職場の同僚が面白いなんていうから借りてきました、『ディアトロフ・インシデント』
こんな言い方から始めるとまるでいまからこき下ろすみたいな展開ですが……、まあ褒めはしなせん。こき下ろすほど細部まで本腰いれて観ていなかった。いや、最後までしっかり観るには観た。大逆転ホームランがあるかもしれないと思って。つまらないと思っても途中で再生を終えたり、ディスクを壁に叩きつけたりはしない。ささやかにも太宰治イズムを信条としているので。
『ディアトロフ・インシデント』こんな話
1950年、ロシア・ウラル山脈のディアトロフ峠で登山家9名が原因不明の変死体で発見される。いまなお謎が残るこの事件の真相(主に被害者たちの心理分析)について、心理学専攻のホリーが学内から協力者を集め調査をするべく現地へと向かう。
この調査の様子をカメラに収めた映像が、のちに遭難したホリーらの捜索中にディアトロフで見つかり、そこにはびっくりの真実が記録されていて…………というお話。ファウンド・フッテージ要素もある。
このびっくら真実要素については、まあどうでもいいんですよ。賛も否もない。
想像のはるか斜め上(下)でしたが、モキュメンタリーに感激するようなものは期待してませんし。いっちゃえばこれ、フィクションだし。
なつ「全部台無しだよ」
でもモキュメンタリー映画にはリアルさをとことん追求して欲しい部分もあるんです。とことん茶番を演じて欲しいんです。観てる私たちはモキュメンタリーですが、彼女らが撮っているのはドキュメンタリーですから。
で、ここからネタバレ入ってきます。
「モキュメンタリーのルールやマナーを逸脱してないか?」と思う
調査メンバーから死人が出るんですよ。まあある程度の予測はしていたと思いますが。雪山でみんな無事なんて、ねえ。
その死んでしまうシーンが、雪崩に飲み込まれて岩か何かにバキャ!って当たって顔が潰れてしまった、みたいな痛々しいところで。
調査メンバーが奥からカメラにぐーんと向かってきて、バキャ!→レンズにヒビ、みたいな。
これ、カメラに当たったんならそれでいいと思うんですけど、岩のなかにカメラが入った的な画作りはモキュメンタリー教義に反してんじゃないかなーと。演出ぶりすぎって言うんですかね。その嘘はだめでしょ、と。
もうひとつ、物語の終盤でメンバーが逃げ回るシーンでも、前を走るメンバーをカメラがしっかりフレームに収める。収め続ける。右折左折を繰り返す。パニックシーンだってのに。
施設のなかが暗くて迷路みたいになってて前をカメラのライトで照らしてるんなら一番前を走るのが最善だし……うーん、よくわからない。VRのアトラクションを見せられているようだった。画面だけFPSみたいな(よくわからないって言い出したら終わりだね
逃げてるっていうのが伝わればあのシーンの役割は果たしてると思うんだけどな。
モキュメンタリーの撮影作法について
そもそもモキュメンタリーあるいはフェイク・ドキュメンタリーとはなんなのかというと、「あるできごとについてのドキュメンタリー映像を撮っている」ふうに見せかけたフィクションムービーのこと。ちょいメタい構造ですね。半年に一回くらいはこっち系のものが観たくなったりする。基本的にPOVかつカメラ目線の画にときめく嗜好があるんです、私。基本的にってなんだよ。
代表的な作品を挙げるなら、『食人族』から『カメレオンマン』『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』『パラノーマル・アクティビティ』『クロニクル』『REC:レック』『クローバーフィールド』となかなかに歴史のある変わり種のジャンルを指しています。
(最近の掘り出し物は『V/H/S ネクストレベル』。ケルシー・エボットという女優さんがかわいいです。けっこうなグロ描写がてんこ盛りな映画なので、気楽には観れないかもしれません)。
画面の特徴
作品あるいは作風の共通点として、
- ハンドカメラでのホームビデオ調な画作りになる
- 撮影者あるいはカメラの所持者が主要登場人物になる(つまりカメラマンの存在が如実に視聴者に伝わる)
のようなものがある、のだと思っている。
とくにカメラマンの存在を意識させて、「これは撮影をしています」というイメージを視聴者に与える導入は、モキュメンタリー映画では必須かつ鉄板お約束セクションといえる。
ハンディカメラの特性上、移動に際して撮影中の画面が大きくブレる(表現がなされる)。相対的にFIXというものが少なくなるが、撮影者もフレームインする目的があるときなどはカメラをどこかに置くなどしてFIXになることも”稀に”よくある。
なので、このへんのルールがしっかり守れていないんじゃないかっていう私の小さな不満。
ファウンド・フッテージ
『ディアトロフ・インシデント』のwikiに「この作品はファウンド・フッテージに含まれる」って書いてるから言うんですけど、あのカメラ(最後のカメラ)と映像、どうやって世間に出たのよ、って疑問は残るんですよね。
ファウンド・フッテージって、ドキュメンタリーとして撮ったものが、作成者は消息不明の状態でビデオだけが見つかり、なかを観るとすごいものが映っていた──そんな展開の作品ジャンルですよ。定義なのかはわからない。ルールよりはマナーの類かもしれない。
で、ですよ。本作のあの映像。あれはどういう経緯で公開に至ったんだよ。パラドックス起こってないか? そんなことが気になりました。
この翻訳をしたのは誰だ!
冒頭、まだディアトロフに向かうまえ、同行カメラマン・ジェンセンのドヤ顔台詞。
逆説的脱衣。なんだそれは。わざわざエアクオートまでしちゃって。
英語では「paradoxical undressing」と言ってまして、これは日本で言うところの「矛盾脱衣」のことです。実際に日本国内でもこのような状態で発見されたケースが存在しています。
恒温動物である人間は、あまりに寒い環境下に長時間いると、体温の熱量は外気に奪われ、その結果体温が下がる。体温が一定以下に下がると、体は生命の維持のためにそれ以上の体温低下を阻止しようとして、熱生産性を高め、皮膚血管収縮によって熱放散を抑制することにより、体内から温めようとする働きが強まる。このとき、体内の温度と外部の気温(体感温度)との間で温度差が生じると、極寒の環境下にもかかわらず、まるで暑い場所にいるかのような錯覚に陥り、衣服を脱いでしまうといわれる。
それが、「逆説的脱衣」だとぉ。ボランティア軍リスペクトなのか?
『ディアトロフ・インシデント』の総括
ジャケットの宣伝コピーからうかがえるようにピンポイントで突いてこない映画でした。コピーでなんとなく匂いがするんですよね。
話のネタにして楽しむのがちょうどいいくらいの娯楽作品に仕上がっていて、特に史実を学ぶとかそういった方面での楽しさを求めていると怪我するかもしれない。見放題の環境の人なら暇は潰せるか、くらいでした。
おしまい。
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