『コンビニカレシ』のオフ台詞はなんか変だよ

2017年アニメ

コンビニカレシ』2話まで観ました。1話で切らずに2話も観たってことですが、1話を観た方ならこの行為がどういうことか察しがつくでしょう。

1話の段階で低めの点数/評価を置こうとも思ったんですが、OPや1話中に他のアベックのキャラクターも登場するのでむざむざと視聴終了するのも考えものかなーと。偉そう。

画面のほうは多少諦めて、演技やストーリーの方面でキラリと光るものがあれば儲けもんだと思ってとりあえずキャストをHPで確認したらなかなかにツボをついてきてくれる配役でして。

残りの主要の女の子に小清水亜美と堀江由衣がいる。田村ゆかりと沢城みゆきがいる!

この20代半ばから30代中盤男子なら文句なしにアガるであろうメンツ。そんなに?

これはもう少し待機が必要だなと思うわけですよ。このアニメを楽しめる肝心の若年層──おそらく15歳~22歳くらいの主要層──がこのメンツにピクンとくるかはわかりませんが。
来ないような気配のほうが強いですが。

そんなわけでひとまず先に書いておきたい、1話のオフ台詞について。

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コンビニカレシ1話

コンビニカレシ1話 コンビニカレシ1話
『コンビニカレシ』1話より

 

冒頭、沈黙を守る主人公が並木通りをどこかへ走るさまを延々と追うカメラ。季節は卯月(=4月)じゃないな。それ以前、2月か3月くらいの服装である。

ひたすら走る。1話切りや0話切りが珍しくない昨今、30秒で見限られることも予測はできたろうに(もしかしたら30秒”観てもらえる”のは幸せなのかもしれない……)、初回からやや大胆なアプローチ。

「ああ、『バッファロー’66』をやりたいんだな

最初の画面がそんな感じでしたね。つまりトイレを探しているんだろ、と。そして二分ほどずーーと主人公が走ってて、コンビニを見つけたときに「ほらトイレだ」なんて思いました。

しかし、女の子が登場してふたりのモノローグ。

「そしてここから二人の物語は始まるのです」

(もう二人は知り合いなんじゃないの? 知り合いじゃないのに紅茶を与えたりするのか?

とか雑な念が浮かばなくもないですが、「ねーよ!」ばかりで物語に入っていけないのも寂しい話なので追々の説明で明らかにして欲しいところです。

でアバン終了。

オフ台詞の使い方

本題です。

オフ台詞(話している本人がフレームインしていない画面)が多い。そして長い。

通称「オフ」にも種類があって

  1. 本人が単に写っていない場合(現在進行系)
  2. 本人は写っているけど時間軸がズレていて画面はダイジェスト風味だったりする場合
  3. 本人も写っていなくて場所がそもそも大きく違う場合(Lカット・Jカットとは別)

最後のパターンはナレーションが存在として近いけれど、キャラクターが物語世界をメタ俯瞰しているか否か、で分類できます。そしてナレーションはオフ台詞には含まれません。

では、例を出していきましょう。

基本的なオフ

コンビニカレシ1話
『コンビニカレシ』1話より

 

コンビニ店内に戻っていく真四季を見かけて、本田塔羽が「あれ?  真四季じゃん?」と、三島春来の背中に声をかける。

このあとカメラが左にパンして塔羽を映します。

その場には居るが、本人が写っていないパターン(時間軸は現在進行系)

時間軸がズレていてダイジェスト風味だったりするオフ

コンビニカレシ1話 真四季 三橋真珠
『コンビニカレシ』1話より

 

真四季と委員長 in 図書室。

画面上はお互いに自分の読む本を探しているが、音声は机での会話の延長。チャラ男に絡まれていて困っていると相談中。当然口パクはなし。音声と画の時間軸が違うので。

そして──

コンビニカレシ1話

 

再度、沢城みゆき図書係に注意をされて時間軸が音声・画ともにシンクロして戻ってくる。この流れはいいと思います。

CLANNAD』『有頂天家族』なんかではけっこう見かけた表現方法ですね。手紙読むパターンとかはこの表現方法になりやすいかと。

水着の女の子の静止画一枚絵で「アハハハハ、キャハハハ」みたいなのもこの部類に入る。

本人が映ってるけど別の話してるパターン、でした。

本人も写っていなくて場所がそもそも大きく違うオフ

今回、これがまずい。本作(第1話)に限ってではあるが、これはいただけない。

本来どういう使い方なのかといえば、

「その場にいない人物Bの話などをしつつ、画面はその場にいない人物Bを映している」

……こういうものだと。

これは「話す本人とは別の場所」のパターン

 

といったオフのバリエーションを踏まえ、問題のシーンへ。

第1話のオフ

コンビニカレシ1話
『コンビニカレシ』1話より

 

部活でランニングが重なったふたりがベラベラとしょうもない話を展開します。

ここ聴いていて「まあいいや、それよりさ……」なんて使って良いのかよ!? って気持ちでした。それ使えばなんでも話せますやんか!? それが脚本家のすることですか。

まあいいや。

話の内容が、部活近況→アキラのゲーム→今日も泊まる話→コンビニで待ち合わせ→「やべ、先輩きた」と展開されていきます。

コンビニカレシ1話 コンビニカレシ1話 コンビニカレシ1話 コンビニカレシ1話
『コンビニカレシ』1話より

 

そのあいだの画面は、今後出てくるであろう主要キャラをチラ見せ。
正直 全然頭に入ってきませんでしたけどね。

これは音声と画面の内容が全くリンクしていないからなんですよ。ラジオ聴きながらテレビ番組を音無しで観てるみたいな。人間はそうそうマルチタスクな脳を持っていないのでね。並行する別の事柄を上手く処理できない。

だからこのシーンにヘンテコさ/歪さを感じてしまうんだと。

もちろん、細かく理解しなくてもいい「画面」っていうのもあるとは思うんです。

「壮大な風景だな」「雨が激しいな」だけの理解でいい場合もある。新海誠作品とか。

新海誠作品はパーソナルな部分をオフの台詞で進めていきながら、画面上は特に複雑に物語が動いたりっていうのはないです。わかりやすく大味です。または理解が及びやすいようにスローに進めます。だから音声に集中できるし、画面の情報がノイズになって混乱するなんてことがない。

オフにするなら音声の内容に寄せるか、あるいは割り切って画面に大きな意味・役割を持たせない。これが大事なんだと思います。「アキラのゲーム」に言及したんならそこで家にいるアキラを映すとか。

しまいには「ということで」で結論に繋げちゃう……。

もうね。脚本/台詞割りが良くないとしか思えない。

せっかく寺島拓篤と鈴村健一が、やや息が上がっている演技をしているのに一回ぐらい走ってる画or走り疲れて座ってる画を間に挿すぐらいはできたろうに。

もっと言うと、部活勧誘でのオフ台詞シーンとこのランニングオフ台詞シーン。

どうして足音のSEを切ってしまうのだ。不思議BGMを入れるくらいなら走っている足のSEで良かったのでは?

「SEが無くなったってことはやっぱりもう走ってない?」
「じゃあ、この息遣いはなに?」

非常に混乱する。

コンビニカレシ1話

文字系の画面はもう少し寄る&長めに映してほしい。読めない。これはただのわがまま。

絶望的に面白くないわけじゃない

コンビニカレシ1話

『コンビニカレシ』第一話

絵コンテ・演出:伊達 勇登
脚本:ハラダサヤカ

寝違えた→ベッド譲れ、の会話とかほんとに微塵も面白くなくて「いまどきの高校生おもんなすぎるだろ」とか偏見を抱いてしまいそうではある。先述の「まあいいや」「ということで」といった脈絡を軽視した会話表現こそが、いまどきの高校生の”リアリティ”だという論旨なら納得できます。よく書けていると思います。どっちが正解かわかんないけど。

 

コンテや脚本の理想像と、結果として放送された画面の実現度(あるいは乖離率)みたいなものがどれくらいなのかは気になるところ。思い描いていた画面づくりと9割がた近づけているのなら、私はこの手のアニメーションとは水が合わない、ということになりそう。

私の好みもありますが、くぎゅ委員長(のキャラデザイン)がフツーにかわいいので── 一話やOPでの登場人物を見たなかでは一番だなと思うくらいには──なんだか彼ら彼女らの自意識に対しての思惑がねじれるんですよね。

物語の展開よりも画面づくりがやや気になるので継続して二話もチェックしたいです。

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おしまい。

 

参照リンク

アニメ『コンビニカレシ』公式HP

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