世はアニメバブルなのか、アニメ化が発表されてはそこらじゅうで歓喜の声が上がっています。
それはさておき、アニメ化された作品はふたつに分けられます。ヒットしなかったアニメか、もっとヒットしなかったアニメです。
……というのは冗談で、原作が存在するか否か。漫画であれ小説であれ楽曲であれ、原作が存在しないと「アニメ化」は起こらない。
ではアニメ化を喜ぶ視聴者とはどういった人間か。これは原作のファン(広義で作者のファン)でしょう。原作編集者など業務的なヨロコビは一旦サイドに追いやろう。
そこへきて私はここ最近「アニメ化を喜ぶ」機会が少ない。その要因としては、
- 原作媒体にとんと手が伸びていないこと
- アニメ化が原作側に喜ばしい結果をもたらすとは限らないことなどがなんとなく観測から感じるようになったこと
などが思い当たります。
特に2に関しては冷めた気持ちがあります。
強豪校に入れたから地区優勝が約束されるわけではないし、東大に合格したからといって明るい未来が保証されているわけではないのです。『メランコリック』を観て、現実の冷水をぶっかぶろう。
アニメ化を喜べなくなったとは言ったものの(言ってない)、ジョジョ六部のアニメ化とキャスト発表にはテンションがぴーんと張った感覚があったけれど、『ジョジョ』シリーズのアニメ化は既定路線とも言えるし、実際、大勢が予想はしていたことでしょう。あとは時期がどうかというのが論点で、「案外早かったですね」とAmazonの注文を受け取るように平静を保って反応ができた次第。
パスコース話の筋がまったく整っていませんが、要はアニメ化は陰口にも称賛にもなりうるということです。ここで大きくサイドチェンジ。
アニメ化とウィンザー効果
アニメ化の構造について考えていた。擬人化でお届けする。
- アニメ化される「原作ちゃん」
- アニメ化する「製作ちゃん」「制作ちゃん」
- 原作を知っててアニメ化に至上の喜び組から「ファンファンちゃん」
- アニメ化で初めてその作品に触れる新規組から「シンシンちゃん」
この5人。
で、アニメ化されて放送されるっていうのは、原作ちゃんがいないところで制作ちゃんが原作ちゃんの話をするってことなんですよ。
ウィンザー効果ですよ。良くも悪くも。
「原作ちゃんって、あまり知られてないけど実はめちゃくちゃ面白い観点を持ってる子なんだよ」「全国区でも活躍できるすごい子なんだよ」
という具合に原作ちゃんのステージを上げるべく制作ちゃんは原作ちゃんの良さを、電波を使って発信するわけです。正確には常時受信可能状態だけど。
それがアニメ化というものじゃないですか? 面白いものをピックアップしてこれるサーチ力と面白さを伝える表現力がアニメ会社へのリスペクトを呼び起こすんじゃないですか? どうしてアニメを作っているんですか? CMクリエイターとの違いを見せつけてほしい。その気持ちどっか忘れてないか?
アニメ制作と落語は似ている
でも制作ちゃんがみんな話し上手とは限らない。
制作ちゃんによっては話の展開を整理するのが致命的に下手くそだったり、言葉のニュアンスとかを尊重できない直情型のバカだったりするから(言い方ァ!)、制作ちゃんの口から出てくる原作ちゃんのディテールはどんどん歪んでいく。
そこでシンシンちゃんは「なんか原作ちゃんって嫌な子だな」「原作ちゃんってつまんない子なんだな」「いい人だって聞いてたけどそうでもないっぽい」「直に会いたくないな」と原作ちゃんから距離を取るようになります。
そこで怒るのがファンファンちゃんさんです。
ファンファンちゃんさんは原作ちゃんとちゃんと面識があるので、制作ちゃんが言っていることがちゃんちゃらおかしいと知っています。制作ちゃんフィルター(不要な味付け)がどれだけ的外れなのかもわかります。ほんとは制作ちゃん都合でトラブった問題も棚上げして外部に迷惑をかけていることも知っています。
だからファンファンちゃんは多少冷静さを失ってる自分を自覚しつつも、オープン型の苦情に打って出ます。
「原作は面白いから原作だけでも読んでほしい」とSNSに発してしまうのです。
まあ理解できます。私も今回のアニメ化で、頭ではなく心でその感情が理解できたと思っています。
アディショナルタイム、0分です
嘆きの気持ちだけで書き始めるとろくなことにならない。
私も話の展開や整理がド下手くそな人間だったからしょうがないのかもしれない。
おしまい。
コメント,ご意見など (中傷発言はNO)