アニメレビューと一気観style

「イッキ見」という語感と字面が気に入らなくて、いつものように「見る」を「観る」に変換したけれど、大して良くもなっていない。イッキカンスタイルとか読まれてそうです。

こないだ、アニメのレビューをする人でイッキ見()スタイルの人がいると小耳にはさみました。観測した、というのがより正確なところ。

過去作に限らず、リアルタイムで放送している作品も最終話を迎えてからイッキ見をしてレビューに起こすというスタイル……らしい。

最初に目にしたとき率直に、これはなかなか理にかなってるなと思いました。

アニメレビュー指南なんてつもりじゃないけど、イッキ見スタイルについてちょっとした感想を書こうと思います。

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イッキ見とリアルタイム視聴の違い

たとえば1クール作品で考えると、リアルタイムで付き合っていくなら第1話から最終回までは3ヶ月あるわけです。2クールならほぼ6ヶ月。ほぼ半年。

作品全体のレビューや批評をとる際、3ヶ月前に観たものを記憶から引っ張り出して批評の材料にするのはけっこう難しいんです。ディテールがポンポン欠落していくから。

>>エビングハウスの忘却曲線のwiki

 

※人間はポンポン忘れていくのだ、という論旨ではないんですけど、まあ参考に。

視聴から期間が空くと、最終話を観終わってレビューを書き始めた途端に「さて、第2話のあれが伏線になってたわけだけど……あれ? あのシーンは第3話だっけ?」みたいな迷いが生じます。

メモをとればいいだけの話ですが、そんな揚げ足を取ってはいけない

これでは筆は気持ちよく進まないし、観たときから間が飽きすぎて伏線だったことすら忘れてしまうこともあります。それではクリティカルな評が打てない。伏線に触れたらクリティカルかというとそんなことは全然ないのだけれど。

さらには、リアルタイム視聴だと一週間の間に他作品の情報も吸収していき、緩やかなマルチタスクでアニメ視聴をおこなっている状態になっていたりもするでしょう。集中力は当然分散します。

一方、イッキ観でひとつの作品を視聴すると、短ければ1日、時間をかけても2日(それくらいが一気観と呼べる範囲でしょう)で続けて観るわけで、物語のディテールもほとんど定着しているし、余計な情報が間に入り込まず細かいシーンの繋がりもすぐに参照できます。

なるほど、たしかにインプットとアウトプットのバランスはとれている。美しい先入先出法である。ぜんぜん違う。

作品の全体像、そして個の部分

考えてみれば映画作品をレビューするときはこのスタイルになるものです。

インターミッションに入って「ここまでの評価~」なんて批評家はいません。おかしさを感じます。評価軸、批評軸からもそういった観点は存在していない。

シリーズものを俯瞰して批評する、という視点はありますね。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』論とか『スターウォーズ』評論とか。そういうのはいまはおいといて。

そもそも分割で放送/配信していることから、挿話ひとつを「個の作品」と捉えがちではありますが、「この作品の第5話がめちゃくちゃ良かった」という話を聞かされても未視聴者はどう対処していいのか困るのではないか?

「それは第4話までは我慢して観ろってこと? 第5話だけ観ても面白いってこと? 第6話以降はみなくてもいいってこと?」……確かに視聴の参考にするには手に余る情報かもしれません。

挿話で面白がれるのは実は難度がやや高いマイナな趣味なんではないか。そんな不安がふと湧いた。

個への言及、個への評価

さきほど「挿話ひとつを個の作品と捉えがち」と書きましたが、捉えがちではなくそう捉えるのが実は正解なのです。秘技・掌返し。思いつきで書き連ねるとこういった反対意見が自ら出てきます。

しかし多くの人は表層を観ては「全体に連なった1個の作品だ」と捉えがちであり、個の違いを見失いがちなのです。これはガチです。

イッキ見への偏見と悔しがり

書きやすい、まとめやすいという観点では、作品全体のレビューを1本書くためのアプローチとしてイッキ観の効果は大きい。最適と言ってもよい。

天の邪鬼の戯言ですが、レビューのためのアニメ視聴スタイルだなって思います。

何を焦っておるのだ

イッキ観という視聴スタイルがもったいない(不得意)のは、挿話に対してのレビューを行いにくい点がまずひとつ。レビュースタイルへの影響なので、些事といえば些事。

主な反論は、次の放送へのインターバルが生む「感情を寝かす」アクションが抜けてるじゃないか、それでいいのか内面と向き合ってるかという点にあります。ちょっとくさい言い方をすると「余韻を味わう」部分が抜け落ちているわけです。視聴時間を省略する方向にコントロールできると当然そうなります。

これは現行の放送や配信のかたちがそうしているだけであって、本来はインターバルなど設ける必要がそもそもあるのかどうなのかという議論の余地もあります。一週間程度のインターバルがなくなるのなら、挿話ごとの締め方にも変化が生じ、物語の演出や語り方も適応変化していくでしょう。

言ってみれば「世界中全部に屋根ができるようになったら相合い傘もなくなるね」くらいの文化的余韻です。有難がるのが偉いわけではありません。

正しい視聴者など幻想です。”ほんとに欲しがってる人”も幻想です。

またもや結論はなし

30分でなにか書くぞと週末チャレンジしたわけですが、特にオピニオンがないまま書き出すと着地点に困ります。正直どっちでもいいよと思える行為、感情的に好きでも嫌いでもない行為(つまり他人の一気観)をテーマにするのは難しいですね。

イッキ見をすると、考える時間がとれない。削りがち。

もちろん、考える時間など10分も取れば十分かなって作品もあります。持ちうる愛情を全部注ぐにはあまりにも趣味が合わない作品もあります。

それでも、時間をかけて、ここがつまんねえんだよな(理解できない合わないなど)と考えを巡らせていれば「実はそんなにめちゃくちゃ悪くはないんじゃないか」「もしかしたら自分はこいつのこと好きなんじゃないか」と印象がひっくり返ることだってあります。これは楽しいです。

直感はたまにハズレます。吟味すれば偏見もほぐれます。

おしまい。

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