『ゆるキャン△』のOPとかの雑々記

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The Jackson5の『i want you back』いいですよね(なんかこの入り方、『サクラクエスト』のOPのときもやった気がするぞ……)。

ジャミジャミしてない、くにゃくにゃのカッティングがまことよろしい。

いやまあ、『ゆるキャン△』OPに起用されている亜咲花の『SHINY DAYS』ですよ。『セントールの悩み』EDで知りましたけど、この子、上手ですわね。

曲のJackson5っぽさはお察しの通り、狙って寄せていったもので、インタビュー記事にそのような主旨のことがぽつりと書いてました。

以下リンク。

ディレクターがそういうの好みだったみたいです。ふーん。

星野源がこんなにヒットしてるんだから、60年-80年のモータウンとか80年以降のポップスとか持ってきたら面白そうじゃね? みたいな背景を疑ってしまう。ちょい前の「いまシティ・ポップがウケるみたいよ」的な。「やろうよ」じゃなくて「ウケるよ」みたいな、自発性があんまり視えてこないのはちょっと拒否反応でちゃう。全部妄想なんですけど。

それはまあいい。
嫌う理由を探してるのが主だから気に留めないでください。

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パクリとオマージュのその間

間にあるのは、愛だ

パクリかオマージュか問題っていうのは、元ネタとの類似点だったり元ネタの知名度だったり元ネタの普遍性(反証的なオリジナリティ)だったりと、多角的な視点から考える必要がありますし、いろいろなボーダーがあってギルティnoギルティって評価がついてくるものですが、一つの線引として、

元ネタを知られてしまうと困るのが「パクリ」
元ネタを知られなきゃ機能しないのが「パロディ」
元ネタを知られなくても成立するのが「オマージュ」

そんな古い言葉もあったり。「オリジナル」はどこに……?

基本的には、パクリはアウトっ気が強くて、パロディとオマージュは好意的に受け止められているときに使用されることが多いですね。それが転じて文面によっては免罪符化してることも。オマージュって言っておけば最大過失は免れられる感じ。そんな勘ぐりも人としてどうなのだ、とも思わなくもないですが……。

でもよく考えてみてください。

私にとってのオリジナルが、あの人にとってはパクリだったり。
私にとってのオマージュも、あの人にはただのパクリだったり。

その逆もまた然り。

教養と許容が試される世界でありながら、「知ってて当然」がなんの頼りにもならない言葉だったと痛感する世界でもある。

パロディとオマージュの違いは「原作への愛や敬意()とかいう、これまた数値化も可視化もしにくい余地ありまくりの分け方よりは、「濃度」で分類したほうが整理しやすいので個人解釈の範囲でそうしてます。あくまで個人的に。昔は「パロディには批評的な意味合いが伴う」みたいな話もあったんですが……。あと大事なのは「意図/理由」ですよね。引用案件でも重要視される「必要性」とも言えるかな。

ありますか? 明確な意図。

暗くなるのでいっちょ噛みの話はこのヘンにして、

「Brand new world」のコーラスとかは”まさに”って感じでした(お茶濁し
\(^o^)/アイウォンチュバ

「未来へ」のシンクロニシティ

コンテ製作者がいるので何かが一致したとしても、それ相当の意図があるでしょうからシンクロニシティとか言ってらんないのですが、なんとなくで聞きかじった言葉を使ってみました。

OP後半部「飛び出そう 未来へ♪」の歌詞のところが萩尾望都先生の『11人いる!』のラストを意識してるんじゃないか。つまりオ……オマージュなんじゃ……(小声)

11人いる! 未来へ
萩尾望都『11人いる!』より

 

ゆるキャン△ OP
『ゆるキャン△』OPより

未来へ、の歌詞に合わせて走り出す なでしこ達のシンクロニシティ。

ミルキーホームズ』みたいなまんま使い一歩手前じゃなくて、「こういうことかな」なんてちょっぴり想起させるような濃度がオマージュの範疇だと思わなくもない。濃いも薄いもやっぱり人次第ですけど。

『ゆるキャン△』 OPアニメーション

絵コンテ・演出/ 神保 昌登

各話脚本に伊藤 睦美も参加してきて、ますます『あんハピ♪』チーム感が色濃くなってきました。楽しい。

おしまい。

関連リンク

TVアニメ『ゆるキャン△』公式サイト

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