【アニメ】カット、シーン、シークエンスの違いの整理【映画】

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先週に<ジャンプカットについての諸々の考えまとめ>という記事を書いていました。画面動とジャンプカットなんかのお話。

あらためて奥が深い演出技法だな、と思う反面、「あの派生系のジャンプカットはなんていう名前なのだ?」という疑問が頭に残ったままで数日経つもやっぱり解決せず。かといって、「ジャンプカット・シークエンスについても書きたいな」と言い放った手前、書くほかない気もする。って……そんな心待ちにしてたわけじゃないんだけどな……。

あと、「20%ルール」とか「環境音/SEによるサポートの大きさ」も触れないといけなかったのかな、とかもろもろ反省点もありますが。

ここではひとまず、検索してもあまり出てこない「ジャンプカット・シークエンス」「モンタージュ・シークエンス」について、「昔読んだ学術書にはこんなことが書いてあったんだけどな」というテイストでお送りするので、伝聞として扱ってください。

上記の演出について書こうと思ったら、シークエンスについての前説明が思いの外長くなり、疲れたので一旦説明だけで一区切りすることにしました。

以下、シークエンスやシーンの使い分けのお話に急遽変更。

そもそもシークエンスとは

シークエンスという言葉を私がどう使っていくかを説明しておきたい。
ところどころは個人的な解釈。

まず映像単位は大きく分類すると、

「ショット(≦カット)<シーン<シークエンス」

──となっている。
映像作品はショットの連続で、積み重なった集合体の厚みなどで呼び方が変わる。

ショットとカットの呼称が混同しているのは、もはやどうしようもない。「姑息な=卑怯な」の間違った使い方をこの世から駆逐できないのと一緒だと、そう受け取って欲しい。

ショット

ショットの概念について考えるときは「カメラでどう撮るか」という視点が重要で、
たとえば胸から顔までを映した場合は「バスト(アップ)ショット」と呼ばれ、全身を映した場合は「フルショット」と呼ばれる。もっと具体的に「部屋で休んでいる女の子を俯瞰から撮ったショット」みたいな使い方もある。

カット

ショットの和製英語。の認識でOK。

カットは字のごとくフィルムの切れ目から考えるのが一番わかりやすい。ワンカットPVといえばいっさいフィルムが切れることがない映像。一切切れないとはこれいかに。最後に一回切れるぶんで「ワンカット」なんでしょう。

「ベッドから起きたあと急いで着替えて部屋を出て行くまでをワンカットで」「満員電車の人壁に苦しそうにしている様子の女の子をアングル変えて3カットほど欲しい」のような使い方。

ショットとカット──撮り方と撮るものとして使い分けられている印象。
このふたつは技術的な意味合いが強い。カメラやフィルムの話。

シーン

いっぽうのシーンとシークエンスは物語性を踏まえた観点から考える。うえに倣えば脚本的な意味合いの用語。物語のなかで「どういった状況なのか」を映している。つまり台本上の話。

で、シーンの説明で「カットやショットの連なり」とよくみる文言がありますが、実際ワンショットやワンカットで描写してしまえる”シーン”も無くはないので定義や説明がムズカシイ……。あくまで「例外もあり」なので基本的にはこの説明で問題ないのかな、と思ったりも。

なので「ショットやカットの連なり」よりも「アクションの連なり」と解釈したほうが理解がスムーズにいくと思います。アクション=動作。何も戦闘シーンや試合のシーンだけがアクションシーンではない。黙って読書に耽るのだって立派なアクションなのである。

閑話休題。

先述の例文をもう一度。
「ベッドから起きたあと/急いで着替えて/部屋を出て行く」と、みっつのアクション(実際はもっと細やかに分析も可能)で構成されている以上、このケースをシーンと呼ばざるをえない。別に呼びたくないわけではない。

ともすると どこかから、

「『◯◯が泣くシーン』とかは、ひとつのアクションなんだから『シーン』って言葉を使うのは間違っているのか? おー?」

という疑問が出るかもしれない。それについては、

大抵の場合、いくつかのアクションで構成されていたとしても、結果的に主語以外のディテールは省略されてそのシーンのゴールまたはピークを取り上げられて口頭で表現されることが多い──

と私は考えている。上でいえば「◯◯が部屋を出て行くシーン」になる。

つまり『◯◯が泣くシーン』のなかには削られた前後の要素/背景が存在しているはずで、「戦死したと思っていた夫が実は生きていて、2年後になって自宅に帰ってきたので嬉しくて涙を流した……」とか いまでっちあげたようなそんな背景がどの作品にもある。出来が悪いモノでなければの話。

結局のところ、

そこまでの前後を含めてなら『◯◯が泣くシーン』でも伝わるし明確に間違いとは言いがたい。単体で「涙を流した」部分のみについて話したいならもう少し突き詰めてカットやショットを使ったほうが良さそう。物語上について言及するか、その一瞬の見映えについて言及するかの違いでもある。

ほんとにややこしいなぁ。もう理解の範疇を越えてきたぞ。

シークエンス

アクションの連なりがシーンで、シーンの連なりがシークエンスだ。
ようやく出たな! シークエンス。

いままでの総決算として扱ってきた例題のシーンを並べます。

  1. ベッドから起きたあと急いで着替えて部屋を出て行く
  2. 家から駅まで自転車をこぐ
  3. 満員電車の人壁に苦しそうにしている様子の女の子
  4. ギリギリアウトで会社に遅刻

ふたつ追加しましたが、これら4つはひとつずつが”シーン”です。
ショットもカットもふんだんに使い分けられたとしましょう。

しかし見てパッとわかるように、1から4まで連続性があり物語性がある。
つまりこの4つのシーンを合わせて、「出勤(まで)のシークエンス」と。こんなふうに使い分けるわけです。

実にわかりやすい。

これでシーンとシークエンスの関係が理解できましたかね。
私は、まあ「納得」はできたかな。

シーンを見てシークエンスを見ず

こっからは完全に自己解釈のうわ言なので、無責任な話です。
最初からそうだったって? 冗談きついぜ!

シークエンスの存在は見えにくい俯瞰的なものだという認識は一応できあがりました。直接描写されることはない、いわば”高次的”な集合体だから──と書くといかにもムズカシイ。

電車に乗ったり、会社まで走ったり、これらはもちろん出勤の一場面ではあるんだけど、
「出勤」は描かれていない、と言いますか。

ごめんねって謝ったり、それに対し自分のおかずをあげたり、という画があっても「和解」の描写はない、と言いますか。

あるんだけど、ない。

いや、「視えないんだけど、ある」が正しいのか。

つまり「ここは和解のパート」と同じように「ここは和解へのシークエンス」みたいな使い方もオーケーなのかなと。そうなるとシークエンスっていうのはいわば「手続き」に近いのかもしれない。──そんな側面もあるよねみたいな感じです。フラグとは別モンだとはわかっちゃいるんですが。

こうして世間には誤用が広がっていくのかな……なんて不安を感じつつ一旦筆置き。

そんな感じで〈カット、シーン、シークエンスの違いの整理〉でした。

おしまい。


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