『西尾維新大辞典展』面白かった。急げ!
いつか書こうと思っていた、西尾維新作品のオススメと自分の好み。ここいらで一旦整理しておきたいんです。
いまのところのベスト5は
- 『クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識』
- 『悲鳴伝』
- 『化物語(上・下)』
- 『少女不十分』
- 『きみとぼくが壊した世界』
──なのですが、できればこの先に順位変動が起こって欲しい(コメントくださった医科さん、いつか必ず猫囮恋まで読み進めますのでご容赦ください)。
西尾維新の世界への入り口としてはアニメ『化物語』が最適だとか、『めだかボックス』や『掟上今日子の備忘録』などのメディアミックス作品からだとか諸説あるのか知らない。
が、やはり最大の魅力と威力を発揮するのは活字で読む西尾維新なんだと思います。
なので、活字作品に限ってという条件で話を進めることにしよう。そして、噺を勧めよう。
『クビシメロマンチスト』を越えてゆけ
みんな大好きクビシメロマンチスト。みんなって誰だよ
昔、クビシメロマンチストの紹介文として「西尾維新はこの作品をあと何回越えられるだろうか」と書いたけど、それはいまも変わらぬ率直な気持ちで。
これを読んだのはラノベワナビー時代でしたが、ひどく遅めな多感時期だったゆえなのか、西尾維新にドハマリしてしまいました。ばっちりと波長が合ったからこそ、いまだに作品を手に取る生活を送っているんだと思います。
同シリーズの一作目『クビキリサイクル』でメフィストを受賞し、作家人生をスタートさせた西尾維新であるが、戯言シリーズは全九刊(全6作9刊)で完結。受賞作『クビキリサイクル』から、大団円となった最終刊『ネコソギラジカル(下)』までを含め、単作の評価は二馬身開いて『クビシメロマンチスト』なのはいまだ(私のなかでは)変わらず。
九刊分の長い旅路の終着点だった『ネコソギラジカル』の最後のページを、手を震わせながら見届けたカタルシスも大いに高ぶったけれど、やはりやはり二作目のニューエイジ感ジュブナイル感ユース感は「最高」の一言。
この作品に限らず、西尾維新は最後の1-2ページ(あるいは最後の1-2行)の畳み方がいいんですよ。あそこに何かが集約されているよう。
”物語の向こう側”めいたものをふっとこちらに覗かせて、文字が尽きる。
そのあとの空白に余韻が漂うのは間違いなく名作の条件といえよう。
高い壁ができあがる
早期の刊行であり早期の邂逅となった『クビシメロマンチスト』がその後の作品に対する満足度の参照点になっているので、読み終わったあとは「まあ、面白いは面白いのだが……」と、ややもったいない読み方になってしまっている。
葵井巫女子が強すぎたのも理由の一つだと思う。あとは零崎人識の登場。
いーちゃんに完全100%自分を重ねていた、現世がつまらない読者たちは「こんな異端な自分にも、自分に良く似た理解者に出会えるのだ。まだ知り合えぬ友がこの世界のどこかにはいるのだ」って希望を無駄に抱いたんですよね。甘えるな。
言ってしまえば、『クビシメロマンチスト』を超える、というのは「葵井巫女子を超える」と同義とまではいかなくとも相似、似たようなものだったりする……のかも。クビシメロマンチストを越えたとき、葵井巫女子を超えたレディが誕生しているだろうし、誕生なくして超越もまたないのだろう。仮定命題をひね繰り返して私は何がしたいのか。よくわからんくなってきた。
夏の読書感想文にどうぞ
最近は、読書感想文の題材に『SAO』などのエンタメ小説、ライトノベルを選ぶ生徒が多いらしい。詳しい中学生事情はよく知らないが。SAOがオーケーなら『クビシメロマンチスト』もオーケーだろ。みんな見れ! もとい読め!
マイ・ヒーロー、いーちゃん。に幸あれ。
「物語シリーズ」で一休み
多くの読者さま同様、『化物語』のシリーズを楽しく読み進めていたはずで、刊行されれば1000円超えの新書だって迷わず購入していたはずなのに、急に西尾維新の作品に冷めたラインがあって。まあ、『偽物語(下)』なんですけど。
ページをめくる度にすごい薄めた水を飲まされている感覚があって、八九寺真宵のダンスがどうたらとか、「これ、きっついなあ」と。
メタいネタは上手く処理していれば嫌いじゃないんですが、「メタ+他所とのリンク」に段々ついていけなくなってしまった。今になって分析すると、あれは”身内ノリへの嫌悪感”に近かったのかもしれない。分析ってほどでもないが。
そこから距離が空き、『猫物語』とか買ったけどまだ読んでなくって、知らない間にアニメの方では撫子が神になってたりみんなの髪型が変わってたり、八九寺は地獄にいるし、扇ちゃんに関しては「この子、誰?」状態で。一応は配信とかで置いてかれながら追っかけて観ている的な視聴態勢です。お盆放送の『終物語』楽しみですね。白々しい。
久々に読んだ「世界シリーズ」
で、去年、『きみとぼくの壊れた世界』を奈良県のブックオフで見つけまして。
久々に手に取ると序盤の気持ち悪い会話/頭悪そうな会話(ラノベ会話と乱暴にカテゴライズしたくなる系の──アレだ)にくらっとしつつも「西尾維新はこういうのだったなあ」なんて思いながら、せっかくなんで買って読み進めていくと無事にチューニングが合ってきて面白くなってきました。
後半に明かされる病院坂の胸糞な保健室事情とか、西尾維新最高だなってなりました。
すげーダウナーな気分になって一旦本を閉じて深呼吸したりして。「一休み一休み……」って本のなかはそんな悠長なこと言ってる場合じゃなかったんですけど。
結局そのあとに『世界シリーズ』ノベルズ版の残り三作を新刊で注文して、すらすらと読んでいきました。私の西尾維新は2008年までバージョンアップできました。2016年にして。
世界シリーズの序列をつけるならこんな感じ
世界シリーズで一番面白かったのは『きみとぼくが壊した世界』(同シリーズの三作目。”壊れた世界”と”壊した世界”があってややこしい)ですかね。読み応えがあった、というか。最後まで興味が持続していく感じ。たぶん好き嫌いが分かれやすい趣向だと思います。「一作目のほうが面白いだろ」と言われると、そうですわねと素直に返せるくらい僅差。
一作目と四作目はトリックパートの大筋が予想通りだったりして、予想が立ってしまって、結末を確認半分で読み進めたようなものだったり。
しかし久しぶりに西尾維新ワールドに触れたせいもあったのか、世界シリーズは四作ともおおむね面白かった印象。気に入った順番を整理するなら「3・1・2・4」ですかね。
時系列は1234とストレートなので素直に1から読むのがいいと思われ。
とにかく近ごろの私は西尾維新作品のワクワク読書体験に戻ってきましたよ。
新天地『伝説シリーズ』
『世界シリーズ』を読んで、「西尾維新やっぱりいいなあ!」と思ったもの束の間。表紙がすこぶるかっこいい著書を見つける。その名も『悲鳴伝』!
分厚いなあ……。
『有限と微小のパン』『魍魎の匣』くらいあるんじゃないかこれ。さすがに『鉄鼠の檻』サイズじゃないにしろ。
2012年刊行作品。12年まで更新できました。
「先生、なんだか文章上手くなってませんか?」 謎の上から目線。
それは置いといて、長編な点もそうですが、なにが新天地かというと、これまでの(私が読んできた)西尾維新って語り部がみんな一人称視点だったんですよ。阿良々木くん、いーちゃん、櫃内様刻、病院坂黒猫。
刀シリーズは未読だから分からない。
伝説シリーズでは語り部が中間神視点の要素も含んでいて、先の未来を見渡すような俯瞰した視点から物語が語られ進行していく。
「このときは察知のしようがなかったが」「この行動がさらなる不幸を呼び寄せる結果になるのだが」
──こんな具合で、先の展開の暗示/前フリをがんがん放り込んでくる。新鮮だ。一人称だと見たもののみの描写となるので、バランスが崩れてしまうギリギリにまで踏み込めるこのスタイルならではの書き方と言えよう。
キャラクターの使い捨ても健在
相変わらずのキャラの使い捨ても健在で、毎度毎度のことながらもはや尊敬の念すら湧いてくる。
主要(に思われた)なキャラクターが嘘かと思うくらいにポンポン死亡し退場していく。モブキャラが死んでしまうのならまだしも、愛情で人格を形成しておきながらの突き放し(物語からの退場)である。ようやる。
死んでしまう過程の切れ味がすこぶる良くって。
たとえば、「仲間Aと敵Bが戦う展開で結果、Aが死んでしまう」なら、まあよくあります。
しかし、うどんを食べている横で急に死に絶えるとか……なかなかないでしょ。
こんなのアブドゥルレベルですよ。フラグはどこだよって思考停止してしまったよ。でも西尾維新の世界は、そういうのが諸行無常まかりとおる世界である。そこがいい。それでいい。
現在八刊目にあたる『悲衛伝』まで刊行。私はいま三作目『悲惨伝』まで読みました。500Pを費やして四国内で隣の県に移るだけ。なんて贅沢な原稿の使い方だ。
(追記:さらに読み進めて、残すは『悲球伝』『悲終伝』の二刊となりました)
『悲鳴伝』のあとがきに、「もともと連編のつもりじゃなかった」と書いてあるとおり、一作目の悲鳴伝は、物語もすっきりとしたサイズ感で終わっています。読んでから調べてみると「続きあるのかよ」と驚いたくらい。
『悲鳴伝』はすこぶるオススメです。前提で読んでおくべき他作品もないので。
これは『クビシメロマンチスト』を越えたかもしれない。や、越えたな。
というか──、似てるな。
意欲作なのか? 『少女不十分』
最後にこないだ読んだ『少女不十分』について。2011年刊行。
いい話でしたね。柄にもなく……っていうとちょっと貶してるみたいですが、これは売りに出したり廃品回収に出したくはない。たぶんずっと持ってると思います。家が火事になったりしなければ。
”小説家になって10年目になった「僕」が10年前のトラウマを話す”
──という一聴すると私小説のような形式。文体は十八番の一人称視点。
挑戦的な部分として ある企みが施されている点が本作のキモ。そのための設定が活きてて、縛られすぎによる無理もしてなくていい。そういう意味では『りぽぐら!』の系譜に属するのかもしれない。企画アイデア一発ネタ、みたいな。
物語のネタバレにはならないので別に隠す必要もなくはないけど、読んだときのなるほどね的な驚きを味わってほしいので、損なってほしくないので深くは言及しません。兎吊木垓輔のすごい版、といっておけば、ある程度の方には伝わるかと。
これも気持ちいい畳み方でした。先述のキモが気持ちよく昇華されていくカタルシス。
ラストの締めの気持ちよさを味わうなら
『クビシメロマンチスト』と『少女不十分』のキレの良さ、幕切れの良さから来る爽快な読後感の正体について考えるとき、『笑わない数学者』ラストの博士の言葉を思い出すんですよね。
多くの作家と作品があって、畳み方で作品の評価が真逆に反転するのはよくあることで、「んだよそれ」と寸前で急に汚物級に変わってしまうものも珍しくはないですが、西尾維新は畳み方がいい。何回言うねん。筆の置き方っていうのかな。言わない。そこも魅力だなと。
見た感じ、伝説シリーズに比べると「本の厚みがちと薄いな」と思いますが、これが平均なんですよね。頭をチューニングし直さないと。
さくっと読めます、柄にもなくいい話です。おすすめです『少女不十分』。
次回作が最高傑作です
(インタビュアーが「あなたはたくさん映画を撮ってきましたが、最高傑作といえるのはどの作品でしょうか」と尋ねると、チャップリンは「次回作が最高傑作です」と応えた、という逸話がある)
—
なんでチャップリンの言葉を引用したのか自分でも分かりませんが、まだまだ読めていない作品があるのでちょっとずつ追っかけていきたいです。
「化物語のアニメ版観たくらいしか、西尾維新について知らないなあ」
「なんかガッキーのやってたドラマの原作の人でしょ?」
けしからん。そんなあなたは一度、活字の西尾維新に触れてほしい。楽しいよ。
『化物語』からでも問題なし。というか、これがやはり入門にはスタンダードな気がする。
捻くれた私ならば
- 『クビキリサイクル』
- 『悲鳴伝』
- 『少女不十分』
のいずれかから一冊目を選ぶことを推奨しますがね。
そんな感じで〈西尾維新の活字作品群とオススメする私〉でした。
おしまい。
コメント,ご意見など (中傷発言はNO)
ここ最近西尾維新に深入りし始めた者です!
この記事や他サイトレビューなどでクビシメロマンチストが最高傑作という声を多々聞いて、とうとう購入を決意し先程ポチってきました~!
『偽物語がいまいち』というのは私も賛同しますw閑話が必要以上に長すぎたり、閑話の味のしつこさに比べて肝心の本筋があっけなかったりと、私の方もあまり好印象を持ってはいません…
が、その後の猫物語白と撫物語は『お見事!』といった感じの話に仕上がっているので、気が向いた時には是非とも再び物語シリーズに目を向ける意味でも読んでみることをおすすめします!(この二作はジュブナイルというよりはビルドゥングスロマンの色が強いです)
難点があるとすれば猫物語白を読む前には「化物語」はもちろんのこと「猫物語黒」も読まなければならない・撫物語を読む前に「囮物語」「恋物語」を読まなければならないところですかね…
私の中では「猫物語黒」「囮物語」「恋物語」は物語シリーズの中でも評価の高い部類に入るのですが、猫物語黒は序盤にそれこそ偽物語のような冗長な閑話が目白押し、恋物語に至っては肝心の事件の解決策がこれまたあっさりしているので、そこを堪えられるかどうかですね…
医科さんどうも。
クビシメロマンチストはいいですよ。
ただ医科さんの西尾歴が判然としないので念のため書いておきますが『クビシメ』は戯言シリーズの二作目にあたり、時系列的にも一作目のあとの展開になってますので
まず『クビキリサイクル』を読まれるかOVAを観るかして戯言シリーズのメインキャラクターいーちゃんと玖渚友について少しだけでも情報を入れたほうが読み応えがあると思います。
単作として独立しているとも言えますが、土壌はカタイに越したことはないかと。
アニメ放映された扇ちゃんを救うお話(あれは何物語なんだろう)が好きだったのでそろそろ物語シリーズも活字で追いつきたいなと思ってはいるんですが、なかなか手を出さない日々が続いてます。
道は長そうですがゆっくり読んでいこうと思います、気が向いた時に。