【音楽】We were『トレンチコートマフィア』ってね

【この記事のこと あなたの周りにも拡めてくれたら それはとってもうれしいなって】

みんなちがってみんないい』のMVが公開されましたね。
もうPVって言わなくなって久しいですなあ。

やっぱり、ファンキーモンキーベイビーズのこと馬鹿にしてるじゃないか。(歓喜)
この松永の笑顔ったらねえわ。えっ? 松永じゃないの? ミ・マ・チ・ガ・イ?

ならしょうがないな。

DJ松永 feat. R-指定の『トレンチコートマフィア』

話が飛び飛びになる前に。

【注記】
桐島、部活やめるってよ』『エレファント』ともに、あらすじ・予告映像以上の内容に触れていきます。可能な限り未見の方々の視聴時の楽しみを損なわない配慮に努めるようにはしますのでそのあたりぬるく見守ってください。
【終わり】

DJ松永の『サーカス・メロディ』にR-指定を客演として招いた『トレンチコートマフィア』っていう楽曲があります。クリーピーナッツがお好きな皆さんならご存知かと思いますが、フリースタイルダンジョンでのR-指定の登場曲(入場曲?)が『刹那』に入れ替わるまでに流れていた”アレ”です。キャラクターとしてみても、私はトレンチコートマフィアのままで良かったと思ってますが。

なつ「そもそも”トレンチコートマフィア”って何のこと? という顔のヘッズがいますよ」

……え、そっから? そういう人もまあ、いるでしょう。

コロンバイン高校銃乱射事件とは

コロンバイン高校銃乱射事件(コロンバインこうこうじゅうらんしゃじけん)は、アメリカ合衆国コロラド州ジェファーソン郡コロンバイン(Columbine)のジェファーソン郡立コロンバイン高等学校en:Columbine High School)で1999年4月20日に発生した事件。英語名は「コロンバイン高校の虐殺en:Columbine High School massacre)」。

トレンチコート・マフィアと自称する同校の生徒、エリック・ハリス(Eric David Harris)とディラン・クレボルド(Dylan Bennet Klebold)が銃を乱射、12名の生徒および1名の教師を射殺し、両名は自殺した。重軽傷者は24名。アメリカの学校における銃乱射事件としては、犠牲者数において1966年に起きたテキサスタワー乱射事件に次いで大規模なものであった(当時、その後2007年に33人が死亡したバージニア工科大学銃乱射事件が起きた)。

以上 wiki検索結果より引用

もう15年以上も前の話になるのか。時の流れは早い。
いま現役の高校生は当時まだ生まれてなかったりで。

そりゃ時代とともに事件も風化していって、記憶は薄まり、知識としても後生に残すことが難しくなっていくんでしょう。この事件に限ったことではない。911も、311も、117も、815も全部。随分と遠くのことになっている。いつまで伝えていけるのか、と時々考えたりする。

話を戻します。

時代が変わろうが世代が移ろうがあのときに私が囚われた殺伐とした空気感っていうのは相変わらず何年経とうが、いまの学校にも当然漂っているんだと思う。嫌な事件は嫌な事件を想起させる。相変わらず不幸な奴はとことん不幸で。卒業したって引きずっている奴もいるはず。

中学の話とか正直話したくねえよ。思い出したくねえよ。そんな人間もいるでしょう。

だからこそむしろテーマとして掘り返してきた二人には讃辞を贈りたい。

これは応援歌なんだと最近思えてきた。だってこの曲に救われるやつが必ずいるはずだから。
こんな歪なかたちの救いしかないのはひとつの不幸なのかもしれないけど、鎮魂歌を向けられるよりはよほどマシだと言える。だってわたしたちはまだ死んでないのだから!

なつ「あつい。そしてうすい」

死傷者の数で比較するなら、バージニア工科大学銃乱射事件サンディフック小学校銃乱射事件の方が上回っていて、だからといっていたたまれなさは比べようがないけれど……。
私の多感な時期と重なったこと、ナードがいじめの対象になっていたこと。主犯がそのナードであったこと。そんな要素が重なり、心に根強く残っています。

字面だけじゃ全貌も内容もよくわからないというヘッズたち。マイケル・ムーアの『ボーリングフォーコロンバイン』の視聴を薦める。わりとカジュアル・シニカルにことに切り込んでいってるので、アメリカの銃社会・文化背景の勉強と合わせて少し世界が広がるかもしれない。

by カエレバ

私の好きなアニメ『戦国コレクション第15話の元ネタにもなっている。

本場のスクールカースト

アメリカの学校が舞台の青春映画などを観たことがあるだろうか。プロムとかが出てくるやつが好ましい。『25年目のキス』とか『ビバリーヒルズ高校白書』とか。なんなら『キャリー』でもいいや。その辺。

何が言いたいかといえば、向こうのスクールカーストはえげつない

ということ。あれは地獄ぞ。

なつ「大阪の府立高校卒だよね?」

──まあそうですが、アレがきついのは見りゃわかる。(テキトー)

今まさに学生で「学校が辛えとか日々思ってるそこの。そこのお前!

これを読んでたらよく考えてみよう。周りの先の先をよく見ろ。

日本の学校はまだ恵まれている、とか言うつもりはない。そんなの口が裂けても言えないし、横から口出しもできないし人格否定もできない。助けることも、できない。

「アメリカとか遠くの話されてもわかんねーよ。あっちがどうとか比べるより我が家の火事をなんとかしてくれよ。」

そんな視野狭窄キッズの届かない声が聞こえる。

なつ「幻聴じゃね?」

言いたいことは特に無い。受け止めてくれる保証ないし。

逃げてもいいんだってことを忘れるな、と。逃げ道はどっかにあるから。
もちろん戦ってもいいんだけど。

ガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』

纏まんないので次に。

なつ「トレンチコートマフィアという集団と事件があったことはわかった。それで?」

件のコロンバイン銃乱射事件を描いた映画がありまして、それがガス・ヴァン・サント監督の『エレファント

サント監督といえば『グッドウィルハンティング』『マイ・プライベート・アイダホ』等の名作を撮った方。『永遠の僕たち』がすごい好きなんです私。(坂本真綾の吹き替えはイマイチでしたが)こうして振り返ると静かな映画が多いですね。『サイコ』のリメイク? 知らない子ですねー。

で、エレファント。

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コロンバイン高校銃乱射事件当日の学校の様子を群像劇で描いてます。

編集がけっこう面白くって、例えば下記のようなシーン。

少年Aが少年Bと会ってカメラ談義をするカットがまず流れる。
黒バックを一枚さして時系列が少し戻り少年Bの視点に切り替わる。
少年Aとのカメラ談義のやりとりがアングルだけ変わって繰り返される。
さらに視点が変わり、イケてない少女Cの視点で物語が進行。しばらくすると、AとBのカメラ談義の横をすり抜けていって少女のストーリーが展開される、といった具合。

観たほうが早い。AとBとCパターン

エレファント1 エレファント2 エレファント3

同じ出来事も、別視点でどう視えているかどう聴こえているかが変わってくる。

なつ「まあそれが群像劇の妙というか醍醐味だからね」

『エレファント』の技法面な特徴部分は、

  1. フォローするカメラ
  2. 時系列戻し
  3. 各キャラクターへの視点変更

この三点。あと副次的な部分としてクラシックの曲を入れる。

コロンバインの事件を扱っているので内容的な部分では、

  1. スクールカースト及びヒエラルキーの存在を描く
  2. ナード(いわゆるヲタク層。カースト上では弱者となる)による着地点のない反抗・復讐・暴走。

ざっくりとしたエレファントはこんな感じ。

これを下地にした映画が日本にあります。

『エレファント』通過後の『桐島、部活やめるってよ』

桐島、部活やめるってよ

冒頭のシーン比較

左が『エレファント』右が『桐島~』

エレファント4 桐島

フォローするカメラと滑らかな役者へのフォーカス。

くりかえす「金曜日」の表記

時系列が数回、戻っている(※ ある時点まで戻っているだけです)

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『桐島~』では吹奏楽部が演奏するクラシックの楽曲はワーグナーのローエングリン。
『エレファント』ではベートーヴェンの月光、エリーゼのために

狙ってエレファントにかぶせてきたであろう”熱いキス”。意味合いは全然違うんだけど。
あっこ観るの辛い。というか9割がた観てて辛い。
映画部員のみのシーンだけが安らぎです。ホモソーシャル万歳つって。

桐島、部活やめるってよ』が『エレファント』を意識して作られたのは間違いない。しかし『桐島~』がコロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにしているわけではところがポイント。

by カエレバ

「ゴドーを待ちながら」型の映画

映画の中心人物はタイトル通り桐島なんですが、桐島という学生は一切映画に登場しないんですよ。声もしない。桐島視点っぽいカットはあるんですが。

どういうことか。

いわゆる「ゴドーを待ちながら」型映画。

話題にはなっているけれども映らない。

みんな大好き神木君がパッケージに写ってますが、彼は桐島君ではありません。彼はカントクというあだ名を持つ映画部部員のシネフィル前田君です。

しかし彼こそが視聴者の感情移入の先。裏の、あるいは真の主人公。(─のひとり、とするのが正しいのか?)トレンチコートマフィアの役どころが彼ら映画部なんです。
バカにされる側。どころか認識も薄くてまさに余る側。手にアマルフィ。

要は、昔の私達です。(直球)

かつ今の君たちでもある。

「じゃあ、ただの元いじめられっ子の自分慰め映画かよ」というとそうじゃない。
いろんな視点が点在する映画なんです。

吹奏楽の部長に近い立ち位置の人もいるだろうし、バドミントン女子や帰宅部連中やあのリベロ君に自分を投影した人もいる。この映画でさえ描かれなかった側だっている
ほんとすごい映画。まあ観てみれば感じてもらえると思う。

昔は「無知鈍感無神経な奴って人生楽でいいよな」と思っていましたが、時間が経ち「ああ、こいつらも単純に幸せってわけではないのだな」なんて気持ちになって観られるようになりました。弱いゆえに優しさに敏感な私です。
まあ、奴らを許しはしませんがね。

なつ「また暗い」

うひひ。

コロンバイン高校銃乱射事件を描いた『エレファント』──をオマージュとした『桐島、部活やめるってよ』──の映像に、色んな意味でドスンとくるDJ松永&R-指定『トレンチコートマフィア』を合わせたMADがあります。

この作者もみっつの作品の関係性に思うところがあったのでしょう。思っていたことを見事に表現していてびっくりな秀作です。

これもわたしにとっちゃ救いなわけだ。(MADが違法かどうかは議論の余地ありですがね。

かつてのトレンチコートマフィア

大人になったいま、過去のことはあまり興味がなくなった。復讐心も消えた。

昔はね、そいつの二十歳の誕生日を命日にしてやろうと五人くらいのリストとともに私怨を飼いならしていたんだけど、環境が変われば全く会うこともなく、熱も冷めた。
結果、行動に移さなくて良かったと思ってる。刑務所とか嫌だし。親に迷惑かかるし。学生のうちに気付いておけって話だ。

もう”トレンチコートマフィア”という、弱者あるいは(あくまでも比喩的な)反逆する弱者からは卒業しました。勝手に。

ゆえに、we were トレンチコートマフィア(タイトル回収

死んだらなんになるっつうのか

若い子が自殺とかするニュースがあるじゃないですか。大学生だったり高校生だったり中学生だったり。原因は受験に失敗だったり、いじめに耐えられなかったり、だったり。

ほんとに他人事だから言えるんですけどね、軽い気持ちで。
「もったいないなあ」とか思うんですよ。まだ若いのになあって。

視野が狭くなってたんだなって。

これ大人になって振り返って考えるに、というところが大きいのでやや卑怯なポジションではありますが。大きく間違ったことは言ってないと思います。はい。

就職したあとや成人したあとのことを”社会(に出る)”と呼ぶ風潮が、私は大嫌いかつ間違った表現だと思っているんですが、それでも伝わりやすさを重視して一言述べるとすれば──

学校生活のほうが、社会生活より何倍も辛い。

という実感があります。

辛いときっていうのは気も参ってて、いまの境遇が永遠に続くような不安にかられがちだけど、なんとかなる場合っていうのは多々ある。大人はちゃらんぽらんばかりだからな。

そりゃ社会生活の辛さもないわけではない。タイプの違う苦しみ不条理はある。

しかし救いや逃避や捌け口もたくさんある。学生のうちはそういったものが壁の向うにあって見えないんだけど。承認欲求もびっくりするくらいどこかへ霧散していくよ。折り合いが付いてしまうんだな、悲しいことに。自己承認しちゃうからなのかな。

うえのほうで「絶対に許さない」とか言ってましたが、

許しはしないけど、どうでも良くなってる。卒業した現在では年一回すら会わないし。忙しくなって考えてる時間すらなくなってきたっていうのもある。扶養される時期も終わって生きていくので必死だからね。

時間が解決しました。
時間に解決されたというか……、有耶無耶にされた。

願わくば君たちにも何かしらの救いが訪れますように──なんていうと宗教くさくなっちゃうのか。MV観過ぎたせいだ。

というところでこの件おわりー。

by カエレバ