【考察】アニメ『くまみこ』と暴力描写についての暴論

【この記事のこと あなたの周りにも拡めてくれたら それはとってもうれしいなって】

こんにちは折田(兄).exeです。

[挨拶]

暴力的なお姉さんは好きですか?

私は嫌いです。でも伊波まひる(アニメ一期)のキャラデザは最高ですよ。
いや、キャラデザはシリーズ一貫して足立慎吾さんなので、なんというんでしょう。とにかく一期伊波さんが一番かわいい記憶がある。内容が面白かった補正かもしれない。でも三期の小鳥遊くんとの公園での初々しい(?)、やり取りも良かったですよね。

あー(中年期だけど)恋がしたい。つって。

なつ「やっぱりタレ目が好きなんだ……」

改めて思い返すと、伊波さんもタレ目でしたね。それでか……(勝手に納得

というか高津カリノさんのキャラクター原案が共通してタレ目寄りだったりもして。山田なんかは例外として。

──まあ、そんなわけで『くまみこ』の最終回に触れるまえに、

暴力(描写)って対象への個々の認識によって、個々の受け止め方に違いが出るのでは? というか出るんだな 

と今更のように思い返すことになった描写の話をさせてくれ。

くまみこで感じたぬるっとした不快感と苛立ち

なつ「アニメ観てイラッとしてるよこいつww もうちょい肩の力抜けよwwww」

別にイラッとしてるわけではないんですがね。腑に落ちない部分はあります。多々。

にもかくにも三話くらいまで楽しんでいたような気はするんです。三話は動画工房が制作協力してて、まち (の大腿部とか下腿部) がそりゃもう魅惑的に描かれていた回で、何回も観ました。(神楽とかする回)

しかし、Bパートですでに良夫によるヤバイ行為があり、このあたりから彼の「ヤバさ」における兆候が見え出していたことは明記しておきましょう。

※「良夫はサイコパス・アスペ(持ち)」等の文言を多々見かけましたが、半分以上が(とりあえずの)蔑称としてしか使われていない印象もあり、なんだかなあと思う反面、そう捉えられるのもやむなしかなあ、という思いもある。因みに現代精神医学、異常心理学においてサイコパスは精神異常者を指し、アスペルガー症候群は自閉症スペクトラムのなかのひとつの症例に位置する。アスペルガー症候群を患っている人に対してアスペと投げかけるんだろうけど、あんまり区別ついてないだろお前ら。

で。

四話で響がようやく出るわけですが、のっけから高欄にまちの頭持ってガツーンってやったんですよね。

くまみこ

ほんで地べたに座り込んだまちに軽めに膝ツン

くまみこ 膝蹴り

追いかけての髪引っ張り

くまみこ

まあ……普通に酷いよね。

あとは恫喝と略取なんかも適応されそうな横暴ぶり。もはや勘違いされやすいのレベルは超えてる。

結果がこの涙。

くまみこ まち 4話

最終回を観終わってから観返すと、完全にパニック障害のそれで良心がえぐられるよう。

なぜもっと早く気づいてあげられなかったのか()

とか陳腐な台詞が口をつきそう。

この辺りからまちへの当たりが強くなってきます。ナカケンとかBBBの湯浅さん思い出す。

ともあれ「いってきまーす」のOPで良夫が腹パンされるのを観ていたのに、矛先がまちに変わると一気に戸惑いが噴出した事実もあるわけで。

さっき挙げた小テーマ

暴力※って受ける対象への個々の認識で個々の受け止め方に違いが出るのでは? というか出る((物理的なものから精神にくるやつまで含む))

についてですが、

力を現代社会に置き換えるなら、いじり、虐め、迷惑行為あたりに相等するとしましょう。いわゆる「普通にされたら嫌なこと」の範疇ですが、特殊な状況下では反転したりもするので一般論普通論正常論の類は今回は割愛します。だってみなさん正常でしょ?

ここでは少し趣向を凝らして、

物理的な攻撃〈アタック〉

を強引に上記に加えます。つまりこの記事内に限り

お叱りのゲンコツや尻ペンペン、両成敗ビンタ、男女平等パンチ、ウルトラマンの必殺技、全部を一旦「暴力(描写)」と定義しましょうよ。

なつ「提案するなよ」

で、上のややこしい言い回しを具体的な例で表していきましょう(提案

『ケンシロウがハート様を殴り殺す』といった場合で考える

ハート様をどう思っている(認識している)かによって、ケンシロウがハート様に向ける様々な行為に「それはあり」「それはなし」の判断がなされるわけです。

然この判断材料には、私自身が享受した環境下で成長してきたことによる人格形成(私のなかだけの善悪のボーダーラインやダメージの比重であったり)も大いに関わってきます。
それを言っちゃったらおしまいな感じは否めませんが……。

血が出ようとも結果死のうとも良心は痛まない。むしろスカッとすると思う。

これはなぜか。ハート様の悪行をすでに認識しているから、ですね。
その悪行への”ツケ”が私という一人間の認識では「死んでもいい・死ぬべき裁かれるべき」というレベルに相当するため、私は彼が死ぬことに対しての憤りを感じない。これは人命軽視ではない。

これは善悪のボーダーライン

『ホームアローン』の二人組の泥棒とカルキン君の場合

10代のキッズにはマコーレー・カルキンと聞いてもピンとこない人がいると思う。でもそれは、30代に初音ミク知ってる? と聞いてポカンとされるのと似たようなもんだから恥じる必要も誇る必要もない。その時代に存在した象徴的産物。それだけのこと。

ホームアローン

マコーレー・カルキンの役者的顛末は割愛するとして、『ホームアローン』っていう映画が1991年に公開されて、シリーズは4まで続いたんです。光っていたのは2までだけど。

ういう映画かといいますると、クリスマスに家族旅行に行こうとしたら一人家で寝過ごしてしまい、そこに来た空き巣狙いの泥棒二人組を知恵を絞って追い返す(#好きな映画をつまらなそうに説明する)

みたいな映画。ちなみにコメディです。

家って言ってもアメリカの一軒家なんでめちゃくちゃでかいですよ。ギャグ満載の『パニック・ルーム』ぐらいに考えてください。

なつ「説明終わり」

この泥棒(ショーン・ペシ)もカルキン君のし掛けた罠で結構なダメージを負うんですよ。階段の上から落としたドラム缶くらったり、ぶら下げた鉄パイプでやアイロンで顔面強打したり、ドアノブ握ったらめちゃくちゃ熱かったり……。ニット帽燃やされたりもしてたな。

ホームアローン

酷いことされてるんだけど、気持ち的には「うわ……痛そ……」っていうよりも「うわっ、痛そーww」って感じ。決して可哀想の気持ちが勝つことはないまま物語は進行する。

話をテーマに戻すと、彼らは泥棒であり、資産を奪いに来た侵略者であり、多少の暴力を持って追い返されるのは当然である。という認識。

また出てきた「当然」という言葉。

つまり

正当性を持った攻撃には罪悪感のフィルターかかりにくい

これがひとつ。

ダメージの比重について『ホームアローン』で考える

コメディ調で作られていることもあって、痛さの程度が軽い。軽く見えるとも言い換えられる。 さっきあげたオシオキも映像を見れば判ると思うけど、テイストが軽い。

いつしか『紅殻のパンドラ』について、「ちりばめられたコメディ要素による対ダメージ補正のせいで、シリアスなムードが作りにくい」という記事を書いたけど、本作ホームアローンは実際は大きいダメージを負うようなものもコメディ調に描くことで見事に軽い方向に補正することに成功している。普通は高圧電流くらったら泡吹いて卒倒して痙攣なんかするんだろうけど、そこはブランカのビリビリくらったときみたいに骨が浮かんできてピカピカ、みたいな演出でサラリとしてた。

が仮に、ドアを開けたら大鉈が落ちてきて右腕がぶっつり切り落とされたりでもしたら、私も笑わないというか笑えないと思う。

私のなかでは二人の泥棒に対して(映画内で提示される二人の素性から)

傷めつけられて追い返されるのは道義だけど、腕を失うとか目潰しとか死ぬのは違うよな

というボーダーラインがあって、それを超えてしまうと急に冷める(覚める)。いまふうにいうところの「ドン引き」ですか。あんな感じです。

別の例でいうと、プロレスラーがプロレスラーのラリアット受けるのと小学生がプロレスラーのラリアット受けるは違うよなって話。

これがふたつ目のファクターダメージの比重

言い換えると(耐久性の面から見て)やりすぎラインですよね。

それを超えてしまったらもう笑えない。あとはどんどん不快になっていくだけ。

だからあの教師の認識のなかでは、やり過ぎのラインをまだ超えていなかったんでしょうね。

ゆえに「やりすぎんなよ?」の発言になったんでしょう。
(参照元がわからない人は検索してくだせい)

──話がそれました。

ダメージの比重が軽いと判断する=重大な問題とは認識しない。

これがふたつ目です。

これが暴力描写を観たときの感情の動きスペクトラムだ

ったらしく話をしたけど、改めて。

・描写される「暴力」に対して私たちはアリかナシかを判断する。
・その判断基準には──行為自体に正当性があるかどうか、ダメージの程度は適当であるか、といったものがある。

その際の感情の動きがこんな感じ。おそらく。

スペクトラム

なつ「うむ、さっぱりわからん」

──うん、私も描いててわからんくなった。ユングみたいなものを目指していたはずなんだけど、二十分時間を割いてゴールが見えないので諦めた。

【6/27日更新】

もう少し描き足してみたよ。

感情スペクトラム

や大げさではあるが、キャラクター及び作品をスペクトラムに入れ込んでみた。それぞれ色違いで囲んである分は、作中で振るわれる暴力の範囲と捉えていただきたい。

なつ「ちょっとわかってきた」

まず、ケンシロウ。ケンシロウの暴力は全部正当性を持っている。あとは程度の問題なので、ダメージ軸に沿って移動する。

なつ「酒場で絡んできた男にグーパンで鼻っ柱折ってなかったけ? あれはやり過ぎなんじ(ry」

そんなんありましたっけ。覚えてないな。

では伊波さんの場合。

基本的に腹パンとか顔パンだから軽めなところから、たまに重いのが入ってくる黄色エリア。

しかし不当というか理不尽な暴力が小鳥遊くんをよく襲う。フロアで近寄ろうもんなら腹パン顔パン。裏では壁にめり込むようなアイアンクロー。

このあたりの、上表でいうと完全にレッドゾーンに属している理由なき(まあ、あるんだけど)理不尽さに、暴力女が大嫌いなアニメ視聴者の男性各位はこう言うんですよ。

「なんで殴んの?(わりとマジで)

ま、そらそうなる。

感情スペクトラム

ここで断っておくと、この図

見やすいように二本の軸(正当性軸・ダメージ軸)を真ん中に書いているけれど、これはいわゆる価値観のラインでもあるので人によって上下左右する。当たり前の話だけど。

ツッコミだから」で頭を叩かれるのが許せない人間もいれば、「盛り上がるから」で水をかぶることを良しとする人間もいる。そういう話。

このなかには「フィクションだから」「お芝居だから」「本人も了承しているから」いろいろと当てはまると思う。そこはほんとに多種多様だからこの辺で省く。

くまみこの暴力描写範囲は特殊だった

スペクトラム3

くまみこの暴力範囲を青で囲った。

これが正しい範囲かはあんまり自信がないけど、回を追うごとにまちへの当たりが理不尽な暴力でしかなくなってきたわけです。

つまり右上にいたものが左下に移動していったわけです。(矢印が放送回の流れだと思ってください。)見事に左前を描いてますね。

補足部分として不快指数(と対義として爽快)も加筆。

不快指数の高さは
不当かつ多大な暴力>不当であるが軽度な暴力

となる。念のため。

不快指数が高まれば、己の許容範囲を超えた視聴者が離れていくのは当然の道理である。不快な暴力を長く見せられて残るのは氏賀Y太(うじが わいた)氏を筆頭とした苛虐趣向ライクな人達だけだろう。氏賀Y太氏について検索するならしっかりと覚悟を持ってからにしよう。血の気の引く画像に出逢う確率が高いから。

今回の、脚本家ピエール杉浦をとりまくアニメ放送後のいざこざというか、観た後で石を投げた人多数の案件について私が思うのはこのくらいです。

長くなったのでこのへんで私も匙〈さじ〉を投げるとしましょう。

石投げるならせめて川に向かって投げなさい。お魚にも気を使いなさい。