レンタルビデオショップには通うもののどうにも黒沢作品に手が伸びず、「いつか観なきゃいつか観なきゃ」と思いながら陳列を眺めている日々がここ10年くらいありましたが、ようやく一本借りる決意がつきました。
映画の素養をしっかり身につけないと黒沢は理解できないんじゃないか? と不安になっていたのが原因でしょう。良くないですね。
気負いせずこれから2週間に1本は黒沢作品を観ていこうと思います。
描いたのは人生観への問いかけと、どこまでも怠け者な人間の体質
あの志村喬がブランコにちょこんと座っているビジュアルがあまりにも先行していてみんな本当に観てるかな、なんて思いながら、”胃がんを宣告されて死と向き合う男の話”という前情報はパッケージの後ろで把握はしていたんですが、物語の描き方は思ったよりも湿っぽくはなくてむしろ前半はユーモラスな会話があったりして、意外な印象を受けました。
病院の待合室にいる文豪さんっぽい人の話
主人公・渡辺が病院の待合室にいると、同じく胃を患っているおっちゃんが隣に腰掛け、この病院の医師の言葉にある”裏側”の意味を教えてくれる。
それは、
「胃がんの患者には事実通り『胃がんです』と告げずに、『かるい胃潰瘍です』ってこういうことを言うんですな」
といったことや
「食事制限は特に問題視しなくてもよい」
などと言っては、医師は必ずお茶を濁すのだということ。
そのさなか、どうにも見覚えのある男が鏡に写る。
非常に具合の悪そうな患者で、台詞はないのだが文豪のような恰好からも時代を鑑みてもやや浮いて見える。まるで注目してくれといわんばかり。太宰治の肖像に似ている気がした。
その後、渡辺の診察が始まり、彼が胃がんであることが視聴者も知るところとなり、退出した渡辺を尻目に医師と看護婦(時代的に”看護婦”)がこんな話をする。
医師 「きみ、もしあと半年しか生きられないとしたらどうするかね?」
看護婦「そこの戸棚にベロナールがありますわ」
そんなふうにすまし顔で返す看護婦を見て、なるほどと思った。
おやすみバルビタール
ベロナールとは、睡眠薬「バルビタール」の商品名のこと。
つまり看護婦は「苦しんで生をまっとうするよりも眠っているあいだに死を迎えます」という意味合いの、ジョークのような返答をしたのである。
なるほど。太宰ではなくて芥川なのか。そういえばそうだ。芥川だ。
芥川龍之介の死因は、ベロナールの過剰摂取による自殺なのである。
またひとつ賢くなってしまった。
後半、通夜のカットバック
五ヶ月後、渡辺は死んだ。
渡辺は自身の胃がんにはたして気づいていたのか、なぜ公園づくりにあんなに躍起になっていたのか、といた疑問を通夜に参列した役所仲間が「そういえばあのとき……」と振り返りながらひとつの推論が展開されていく。
ヘンリー・フォンダ版の『十二人の怒れる男』(1957)を思い出しましたね。もしかしたら黒沢明の影響があるのかもしれない。
『キサラギ』ってしょうもない映画もありましたが、あれって”『生きる』ごっこ”がしたかった映画だったんだな。本作観てやっと気づきました。
話を戻しましょう。
渡辺の死の間際の行動に触発された役所仲間は、役所の人任せ体質・ことなかれ主義の薄っぺらい仕事に嫌気がさし真っ当な仕事をしようと誓い合うのですが……。しょせん人間、そんなにすぐに人は変われない、という少しシニカルな幕引きでした。
志村喬の演じた渡辺にしたって、自分に降り掛かった「死といういずれ訪れる現実」に触発されて初めて考えを改めたような人間であり全肯定できるような人間ではなかったわけで……。
といったような無常観・ヒューマニズムを描いたことが黒澤明の素晴らしい功績なのではないかと思う次第。
おしまい。
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