日常に戻るのか、日常が戻るのか

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イラストレーター・モ誰さんが音頭を取って始まった「100日チャレンジ」ですが、初日の観測ぶりに再び訪れたらもう80日目になっていました。光陰矢の如し。

「パブリックコミットメント」というのがあって、周りに行動を宣言してから取り組むことでモチベーションの持続を図る方法論らしい。今日も筋トレしました、とかを毎日ツイッタで書いたりするあれですね。

そこで私も少し奮起して、というか感化されて、クオリティ度外視の満足度度外視で更新チャレンジをやってみようと、柄にもなく思い立ったのです。

話題も文字数も関係なし。上限下限の制限なし。

ただひとつのルールは「72時間以内に1本の記事(というか思いつきのメモ)を更新する」だけ。7月限定ですけど。

題して『なんでもないdays』。しかし、ほんとにやるのか?

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なんでもないdays

自分のこと他人のこと、仕事のことブログのこととごちゃごちゃ考えていて、新しい記事は更新しないけど日々なんとなく何度となく「何かしなくちゃ」とは思ったりはしています。

「アニメや映画の話をしていた折田くんはどこに行ったんだろう。なんか最近Amazonの話ばっかりしてるぞ(小銭ばっかり追っかけて何をしてるんだ?)」という声がどこかで囁かれているのか。それともただ離れていくだけなのか。

日々が忙しいというよりは、愛情がなくなってきているのです。多分。ゼロになったわけでもないけど、文章に変える気力を呼び起こすまではいかない。自分より面白く書く人語る人がたくさんいて、無力感をおぼえる。

ブログで稼ぐための流入数とか検索上位に表示させる方法とか、いらん知識を得たせいで自由度が下がってしまった。守りに入るとつまんなくなる好例ですね。

今回のチャレンジで、「1ヶ月に挙げられる記事数が多いと個人ブログはどうなるのか」というデータを見てみたい。そんな名目にします。

流石に毎日の更新は急なイベント発生に対応できなくて即・頓挫しちゃいそうですし、ちょっと猶予を持たせておく。ちょっと?

これでもかなりルールを課しているとは思っているのです。

日常に戻るスピードがどんどん早くなっている気がする

そんなわけで今日の話。

ショッキングな話題とともに度々頭に浮かぶのは、世間の人々の日常に戻るスピードがあまりに早いということ。割りと戸惑いが大きい。慣れましたが。

驚いたり憤ったりしたその感情は本心からのものだったのは間違いがなさそうだけど、ケロっとしたもので、次の瞬間別の話題に移っている。いつもの「余韻から抜け出せない……」とかいう矛盾した物言いはどこに行った?

喪に服すのに最適な時間なんて決めようもないし、他人の行動を抑制(コントロール)するのは踏み入りすぎるとは思いますが、ちょっと立ち止まるのが人間らしいとも私は考えます。そんな希望を持ったりします。

更新を続ける意気込みとして、「風が吹こうと雨が降ろうと著名人の訃報が届こうと更新をするつもり」なんて表明するつもりでしたが、人の生はわからないものです。思いもしないことが起こったりする。エネルギーに転化してなんて言えませんが、諦観のなか、急がないといけない実感は強くなる一方です。

止まれない宣伝・広報のツイートが悲しい

アニメのキャスト声優なり監督なり主題歌を担当したアーティストなりが、放送日に広報のツイートをする風景も見慣れたものになりました。

実情は全然知りませんが、その作品の関係者は宣伝や広報のツイートもしないといけないような契約になってるんだと予想してますが、この「ツイートのスケジュール」はめったなことでは止まらない。

この不自由さを痛感したのは、訃報が届いたその晩に「今日も『鬼滅の刃』の放送が楽しみ。皆さん一緒に見届けましょう」的なツイートを見てしまって、あれは悲しかったですね。

そういう体制的なところから離れたスタンスが好きな人だったのに、俗っぽい行為をこんなときに制止してくれないなんて、なんて不自由な環境に身をおいてしまったんだ。

大きすぎる関係性を築くと、個人の裁量では歯車は止められなくなるんだな、と悲しくなった。いまは番組の広報なんてしてる場合じゃないのでツイートはしません、もしくは自分なりに言及します。という行動を取ってほしかった。

「お仕事」をなめきった考え方だろうか。他人に求め過ぎなんだろうか。こういうのをコントロールフリークというらしい。たんなる甘ったれ、わがままとも言うが。

それぞれの戦場があるわけで、誰もが戦っているのである。

私も「何が何でも更新するぞ」という不退転を表明したのだから、同じ穴のムジナである。喪に服しながらでも続けるぞ、と大差はない。あるいは彼女だって、決意の末の行動かもしれない。わからない。何もわからない。

どうにかなる日々

こういうことを考えもなしにただ書いていくだけの企画です。世界に言い残したことはないかなと書きながら考えて何かを整理する企画かもしれない。無軌道ですね。

次回はからっと今日のことを忘れている可能性は高い。社会性・人間性が欠如していってる感じがして怖いですね。

 

ほんとに続くのか?

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