実写版『がっこうぐらし!』観にいきました in 梅田

感想文

めぐねえと聖書

がっこうぐらし! めぐねえ
『がっこうぐらし!』予告編より

 

おそらく実写化において一番手が加えられたのがめぐねえではないかと。

原作では現国の先生だっためぐねえが保健室の先生(カウンセリング含む)に変更されてました。

これ覚えといてねとばかりロザリオ風ネックレスが首元で光っていて、私なんかは「こんな先生やだな」と思ったりもしたんですが、ともかくロザリオ風ネックレス。

(”ロザリオ風ネックレス”……ロザリオって祈るときに手繰って使用するものであって、首にかけておくものではない。だからこれがめぐねえの信仰心の現れなのか、ただのファッションアイテムなのかはちょっと宙に浮いてるままお話は進んでいく。まさか制作陣がロザリオの扱いかたを勘違いしていたとは思いたくない

そして物語は進み、噛まれて負傷してしまっためぐねえが保険室に籠もる過去のいきさつがあらわに。

この対峙は面白い改変だったと思います。この頃にははっきりと「この映画はくるみの映画だ!」と遅ればせながら気づいた次第。

みーくんではなく、くるみに引導役を変更したのも◎

対峙に必要だったもの

ここで大事なのはめぐねえが”まだ生きている”こと、です。

学校生活部を自ら発足してまで生徒たちに前を向いてもらおうと願う愛の人・めぐねえだったら、自分がソンビ化してしまう前に自決/自殺することも辞さないと思うんですよ。生徒のことをこそ思えば。保健室、何かあるでしょう。空気注射でもいいですし。それで完全な機能停止まで死に成功するかは不明なのですが。

でもそうすると、後半でゆきが向き合う「現実」とくるみの「決断」が画的にも物語的にもブレることになる。

ただ動かない死体があるだけだったり、”襲われたので抗戦した”ではダメなんです。

繰り返しですが、大事なのはめぐねえが”まだ生きている”こと。

そこで、めぐねえがあの状態で保健室に留まっている理由として用意されたのが、クリスチャンという性格づけ。

ご存知の通り、キリスト教では自殺はご法度ですから(自殺も殺人に含まれる、のような解釈だったと思います)。だからくるみが引導を渡すような細川ガラシャ的展開になったわけですね。

そのためのロザリオ風ネックレス(しつこい)であり、ダメ押しの「読みかけの本を閉じるとそれは”聖書”でした」もそこに繋がってくるのですが、まあこれは説明過多じゃないかなーと。

聖書の見せ方については、りーさんもめぐねえの幻影を拠りどころにしていた節があるので、めぐねえの喪失を完全に受け入れたこと(めぐねえはもう聖書を読まない……)と、本を閉じる=他に頼らずに自分で生きていく選択をしたという見方もできるな、くらいに今では落ち着いてます。

おのののかがいい

教育者としての疲労が蓄積しているやややつれた表情と同居した無理な空元気の笑顔も良かったし、くるみと向き合っていたときのアップ顔から浮かぶ生気のなさ、以前まで人間だったはずなのにもうだたの物質でしかない不気味加減。すごい良かった。「殺したくねー、殺せねえー」と思わせるパワーがあります。

ただ、ロッカーを背にしてシャベルを受けた後の体勢が”床に直立”なわけねえだろ! と、そこは流石に繋がりを無視しすぎ。

レイトショー1300円の価値を味わう

観てからあれこれ言いたいこと言いましょう。

観てない状態なら言っていいラインを守りましょう。

対価を払って向き合うのが観客の示せる「誠実さ」じゃないですか。

おしまい。

参照リンク

映画『がっこうぐらし!』公式サイト

 

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