春藤佳奈のコンテがメインの記事だったので、別の話題に逸れすぎるのもいかがなものかなーと思い内容を分断しました。お客さんがあの記事を読んだあと、直帰せずにこっちも見ていただけるだろうと強気な判断です。こざかしい。ほんとのところは、すっかり忘れてしまったまま記事を公開したので追記するにしにくい状態になってしまっただけ。
ただの追記なのでものすごいショーターな記事です。こういうメモ書き系の記事を書くのもページが分かれてしまうのが階層式のブログサービスの難点ですなあ。
知っておくと物知りっぽく思われる言葉、「チンダル現象」(レイリー散乱もいいよね)
”フラグ”について
文字数増やすために昨今の”フラグ”を声高らかに叫ぶ人たちについて思うことを少し話そう。ほんの少しだけ。
あ? いらねえよこのシーツのシミ野郎ってんなら読み飛ばしてけっこう。
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ものごとには「原因と過程と結果」がある。三つの現象で成り立っているといえばいいか。因果関係ともいう。
時間というのは常に一方向にしか動いていないので、ある原因①で起こった結果①は同時に原因②になりいずれ結果②を生む。その結果②も原因③であるので結果④になる。これはエンドレスで続いていく。わかりやすくするため過程は省略した。
「風が吹けば桶屋が儲かる」「バタフライ・エフェクト」などの言葉でも理解できるように、すべての事象がすべての事象に繋がっていると主張や解釈は可能なのだが、実際はそうではないことが多い。勘違いしがちなのが、「①と①が直列の因果関係を持っている」というもの。
簡単な例でいえば「オレが応援に行ったから巨人は勝った」などの主張がそれにあたる。
もちろんこれは「んなわけねえだろ巨カス」と、生田がホームランを打った木製バットで眉間にぐりぐりしたいところだが、突き詰めて考えると成立しないこともない。
”巨人が勝ったこと”の要因と”オレが応援に行ったこと”による影響を二方向で発展させて考えていけば、どこかですり合うポイントができる。そうすれば、「オレが応援に行ったことにより(なんやかんやすったもんだでこれこれして)巨人は勝った」というストーリーができあがる。
いったい何の話してるんでしょう……私は。
アニメライクスな人たちに生半可に口にしてほしくないワードTOP10常連が「フラグ」と「伏線」なんですよ。だからちょっと神経質になって変なこと言ってる。口にしてほしくないくせに自分はベラベラと。困ったお喋り二等兵なんです。
で、フラグですよフラグ。
「あのとき、ああしておけば……」なんて台詞はよく聞きますが、まさにこの選択肢・分岐点にあたるのが”フラグ”ですよ。線路の切り替えみたいな。こっち選択したからこっち、的な。
有名所の「死亡フラグ」は、ある行動をとる・ある状態になった”ので”、結末(行く先)が死亡になっていると。生存フラグはその逆ですね。何かしらのアクションが生存という結果に繋がる。
昔は(いつからかわかりませんが)、フラグは完全な決定項として機能していたと思うんですよ。「こうしたんだからこうなる」に間違いがなかった。間違いないからこそ”フラグ”と呼ばれていたのかもしれない。
それがどこかのタイミングで、演出としての表現方法としてフラグが取り入れられた。
「この戦争が終わったら故郷に帰って彼女と結婚するんだ」
設定を話すでもなく状況が浮かんでしまうような、もはや一端のギャグに成り下がってしまいましたが、この台詞を挟むことによって、より”戦友の死・戦争の理不尽さ”を悲しいものとして描ける効果が期待できるんです。結果をよりインパクトのあるものに演出する目的で、こういった台詞をはさむようになった。
するとこれが「お約束・様式美」として認識され、ひとつの定番手法になる。定番になるとその効果を逆手に取り「死ぬとみせかけて実は生き残る」ことによる感動を取りに行くようになる。これもまた時代の経過がかたち作っていってひとつのパーツ(手法)になる。成り下がる。
だもんで、もはやこの世には”死亡フラグ”の体をなしていないものが溢れている──と私は思っている。危惧している。
だっていまからでもどっちにだって作者が自由に持っていけるんだもん! こんなのはフラグじゃない! ただの「示唆」だよ。
……という主張のもと、軽々しく、「フラグ立てすぎwwww」「死亡フラグきたwww」とかは辞めて欲しいなあと思ってるわけです。まあ「──www」が必要以上に私を苛つかせていることが原因でもあるんでしょうが。いーちゃんよろしく端的にいうと
「知ったふうな口を利くな」
はい、私もです。黙りますね。
じゃあ、メアリー・”戸松”・スーのお父さんの話しよう。
アンソン・スー強襲!!
本題。
10話の終わり。包囲殲滅の「回転ドア」を仕掛けて海から加勢しようとしたところでアンソン・スー再登場。ああ、グランツ。
ここで司令官からの指示でデグレチャフたちに不穏な空気が立ち始めるまえ、眼前に”天使の梯子”(”ヤコブの梯子”)が表れます。一般的に、晴れ模様その他晴れ表現というのはポジティブな展開への示唆として数多く使われてきましたが、ここでの使い方は一味違っていて、
”天使の梯子”が出現→神(物語内の言葉でいえば存在X)の使いが降臨する→神にすがる狂信者アンソンがやってくる。
つまりこの薄明光線は「存在Xの介入がくるぞー、デグレチャフのまえに立ちふさがるぞー」のフラグ。あ、示唆でしたね。すみません。メタファーって言っとけばいいか(投げやり
こんなに嬉しくない晴れ間もあるんですね。
いい演出でした。
第10話
絵コンテ:上村 泰 / 谷口 宏美
演出:小野田 雄亮
どなたのお仕事なのかは、わかりません。しゅん。
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