だっしゃあおらー系じゃない高森奈津美、いいですよね。
”この人が出るんなら作品もチェックしようか打線”のレギュラーです。
自転車20、高森お嬢様25、藤原夏海15、背景40くらいの気持ちで観てます。
楽しく観ていたアニメ『南鎌倉高校女子自転車部』
月刊コミックブレイドにて2011年から連載中の松本規之『南鎌倉高校女子自転車部』がようやくアニメになりまして、「自転車を動かすのはパースが狂っているとすぐに違和感が出るからすげー難しいんだよなあ」なんてことを思いながらヒヤヒヤ観ています。
自転車もののアニメ化というのは、それはそれは大変な労力が要求されるのです。
『ろんぐらいだあす』では自転車がCGでキャラクターは手書きなもんだから、ハンドルと手が大変なことになってました。プレイステーション2が出る前までの──初代の頃のソフトがあんな感じでしたね。
南鎌倉高校女子自転車部のほうに話を戻しましょう。
登場キャラクターたちの視野の狭さ
視野が狭いといっても自転車乗りが持ち合わせるべき”それ”とはちょっと違って、コミュニケーションにおける視野の話。人としての気遣いの話。
第2話で鎌倉観光するときに、ひろみと 秋月巴(ともちゃん)がレンタサイクル屋さんに行くじゃないですか。
で、クロスバイクの説明をうけていると、四季先生が後ろから来てベラベラベラと……。
ついには店員さんがフレームから不自然に排除されて、次のカットでは無言で店内に戻っていく。そしてもう映らない。物語の進行上不都合なので退場願いますっていう。
なんか雑なんですよね、人の扱いが。お世話になろうって店員さんに対して。自転車乗りっていう人種はろくにお礼もできないのかと。そういう演出か。
生きてるキャラクター、生きてないキャラクター
キャラクターを生かすも殺すも脚本次第とはいいますが、この殺すっていうのは魅力を消すという意味です。キャラクターに不要なヘイトは集めるべきではないし、それは作品の評価にも関わってくるポイントだから手を抜けるところじゃない。
ないはずなのに……てんてんてん。といった感じ。
だからここで私が感じた不自然さへの不快感は
- 店員が喋っているのに割り込んできて自分の話を長々と展開した四季というオトナ教員の身勝手さ・人としての出来の悪さ(つまり上で言った視野の狭さ)
- 店員を含めた場の空気などを気にしない、ともちゃん&ひろみ
つまり彼女たちのなかにある”自分の選んだもの、関心のあるもののみでこの世界は構成されている”という意識。
といっても、構造論においてキャラクターはやっぱり物語という盤上の”コマ”なので、それを動かす絶対的存在である作家Xがいるわけですよ。
脚本家がそれにあたるんですが、無言でその場を去り怒りすら表に出さないキャラクター(店員さんのこと)って、もうここまできたらモブキャラクターを通り越して舞台装置と大差ない扱い。 あれですよ、NPCってやつですよ。
作家が俯瞰の視点をしっかり脚本つくりに発揮できていないがゆえにNPCなるものを作り出し、本来愛されるべきキャラクターが視野が狭い人間に映る問題。根が深い。
第3話の保健室
保健室で比嘉さんの水潜り談義のシーンにそれに近いものが見られました。
治療という役目が終わると保険医の先生が(一旦ではあるが)、話題サークルの外に弾かれる。先生も部屋を出ていくんじゃないかと一瞬恐怖したくらいです。
いないもの扱いをやめろ
キャラクターの”外部が見えてない具合”にどうにも苛立ちを感じてしまう。
それと意図的なフレームからの排除ですね。となると、この病理は脚本だけではなくてコンテにも関係している問題なのかも、と思い始めてきた。
第2話の絵コンテは本作の監督でもある工藤 進、第3話は羽多野浩平。
もしかすると、「自転車乗りなんてのは公道の上と一緒で、自分本位で相手のことなんか見えてない人間なんだな」なんて恨み節が込められているのかもしれない(冗談です)。
第3話での「?」
これは嫌とかそういうことじゃなくて、たんなる疑問。
保健室を出た後に廊下で四人が次の行き先を決める相談をしてましたが、ここの声のエフェクトが少し気になる。
このカットだけリバーブ(声の反響)が強かったのなんだったんだろう、と。
廊下に出たので声が響くのは原理としてわかります。とはいっても、キャラクターたちとカメラの距離間からして目にわかるような響かせは必要ないような気もしたんですが。コンテが欲しがったイメージとズレを感じるなと。
「あ、響かせてる」と気づかせるわりには響いている理由が鮮明ではなくて首をかしげています。
【1/29追記】盲目の方々が視聴する際には、映像としての情報がなく「保健室を後にした」という情報しかないために、音を響かせて「ひろみ達はいま(外ではなく)廊下にいる」ことを示唆させたのではないか、という考えに至りました。【追記終わり】
とはいえ期待している作品なのです
私の個人的な思いはともかく、せっかくのアニメ化でしかも第3話では予想外にも神倉おばあさまからの真摯かつ熱の入った自転車マインドが聞けたりして、間違いなくいい自転車アニメなのである。いい風が吹いていると思う。
おばあちゃん「速さ(早さ)が正義という時代の到来ね」
ただの懐古とは思えない、含蓄のあるお言葉。沁みます。
一城みゆ希さんの「ランドナー(らんどなあ)」の発音が少し古い時代の人の言い方でね、最高でした。
これから物語がどうなっていくのか……OPから察するにレースに出るっぽいですが、物語はよそに背景を観るのもひとつの楽しみ方だと思いますので、”カマクラ自転車紀行”っぽくなっていくなら、それはそれで私は大満足です。
自転車と青春といえばこれですよ
「友情・努力・自転車」で避けては通れない名作映画『ヤング・ゼネレーション』を強くオススメします。
外部があるから自己を見つめ、大きな葛藤を経て成長が生まれるんだと私は思います。
関連リンク
『南鎌倉高校女子自転車部』wiki
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すごく勉強になる記事で色々考えさせられました。
自分も作品作りをしてるんですが、名前はないけど作品内で生きてる人々と視野の広さを大事にしようと思いました
女の子だけ注目して書いてると、それ以外の人が話題ふり装置になっちゃって
後は女の子に視点もどして話題つづけちゃいがちなのなんとなくは分かる気がします
でも彼らも生活して感情があることをしっかり意識していけば
多分こういう小さな違和感は減らしていけるのかなと
今後その事を肝に銘じたいですね
のん様 コメントありがとうございます
本作に限った話ではないですが、
作品内で出番が少なくても、彼ら彼女らは自分のために生きてるんだっていうのをしっかり描いて欲しいですね。
そうしたら物語に厚みというか深みがより濃くあらわれると思います。