それでもanimeを

ニュースを受けて、何をすればいいのか全くわからない。

お悔やみを口にする気持ちが出来上がっていない。

アニメイトが寄付を呼びかけていたりするのも、いまではない気がするし、かといってファンを始めとする方々のそういった善意を否定するほどの論拠があるわけでもなく、いつもどおりの静観、未熟がさとられないように口をつぐんでいるだけです。

いま、自分がどういった感情なのか、整理がつかない。大嫌いな言い回し「語彙を見失う」とはこういうことかと実感が伴う。

ショックがあったのは間違いないとして、悲しむ前に悲しんでいる自分のことが頭に浮かぶ。悲しんでいる人たちと比べてしまう。そうなると自分は相変わらず生活に日々の怒りに忙殺されて、忘れていくんだろうなと、悲しみが風化するいくつかの経験を思い返して、今回もどうせ立ち直るんだろうと、そんなことを考えている。人間の強さなのかわからないけどそういう鈍感さが救いなのかなとも思う。どうせ、いつものように、前を向くのなら、うじうじしてるのってそれこそ嘘だなと。

去年、「いつまでもくよくよしていらんねーな」と、nano.RIPEのギタリストが言ってました。死への向き合い方として、心に残っていた言葉で、今回のこととは全く状況が違うので横に並べるのも見当違いなんですが、でも身勝手にそういうことだなとも思います。失礼極まりないし、関係者の耳には決して入ってほしくない言葉です。あくまでもいま自分に向けて言った言葉です。自分の言葉、自分の感情が自分のなかから浮かんできたことに自信がない。

京都アニメーションだからこんなに深く考えてしまうのか、別のアニメ制作や元請けではない仕上げ会社、あるいはまったく別の業態の会社だったりすると態度も変わっていただろうとうっすら自覚して、やりきれない気持ちになる。

当日の映像も画像も極力見ないようにしているせいで現実感がない。大きさが想像もできず、受け止めることもできないままでいる。

おそらく、いつの日かわかりませんが、お亡くなりになられたスタッフ・関係者の方々のお名前がもし公開されることがあると、大勢の人がなくなったことを少し現実のものとして受け止めるんだと思います。京都アニメーションというマシンがアニメを作って発表していたわけではなく、そこには最高峰のマンパワーがあったからアニメを楽しむことができたのであって、それらが失われた事実を知って、ようやく凄惨なできごとの規模を実感するのかもしれません。

誰々監督が無事でよかったというツイートをたくさん見ました。他意があるわけではないとしても、そこに漬け込んだ揚げ足どりは不要だとしても、誰々だけは……みたいな考えを表明してしまえることがショックだった。

少なくとも、個人の了見で口にするのは憚るべきではないか。感情として、距離感の違いが生じるのは理解できる。しかし、殺人犯と被害者の間の線引ではなく、被害者のなかで選別を行うような、そんなことをされるような方々ではなかったことはみな理解できていると思っていた。

山本監督のツイートに対してのリプライが悪意と不誠実の吹き溜まりで、常日頃の「アレとは一緒にしないでくれ」という感情が再燃して、ひたすらブロックをしていた。ブロック機能をあんなに活用したのは初めてだった。悪玉を視界から排除している間は他の意識がなくて楽になれたような気もする。

犯人のことはよくしらない。アニメが好きだったのか、それが関係してるのか。ただ、おちょくっているような、監督をおもちゃにしたような行為はそれ自体が暴力と質感が同じことには気づいていないようで、お前らも犯人とずいぶんと似通っているんだと、ただ気持ちが悪くてブロックし続けた。

この期に及んでというか、この機に乗じて外の話をして憂さ晴らししてる場合じゃないので、もうやめておこう。

土曜日になって、アニメを観た。

15時まで二度寝三度寝とふて寝を繰り返し、結局、アニメを観た。仕事から家に帰ってきてご飯を食べるのと同じくらいの感覚でアニメを観ていた人間なので、生活のルーティンとなっている。逃避の気持ちが棚上げされた結果でもあったと正直に書いておこう。

普通に笑い声が出た。なんとなくそんな気はしていた。面白いものは面白い。寂しいが、そこに罪悪感が芽生えるほど自分が優しい人間とも思ってない。やはりしだいに普通に戻っていくのだなと思った。

東北地方太平洋沖地震のときに『そしてまた歌い出す』が私の心の根を支えてくれたように、またきっとエンタメや作品に救われることになると思う。それはRADWIMPSの曲かもしれないし、『天気の子』かもしれないし、「黄前久美子たちの生きた姿」かもしれない。

これからのエンタメに限らずに過去の作品こそ、力になるとも思う。『CLANNAD』だったり『涼宮ハルヒの憂鬱』だったり『けいおん!』だったり、『氷菓』の最終回だってまた観たい。『境界の彼方』の劇場版、観ないとなーとか。

大好きなアニメを観て、あの頃に帰ろう。まだ恐れも知らなかった無邪気なあの頃に……。andymoriの翻案です。

やはり私にはエンタメが必要で、アニメも映画も音楽も、好きなものが好きな間は助けられ続けていくのだと思うし、甘え続けたい。作品の視聴が遠い将来にこの事件を思い出すきっかけになりうるとしても、アニメを観ることは続いていくと思います。

これから何をすればいいのかはやっぱりわからないが、公式の発表を優先事項として、恩返しなのか援助なのか、いちいち行動に名前をつけることはせずに、ただ気持ちを行動に繋げていきたいです。

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