて、彼女へのヘルプを断ち切ります。そしてまたもやラッセル・クロウと彼女の1対1の追っかけあいになります。
なんでこんなに(都合よく)勢いそのままで車が突っ込んでくるんだ、真面目にやれと怒りそうになりますが、冒頭に「アメリカの交通事情は悪化の一途を辿っている……。みんなイライラしている……」というアメリカ社会への警鐘というか問題提議が導入部に入っていることですべて解消されるのです。
つまり、非常に不自然なブッコミはけっして脚本の都合ではなく、「ながら運転・脇見運転」の結果なのです。
数メートル前に駐車しているパトカーがあるのに、お構いなしのノンブレーキで突っ込んでくるんです。ドライバーは前なんか見ていないから。これがアメリカの日常で起こっている問題だ、と言わんばかりに。この理路整然とした予防線よ。
『アオラレ』は他人事ではないトラブルへの警鐘である
そんなこんなで孤立していくカレン・ピストリアスとラッセル・クロウとの「アオリアオラレ」は幕を閉じますが、エンドクレジットでの表記がまた面白い。
Man:Russell Crowe
名前すらついてなかった。いままで見ていた男の名前も私たちは知らないままでした。
この距離感。決して他人事ではない感じ。自分にも同じようなことが些細なきっかけで起こりそうな悪寒。ちょっと背筋が伸びますね。
エンドクレジットを見るとわかりますが、名前ありのキャラクターは必要最低限に留めていて、店員とか教師とか警官とかはほとんど役職表記です。
これも「この作品はフィクションではあるけれど、身の回りの近いこととして受け取って欲しい」という制作者の意図が入っているように思えます。
『アオラレ』なかなかの佳作でした。ラストのもう一捻り展開を加えてきそうなカメラの引きにヒヤヒヤするまでたっぷり楽しめます。
そんな感じで〈『アオラレ』でラッセル・クロウを久しぶりに見た〉でした。
おしまい。
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