アニメ化、実写化による音の力の限界について

小説からアニメ、漫画から実写映画──映像化へのメディアミックスにおいて見落とせないのは「音が必要になる」ということ。

ギターの音色、ピアノの旋律、キャラクターの歌声、笑い声、ささやき声、電車の、ヘリの、人の、風の通過する音、etc……

小説や漫画には存在しなかった「音」を映像作品では描く必要が出てくるわけですが、特に、音・楽曲・歌声などに過大な役割をもたせた作品を映像化する場合、制作へのハードルが段違いに上がります(「芸術」という大きなカテゴリまで含めると、話芸/絵画なども対象になります)

過大な役割とは。

誰もがすべからく(用法、怪しい?)感動してしまうような歌唱やラディカルな演奏をはじめ、耳にした者が芸術性の素晴らしさゆえに改心するような、音楽が起こすミラクル……の程度を超えたもの。

それらを説得力を失わずに物語のなかで機能させることは難しい。限りなく実現が難しいものを、具現する必要がない小説や漫画に表現の場を移し、物語を書いているのである。それを映像化のステージにもう一度持ってきて再現しようとしているのだから、軋みを引き起こしたとしても至極当然といえる。鯉は沖では生きられないのである。

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情報提供と暗黙の了解

芸術が芸術性によって”ミラクル”を引き起こす小説や漫画はいまや星の数ほどありますが、それらの「音」にまつわるトンデモパワーは、読者が想像することで一定の合格ラインをクリアしていました。

実際に音が聞けないので、信頼できる語り手たちが言及した情報から「よくわからないけどとにかくスゴイらしい」と受け止めるしかなかったし、それで実際に成立していたように思う。

とくに小説は提示された情報への信頼と依存が顕著であり、「庁内一の美人」と書かれていれば、それはもう美人が存在することが前提で進むし、「爬虫類みたいな声」と評された人物は爬虫類みたいな声で話をするのだ(どんな声だ)。それでも、読者の想像なので不正解は存在しない。

「一体どんな声だよ」とはなるが、「どこが爬虫類みたいな声なんだ」とはならない。それは答え合わせができないからです。

しかし、百聞は一見にしかず。実際に、その音そのものに触れてみると、観たものと聴いたものにはかなりの差があることに気づいたりする。

メッキが剥がれた『BECK』の演奏

(やり玉に挙げて申し訳ない)

例えばハロルド作石の漫画『BECK』では、漫画の優位性を利用して音に関する無茶を数々押し通すのであった。

「とんでもなくヘビーなギターリフ」「めちゃくちゃファンキーなベース」「マフィアのボスも耳を傾ける歌声」「原曲とはまったく別物だけどすげーかっこいいアレンジ」などなど……。答え合わせがないことをいいことに、鳴らしたい放題でした。

しかし、これはそれっぽく演奏姿を大1コマでかっこよく描けば成立していました。「かっこいい音楽やフレーズが鳴っているんだろう」と読者が想像で補完していたからです。

さて、これがアニメ化したときはどうなったか。

とんでもなくヘビーなリフの正体は、私でも弾けそうなカッティングでした。

「弾くのは器用さがあれば誰でもできる、思いつくのが偉大なんだ」──確かに、それはわかります。そのうえで言い直せば、私でも思いつけたカッティングでした。

実写版『BECK』の場合

そして、『BECK』は実写映画化もされました。その際、天性のgiftと称される歌声を持っていた主人公コユキの歌うシーンはどうなっていたのか。どんな声で私を納得させてくれるのか、ワクワクしておりました。

無声──アンビエントなSE──スロー再生される心象風景──神の啓示を受け取ったかのような──顔、顔、顔。

これですごい現場に立ち会っていると思えという方が酷な話なのですが、まあ要求が要求なので。これほどの音響殺しもなかなかない。

彼らは世界を獲れるレベルの才能を秘めたミュージシャンなのだから、そのへんのバンドとは一線を画すパフォーマンスを行わないといけないのです。少なくともそう見えないといけない。しかしいざ音楽が鳴ると、楽曲が突き抜けたレベルとは決して言えないものなのに観客はなんかめちゃくちゃ湧き上がってて盛り上がっている……。となると、この観客は相当レベルが低いのかな? と急激に冷めた気分になっていく。

音楽なんて(娯楽なんて)それぞれの好みの指針があるのは当然なのだが、それにしたってちょっとお粗末じゃない? と思うことしばしば。

Rage Against The Machine – Guerrilla Radio (from The Battle Of Mexico City)

まあ『Guerrilla Radio』のPVとBECKの映画は一切関係ないのだが……。

説得力を持ったパワフルな楽曲を求む

好みの激しいプロデューサーを説き伏せるとか、小規模な大会で優勝するくらいならそれ相当のクオリティの楽曲を用意すればノイズも少ないですが、ミサイルのボタンを押そうとしていたテロリストが発射を中止した、までいってしまうと楽曲のクオリティいかんによっては、
テロリストの決意はそんなものだったの? 戦闘始めたのは気まぐれ? と変な受け止め方になる。

「楽曲やパフォーマンスが素晴らしいことに感動して心が浄化した」という行動に納得できるか、ノッていけるかどうかって難しいですよね。

このリアリティ(整合性)の担保というか塩梅が映像化におけるキーなんですよ。

ともかく、楽曲に多大なパワーを持たせている作品の映像化は、限りなく難しいということを製作サイドはもっと熟考するべきだと思うんです。「映像化不可能を映像化!」ってクソダサコピーをかんたんに使い回す前に、作品ともっと向き合ってほしい。聖域と汽水域を見定めてほしい。映像化不可能を映像化、ただし不完全、みたいなっ!

以上、映像化は音の再現性が大事という話でした(雑

次回はいつか

『キャロル&チューズデー』の放送が始まった頃、アバンで奇跡というワードが出てきたので、「音楽が奇跡を起こす展開、ヤバい(危険だ!)と思ってこのエントリを書こうと思ったのに、気づけば放送は終わるわ奇跡の意味も理解しちゃうわで、まったくままならない有様でございます。ございました、か。

時期的に「『バビロン』の放送ももうすぐ」ってタイミングだったので、音ととんでもパワーのくくりで面白いものが書けるかもと思ったのに、そっちも始まってしまうという……。最低だ、ワタシって……。

でもよく考えたら方向性が少々違う気もしてきたし、変にブレた筋道でまとめるよりは事故を起こさずに済むかもしれない。

ということで、『バビロン』を先に最新まで追いついてから、音について書く所存です。

おしまい。

 

アニメ・メモ
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